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2024年9月の読書メモ

 その月に読んだ本の中から何冊か選んで、ざっくりとした感想を書いてみます。読んだときに思ったことを忘れないようにすることが目的なので、ほんとうにざっくりです。たくさん選ぶ月もあれば、一冊だけの月もあるかもしれません。毎月一冊は感想を書けるようにしたいとは思っています。

 今月ちょっと少なめ。

朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』

 芥川賞受賞作。本書が課題図書になっていた読書会があったので、私にしては珍しく、早めに(といっても2ヵ月は経っているけれど)受賞作を読むことにした。普段は遅読書派なので。

 本書は、変わった特徴を持って生まれてきた双子の姉妹、杏と瞬の物語。ストーリー内での出来事としては、二人の伯父の死と岡山での葬儀、その後京都での四十九日の納骨くらいで、それ以外のほとんどは杏と瞬の思考や回顧で埋め尽くされている。特徴のあるテキスト、交じり混ざっていく二人の思考から、人の意識の所在や肉体の領域、それから生と死についての問いが、身体の中に入り込んでくるような感覚に陥る。途中で「イレギュラーな人間を研究することで、人間全体への理解が深まる」ということが語られるが、これはメタ的な本書そのもののことのようにも感じた。また、ラストシーンを読んでいるうちに、人の意識や死の神秘性を超えて、だからこそ人間はみな平等に不可解で普通であるというようなことがテーマだったようにも思えた。意識は臓器から独立しているのだとしたら。

 読了後、タイトルである『サンショウウオの四十九日』についても気になった。読書会でもその話題になり、オオサンショウウオの別名が「ハンザキ」であることや、仏教の考え方では人の死後四十九日で霊が仏として生まれ変わるということを知り、少し理解ができたような気もする。物語の内容について深く言及するのは避けているので、もしまだ本書を読んでいない方がいれば、ぜひ事前情報なしで読んでみてほしい。最初は少し読みづらさを感じるかもしれないので、一つ補助線を入れるなら、一人称の使い分けを見てみてもいいかもしれない。

少し間があいてから返ってきた手紙にはわたしたちの絵が描かれていて、その下には大きなクエスチョンマークがあった。絵は実際のわたしたちと全く違っていて、不出来な人形みたいだった。これは瞬だ、いや、これは杏だと、二人してベッドの上で腹を抱えて笑いあった。それから絵の得意なわたしが自分たちの自画像を描いて手紙に添えて送ると、そこから手紙は返ってこず、初めての文通はそこで終わった。

朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』

三浦哲哉『LAフード・ダイアリー』

 タイトルからして、食べるのが好きというだけの理由で農学部に入ったような人間である私からしたら、胃で読み腸で理解したくなるような本だと思った。そんな私のおいしい期待は、いい意味で裏切られることになる。

 本書の前半では、まさしくフードエッセイといった感じの、LAに家族とともに渡った筆者と未知の食との出会いが描かれている。日本人である筆者は、LAの食との日本の食との違い、あるいは実際のLAの食と想像していたLAの食との違いに驚き、はじめは苦手意識を感じていたLAフードをだんだんと楽しむようになっていく。その過程で、LAは単にファストフードに毒された街ではなく、また移民料理の無秩序な寄せ集めの街でもないことを知り、そういったLAのフードシーンや、そこで出会った人々、あるいは(映画研究者でもある筆者から見た)映画製作の本場といった土地柄を踏まえて、後半はLAひいてはアメリカ全体の本質に迫る内容になっている。

 最後の章、多様性と画一性に関する筆者の思考は、私にとっての新しい光になったような気がした。昨今の押し付けがましい多様性の論調、行きすぎた寛容論に対して、私は違和感を抱いていたものの、なかなか考えをまとめられずにいた。そんな中、本書で語られたLAの在り方、歴史、文化からは広義の多様性の手がかりのようなものが感じられ、それと向き合うきっかけ気になる。これら全てが「食」の観点から見えてくるというのがおもしろい。

LAは、他のあらゆる土地の模造品をよせ集めたモザイク都市である。そこでは世界中から移ってきた異なる言語圏、文化圏の人間たちといとも簡単に知り合うことができる。その中心には映画製作スタジオがあり、スタジオの中では、ありとあらゆる土地を舞台にした人生の模造品が日々、生産されている。

三浦哲哉『LAフード・ダイアリー』


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白川侑
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