ノイズ
人間の身体の7割が水分だと言うのなら今晩流した涙はその内の何割だったんだろうか。こんこんと湧き出る水のように絶え間なく、清く、流れる。彼への想いを含んでTシャツの襟ぐりを濡らす。
だが、受け入れたくない事実を目の当たりにした時、どうやら涙も出ないらしい。「あー、なるほどね。」だなんてかっこつけたようなことを口走った。日記にも残したくない事実を受け入れられず何と別れを告げようと頭の中で持ち得る限りの言葉を探る。どれも別れには相応しくない、似つかわしくない。
例えばただ想いの丈を涙ながらに伝えて、「あー、めんどくせぇ」だなんて顔をされたらこの純粋な想いすら汚れてしまうのではと不安になる。それでも伝えたいと思うのはわがままだろうか。彼なら理解してくれるのではと私はまだ期待を捨て切れないでいる。
私の肌が感じた彼を信じたい。私がこの目で見て、ふれた彼が真実だと思いたい。その思いがその望みが真実から私を遠ざけている。
真新しい白い家。玄関にはお洒落な表札。彼の苗字。駐車場には2台の車。一台は前に会った時彼が乗ってきた車。もう一台はベージュの普通車。助手席にはチャイルドシート。すぐに目を逸らして背を向けた。頭の中にあったものが全部どこかへ消えた。猜疑心や認知バイアス、不安と期待。全部何もかも空っぽになった。自分の車に戻って一つ呼吸すると涙がまた溢れた。毎日毎日泣いているのにまだ出てくる。枯れてくれ枯れてくれ。もう泣きたくなんかない。私が純粋に恋焦がれたこの思いが涙になって私から出ていくのに思い出ばかり溢れてやまない。楽しい日々がきらきらと輝いていたあの時の生き生きとした私が、こぼれ落ちていく。
彼の好きな歌手の曲がおあつらえむきに流れる。「きっと色褪せる」。果たして本当にそうだろうか。色褪せてくれるだろうか。こんなにも鮮やかに私を苦しめるというのに。色褪せて茶色くなった花びらがはらりと落ちて、終わるだろうか。
声も顔も不器用なところも大すきだ。とんでもない屑野郎だと分かった今も、全部全部大すきだ。
涙は溢れてやまず、視界が霞んで、日の出を待つ暗い街の赤い信号が煌めく。宇宙に一人取り残されたようだ。街灯がきらきらと輝いて、他に車はなくて、私の鼻をすする音が、失恋を語る音楽のノイズになる。溢れた涙がTシャツを濡らして胸元が冷えるのが気持ち悪いのに、涙は止まらずますます身体が冷える。
彼に言いたいことがたくさんあるのに何もまとまらず結局彼のことがすきだということしか言えない。
憎んで恨んで思いつく限りの罵詈雑言を浴びせてグーでもパーでもその顔を殴ってこの22.5センチの小さな足で腹を踏みつけて、そしたら気が晴れるような気がする。それなのに、全然怒りが湧かないし彼を責める気にもならない。
私の人生を彩ってくれた彼を憎めない。彼の屑っぷりを知って、この楽しかった半年の恋が汚れていくような感覚があったのに、こんな短時間でもう美化されている。
彼は初めから私を騙すつもりだった。あの白い家が建ったのは私と初めて会ったその少し前のことだ。だからその時点で彼には家族があったか、若しくはその予定の人がいた。
彼はまずそこでしくじっている。私と初めて会った時、どこかから彼に電話がかかってきた。話が長くなりそうだったので私はお手洗いに立ったのだが、戻った時彼はまだ電話中で住民票の話などしていた。初対面の私はそこについて尋ねるのはさすがに気が引けたので、誰からどんな内容の電話だったのかは聞くつもりはなかったが、私が尋ねるよりも前に、電話を切ってすぐ「家を建てた」などと話始めた。「母親に」「俺は一緒には住まないけど」と細切れに続けた。今思えばその時のその言い草や少し焦った態度に私も僅かに不信感を覚えた。ただ私もその時は今日一晩共にして終わりだろうと思っていたから、さして気にする必要もなかった。ただ私たちはその晩、ビジネスホテルの同じ部屋、くっついたベッドでそれぞれ寝て、何もしなかった。
彼と過ごすのは心地がよかった。初めて会った時も人見知りな私がすらすらと話せて、初めてじゃないような感覚があった。ただそれは彼がそういう禁じられた遊びに慣れていて、女の扱いが上手いからなのだと、今となってはそう思う。
黒に近いグレーだと思っていた。いや、そう思いたかったから目を背けてきたのだ。私の無垢な気持ちがその黒に白いフィルターをかけていたのだ。ただの黒ではない。真っ黒だ。なんなら漆黒だ。私が盲目になる余りその黒ささえ見えなくなっていたのだ。
私に「その男はやめておけ」と言った人生の半分を共にする友人はこう言った。
「あんたは、そいつに盲目になってたんじゃないよ。恋に盲目になってたんだよ。あんたがすきだったのはその男じゃない。恋に恋をしてたんだよ。その証拠に今こうやって笑って話せてるじゃん。本当にそいつに盲目だったら、相手に家族がいるって分かった時点であんたは相手を刺してるよ。」と。笑いながら。「私だってあんたが泣きながら電話してきて本気でやばいと思ったらこんなふうに話してないよ。」と続けた。
