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女性のための糖尿病生活 No.1 最後のチョコレートパフェ

楽しい生活を自分でデザインする

 糖尿病生活34年。その間、フルタイム勤務、フリーランス編集者、海外旅行、出産・子育て、大学生生活、PTA活動、ボーイスカウト活動支援、ママさんバレーなどなど、糖尿病を抱えながら「うちではおまえが一番元気」と夫にいわれるような生活を送っています。
 毎日のインスリン自己注射、血糖測定、食事、運動、メンタルケアなど、自分の生活は自分でデザインするをモットーに、何をしたいか、何をすれば楽しいか、いつも自分を大切に、家族との関係も大切に、そして私のまわりにいてくれるみんなのことも大切にできる生活をしていきたいと考えています。

最後のチョコレートパフェ

 私が1型糖尿病だとわかったのは1988年11月のことでした。その年の8月、私は今の主人と結婚しました。10月には仕事でアメリカへ行くなど多忙な生活でした。10月のカリフォルニアで、何人かの医療関係者からこんな声をかけられました。
 「あなた、糖尿病かもしれない。日本に戻ったらすぐに病院に行きなさい」
 それは私が乗り込んだバスの中で、ずっと飲み物を飲んでいたからでした。喉が渇いてしかたなかったのです。旅行は楽しいものでしたが、その症状は悪化しているようでした。
 その半年ほど前のこと、伊豆で合宿セミナーがありました。「今の希望はなんですか」と問われて、私は「ただゆっくり休みたい」と答えました。
 仕事への不満はまったくありませんでした。ただ、からだがだるくてしかたなかったのです。まだ若かった私は、仕事が忙しいからだと思い込んでいました。それまでは風邪もひかないほど元気だったので、自分が病気になるなんてまったく想像できませんでした。おそらくその頃にはすでに糖尿病を発症していたのでしょう。それを忙しさで紛らわしながら私は生活をつづけていました。
 カリフォルニアから戻った私は糖尿病だと言われることを覚悟して病院へ行きました。自宅から近い東京女子医大病院で、まず内科の検査を受け、そのあとに糖尿病センターへ行くように言われました。
 糖尿病センターで血糖値を測ると660でした。「よく倒れなかったわね」とナースに言われました。
 これには訳がありました。きっと糖尿病だと言われるに決まっていると考えた私は、もう食べられないかもしれないと考え、病院へ行く前日にチョコレートパフェを食べたのです。確信犯でした(笑)。
 でも、血糖値の数字が出たとたんに、
「これから毎日自分で注射しなければなりません。明日から入院できますか」
と言われました。
 本来、インスリン自己注射が必要になった患者は1週間ほど教育入院をさせられるのだそうです。糖尿病患者が病気を知り、治療方法や自分の生活の送り方を学ぶためです。
 私は「仕事が忙しくてとても入院はできません」と断りました。するとその場ですぐにインスリン自己注射の練習をすることになりました。注射の手技を習うことになった私は、病院の簡易ベッドの上で、「なんで?」という悔しさで、涙を流してしまいました。


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