スピッツが好き
幼い頃、両親はよくキャンプに連れて行ってくれた。夏の間は毎週のように行っていた。私の育った北海道は、広大な土地だが、両親のおかげで全道ほとんどの場所を訪れることができた。もちろん子供だった私には、車窓から見えた景色がどこなのか、記憶に蘇る草原や、湖が正確にどこだったのかはわからない。しかし、何時間も過ごした車内で流れていた音楽は鮮明に脳裏に焼き付いている。おぼろげな映像。その音楽は、フロントガラスを通り抜けてくる陽の光が作り出す明暗の中で運転席と助手席に座った黒い後ろ姿を浮かび上がらせる。このとき喚起される、食道を登ってくるような不思議なぬくもりを持つ痛みは、今という現実を遠く追いやるほどに強い力を持っている。あのとき流れていた音楽がスピッツだった。それも同じCDを繰り返し流し続けていた。今でも曲順まで完璧に思い出す。私の美しい思い出の中にはいつもスピッツの曲がある。あの頃の郷愁に捕らわれてしまっては、苦しい思いをすることもあるが、大切なものだ。愛を歌う心地の良い声とメロディー。それは、男女の愛だけに限らず、家族の愛でさえも賛美しているようだった。しかし、虹のように逃げてしまう家族との思い出に温かさと悲しみを覚えながらも、前を向いて今と向き合うことのほうが大事だ。今、私にはこれから家族となる人がいる。これまで受けた愛に感謝し、これからそれ以上の愛を与えていきたい。うまくいかないときは、シャツを着替えて海へ行ったらいい。余計なことはしすぎるほど良いのだから。大切な人と出会えたことは、本当に奇跡的なことだ。もうこんな人は現れない。どんなことがあっても離してはいけない。私の心の中にいつも流れてくる魔法のコトバたちとささやかな喜びを抱きしめて、これからの未来に進んでゆきたい。これを書くだけで少しだけ強くなれる気がする。