私が然程彼に対して怒りや憎しみが湧かないのは、それが理由なのかと納得した。彼を好きすぎる余り怒りが湧かないのかと思ったが、人に言われてみると分かることがあるものだ。私が今彼に何か言うとしたら「ばーかばーか!!!」という余りに幼稚な文句で、いや本当はもっと汚い、私の人格が疑われるような言葉を投げつけてやりたいと思っているが、自分の人生を投げ打ってまで彼を手に入れたいかというとそこまでではない。「ちゃんと理性が働いてるレベルだから大丈夫よ。メンヘラ時代のあんただったら即効でピンポンして突入して相手殺して自分も死ぬ!とか言ってるわ」とゲラゲラと友人は笑った。私は恋に盲目になり自分を見失っていたのだと気づく。私は「人生の半分一緒にいる友達の『やめとけ』は本当にやめておかなきゃいけないやつ。あと私の直感は当たらない」ということを学んだ。…何度目だ。
日々過ごす時間のそこかしこに彼がいた。仕事中、次いつ会えるんだろうと考えたり、電話がかかってこないかと何度もスマホを覗いたり、呼び出されて慌てて準備したり。だから、日常の至る所に虫食いの穴が空いたようだ。ただそれは彼がいなくなった寂しさというよりは、いつもあったものがなくなった、そこにいつもあったものがふと消えたという寂しさだ。ある日更地になったところを見て「ここって何があったっけ?」と思うことがある。あれに似ている。建物がそこにあったのを私は確実に見ているし解体しているその横を通り過ぎているはずなのに、更地になったところで初めてその存在を意識するし、行ったこともない店なのになくなって更地になると一回くらいは行ってみればよかったとかちょっとだけ寂しい気持ちになったりする。それと似ている。その更地にまた何か建つだろう。私はそこに何が建つのだろうと少し期待している。
清らかな渓流のようにさらさらと流れて、とめどなく流れて、止まった。枯れてはいないだろう。きっとまた流れる。枕を、Tシャツを濡らして。
私の直感は当たらないが当たった直感もあった。「この恋は叶わない」ということだ。この恋がついえた時、初めてこの物語は完結する。分かっていたことだ。
彼に伝えたいことがあるが、今はまだ彼とは会えなくて、それでも一人で抱えるには余りに大きく重く無垢であるから、ここに少しだけ置いておこうと思う。
あなたと過ごした半年は本当に楽しかった。毎日楽しくてきらきらしていて、幸せだった。あなたが嘘をついたことは悲しいけど、私は怒ってないし責めるつもりもないよ。ただ、私があなたを諦めきれなかったせいで嘘をつかせてしまったことが悔しい。私のせいであなたの大切な人が傷つくのが悲しい。みんなはあなたが悪いというけれどそれでも私はあなたを責めることができない。
つまらない人生の中で一番幸せな半年だった。私の人生がやっと動き始めたんだと思えるほどに。だからどうか幸せでいて。大切な人に囲まれてその人たちを大切にしながら元気で幸せでいて。私はそれで充分なの。
私といて少しは楽しい時間になったかな。少しは心が休まる時間になったかな。少しでもあなたの力になれたなら、役に立てたのなら私はそれでいい。
私のことはどうか忘れて。忘れてくれないと困る。いなかったことにしてくれないと私はこの半年の代償を払えないから困るの。でも、誰かがあなたを純粋にまっすぐに愛していたことはどうか覚えていて。
半年間、本当に楽しかったよ。幸せをありがとう。
綺麗事に聞こえるし可哀想な自分に陶酔しているような文言が並んだけど、私の中から素直に出てきた言葉だ。
人生は如何に無駄を楽しむかだ。
あれやこれやと詰め込むのはそれはそれで楽しいが、無駄なことというのは必要ないことのようでそれがある時ふと必要に感じる時がある。
例えばこの恋は、この半年は無駄だった。わがままで自分勝手な屑に振り回されて泣かされて、ましてや訴えられ兼ねないところまできた。ただ、後日、それはいつになるか分からないが、「そんな男いたねー!」「ばかだったねー!」「だからやめろって言ったのにさ!」「もう本当ごめんって」だなんて友人と話す時が来るのだ。その時のための種を蒔いたのだ。
柩の中で思い出そう。あんな恋をした。こんな人を愛した。こんな友人に愛されていた。あの日の天気は晴れていた。こんなテレビ番組を見ていた。そんなことを思い出そう。誰かが泣きながら私に花を手向けてくれるその時に。
また、別の恋をした時にお会いしましょう。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
(あくまでフィクションです)
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