【つれづれ日記】ボクはなぜ時計の電池を買うのだろう
理屈じゃねぇんだよ、と言う人もいるのだろうか。
ボクは枕元に目覚まし時計を置いている。
もともとは寝起きが悪い対策として買ったものだ。
そのため大きな音が出る目覚ましをチョイスしたのだが、電池切れで鳴らず寝坊するということが何回かあり、それからはスマホのアラームを目覚ましに使っている。
なので今は単に時間を見るためだけのものだ。
その時計の電池が先日切れた。
単三を3本使うのだがあいにくストックが無く、今日まで止まったままだった。
しかし、みなさんもそうだと思うのだが今の時代時計なんて無くてもどうとでもなる。
スマホがあり、iPadがあり、なんならWi-Fiのルーターでも時間が表示されている。
実際に時計が止まっていて困った、なんてことも無かった。
だが、それでもボクは今日電池を買ってきた。
そしてわざわざ時計の電池を入れ換えた。
単三が3本なのでだいたい100円くらいになる。
別に高くもないが、不要なものにわざわざ払う金額でもない。
これはいったいなぜなのだろう。
ボクは時計に何を求めているのだろう。
スマホなどとの違いを考えてみよう。
1、アナログ表示
目覚まし時計は昔からの針がぐるぐる回っているタイプだ。
デジタルと違ってぱっと見でどれくらいの時間かイメージしやすいという点は違いがありそうだ。
2、常に見える
スマホなどは一度画面を表示させないといけない。
そしてそのために手に取る必要がある。
寝起きなどはあまり動きたくないので無意識的に顔だけ動かして目覚まし時計を見ることが多い。
ここらへんが理由だろうか。
要するに「スマホなどより時計の方が直感的で手間が無い」ということになる。
このひと手間を省くためにボクは数ヶ月に一度100円を使うのだ。
また、時計が止まってからもたびたびクセで時計を見ることがあった。
無くても困らないが、無いとなんだか落ち着かないのだ。
なんやかんやで生活の一部になっているんだなと思う。
あなたは「なんでこれにお金を使っているのだろう」と思うことは無いだろうか。
たまにはそういったものを冷静に見つめ直してみることで、自分の新たな一面に気づけるかもしれない。
今日はこんなところで。
では!
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