「なぜ……か。」という問いはやめて「なに」「どこ」「いつ」「どんな」「どのくらい」という問いにしたらどうか。
生徒に教材を読ませる。教科書教材である。
特に指定なく、問いを作らせる。疑問を気軽にあげさせる。いわゆる「質問づくり」のブレストっぽいパートのような感じである。(ちなみに私は「質問づくり」の実践はあんまよくわからない。疑問がある。また書く。)
たいていの疑問は、辞書で調べれば答えのすぐわかる疑問である。あるいは、文章の少し離れた場所を読めば解決する疑問である。もしくはただの勘違い(誤読)である。
そしてそれ以外はほとんどが、「なぜ……か。」という質問である。
「なぜ……か。」という問いは量産できる。作りやすい。作るのに労力がいらない。気軽に作れる。
しかし、答えるのは難しい。答えの内容自体が難しいというよりも、どのレベルの原因や理由を答えればいいのかがわからないから難しい。
発問を誠実に作ろうとしたことのある教員なら当然実感したことがあるだろうが、「なぜ……か。」という発問は、何を聞きたいのかが判然としない場合が多い。生徒も何をどこまで答えればいいのか判断しにくい。
例えば、芥川龍之介の『羅生門』で次のような問いを作る。「なぜ、下人は「「盗人になるよりほかに仕方がない」と思っているのか。」という問いを作る。実際には、「下人」は「盗人になるよりほかに仕方がない」とはっきりと思っていたかはあやしい。「積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいた」とあるからである。とはいえ、「積極的に肯定」はしていないものの、「ほかに仕方がない」とは思っているだろうから、いちおうこのような問いを作ったとする。
この問いにどう答えるべきか。例えば次のように答えられる。「盗人になるしかないと思っているから。」この答えを「それでよい。」と言う教員はいないだろう。トートロジーだ。しかしなぜだめなのか。「問いの文よりも情報が増えるような答え方をしないといけない。」などと言えるかもしれない。少なくとも、発問した側が想定している答えのレベルとは異なるレベルの答えだろう。
では「災害とかがたくさんあって京都が衰微していたから。」であればどうか。これも違いそうだ。遠因すぎる気がする。おそらく、この答えも発問した側が想定している答えのレベルとは異なるレベルの答えだ。
ここで重要なのは、「なぜ……か。」という問いに答えるためには、文章の読み取りだけではなくて、発問した側の意図をも読み取らなければならないということである。基本的に試験の問題というのは、出題者の意図を読む必要がある。しかし、授業もそれでいいのか。教員の答えてほしいと思っているレベルを賢く読み取って、それを答えることがいいことなのか。私はよくないと思う。悪いとさえ思う。
このような問題は、個別指導で入試の過去問を解くときにもよくある。
生徒が個別指導を受けに来る。過去問を持参する。しかし答えがないと言う。私が模範解答を作成することになる。
偏差値的には難しくない大学の現代文の問題で、傍線部について「なぜ……か。」という問いがある。記述式の問題で、答えを書かなければならない。このような設問に対して、私はよく困惑する。「この問いにきちんと答えようとすると、かなり難しい。本文には直接書いていないことも補足して答えなければならない。」と思う。しかし同時に次のように考える。「だが、この大学の受験性の層を想定すると、そのレベルまでを問うてはいないだろう。もっと表面的に、書いてあることをほぼそのまま使うような答えが求められているのだろう。できるだけ傍線部の近くで、答えとして適当そうな部分を抜き出すだけでよいのだろう。」ここまで考えて解答を作る。
私は、これが〈読解力〉なのだろうか、と疑問に思う。このような、受験生の学力の想定をして、解答を作るべきなのだろうかと思う。
とにかく、「なぜ……か。」という問いは、答えのレベルを、発問者のレベルに合わせるのが難しい。だから私はできるだけ「なぜ……か。」という発問はしないようにしている。「何」「どこ」「だれ」「いつ」「どのくらい」のような問いを作るようにしている。生徒が何を考え、どこまで答えればいいのかがわかるようにするためである。
例えば先の「なぜ、下人は「「盗人になるよりほかに仕方がない」と思っているのか。」という問いならどうするか。私なら、「下人が「盗人になるよりほかに仕方がない」と考えるようになるきっかけとなった出来事は何か。」とする。もちろん、「永年、使われていた主人から、暇を出された」ことである。もしかすると、「使われていた」ときからすでに、「俺はここをくびになったら、盗みをするしかないだろうな。」と考えていたかもしれない。しかしそれは本文からはわからない。「もしかしたらくびかもな。」と思っていたかもしれない。それもわからない。
ただ、とにかく実際に「暇を出された」ことによって、食い扶持に困ったわけである。食い扶持に困ったから、このままだと「築土の下か、道ばたの土の上で、饑死をするばかり」なのだ。だから、「盗人になるよりほかに仕方がない」と思うのである。きっかけは「永年、使われていた主人から、暇を出された」ことだ。
このように考えると、結果的に「なぜ、下人は「「盗人になるよりほかに仕方がない」と思っているのか。」を考えることになる。ほかにも例えば「下人が「盗人になるよりほかに仕方がない」と考えるようになったのはいつからか。」でもよいかもしれない。
私としては、だから次のように主張しよう。
「なぜ……か。」という問いを発したくなったら、それを別の問いに変えよ。「なに」「どこ」「いつ」のような、答えるべきレベルがはっきりした問いに変えよ。