イスラーム文化-その根底にあるもの-
著者は慶応大学名誉教授の筒井俊彦で1981年に岩波書店が出版したもの。自分が読んだものは文庫版で1991年に第一版がでている。手元にあるものは第37刷なのでかなり長い間売れ続けているロングセラーである。著者は日本人で初めてアラビア語からコーランを和訳したことで有名。語学の天才で30の言語を操れたとか!
井筒俊彦 - Wikipedia
本書はイスラーム文化の根底にあるものは何かというテーマであるが、イスラームの入門書のように感じた。特に日本人(西洋人も?)としてはイスラーム文化、単純にイスラム教について、どんなものか、奇しくも今中東が大変なことになっているが、あまりに知らない。本書はコーランの中身を詳しく解説するような神学的なものではなく、宗教学としてイスラム教とはどういった宗教なのか教えてくれる。書き方も講義形式で読みやすい。しかしその割にはそうだったのかとおどろかされる部分がたくさんある。これ1冊読めばたいていのジャーナリストよりもイスラム教について理解を深めることができるのではと思う。
イスラーム文化の根底にあるもの、それはコーランである。まったくもって当たり前であるが、同じ一神教でもキリスト教やユダヤ教は聖典が教祖が亡くなってからかなり後年に作られたものであるがコーランは異なる。そういう意味でコーランとは聖典としてはかなりしっかりしたものといえる。それゆえコーランが絶対であり、そしてそこからそのコーランをどう読むか、その読みがイスラーム文化を重層的に形作っていくというものである。ニュースできくスンニ派、シーア派もコーランへの向き合い方にその違いが出ている。
スンニ派はコーランを文字どおりそのまま読もうとする。つまりコーランをユダヤ教の律法のようにとらえる。旧約聖書のように人間は神と契約したのであり、契約の結果として人間が従うべきものがコーランである。一方シーア派はコーランの真の意味をとらえようとする。文字としてはこう書かれているがしかし真に意味はこうだというように考え、しばしばもとの意味がなくなるほどの解釈が成り立つ。イエス・キリストが律法の順守ではなく完成を目指したように、文理的な理解を超えようとする。
そのためいわゆるイスラム原理主義組織はしばしばスンニ派から出てくる一方で、神権政治ようなものは(コーランの解釈に)柔軟性のあるシーア派が主流派のイランで成立する。そしてシーア派的な理解は究極的にはコーランを全く別物に変えてしまうおそれがあるため、コーランの順守を求めるスンニ派とはしばしば対立(もちろん武力あり)を生むことになる。
今はパレスチナ(イスラム)VSイスラエル(ユダヤ)となっており、パレスチナのイスラムはスンニ派でその援助をシーア派のイランが支援している状況である。パレスチナ問題はきっとこの先も問題としてあるだろう。しかし幸運にも解決できたとしても、中東はなかなか安定した世界にはならないのではないか、イスラーム世界の難しさ(と当時に多層的な奥深さ)を感じる一冊であった。
中東情勢の理解にちょっと深みを持ちたいときにおすすめしたい一冊だと思う。
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