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【第一話】AKB48運営会社を辞めて"育成年代のスポーツビジネス"で起業した理由〜過酷な"社長付き人"時代で得た基準〜
スポーツファシリティ株式会社の富澤隼人です。
早速ですが、今日は「AKB48運営会社を辞めて"育成年代のスポーツビジネス"で起業した理由」第一話:〜過酷な"社長付き人"時代で得た基準〜 について書いていきたいと思います。
AKB48社長の付き人と知らずに入社
私は大学を卒業してから、22歳〜27歳までの約5年間、AKB48の生みの親である"社長の付き人"をしていました。
当時は、AKB48が全盛期の頃で、エンタメの業界においては、先頭を走っていた頃ではないかと思います。前田敦子や大島優子などを筆頭にメンバーとグループの人気は絶頂期でした。
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私自身は、AKB48が爆発的に人気になりムーブメントを起こす少し前に入社しました。
当時は、アイドルになんて当然のように興味もなく、入社面接の際に本社のエントランスに掲示されているポスターを見て「なにかアイドルの事務所でもしてるのかな?」といった具合に、"仕事なんて稼げればなんでもいいや"の感覚でした。
たまたま先輩がこの仕事をしており、紹介していただいた形で入社しました。付き人という職種は基本的には紹介でしか就けません。
私は、本当にたまたま引き寄せられた形となりました。
当時は東京がわからなすぎて、唯一聞いたことのある六本木に住むことにしました。
家賃は10万2000円の1Rで、忙しすぎてほとんど家には帰らなかったので、意味のない家賃を2年ほど払い続けた記憶があります。
今思い返すと、22歳で東京に出ましたが、本当に無計画だったなと思います。
AKB48の生みの親社長の過酷な付き人時代で得た"高い基準"
絶頂期なので、当然、会社も周りも超バブリーで、大学を卒業したばかりの田舎の若者であった私にとっては、感覚がおかしくなるような毎日でした。
例えばこんな感じでした
■海外出張はプライベートジェットで
■仕事終わりに200万の時計を普通にくれる
■普段の国内移動はロールスロイスとマイバッハ
■休日はフェラーリで社長とドライブ
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この仕事は、社長のリクエスト次第でどんなことでもこなす必要があります。到底できそうにない無理難題でも、言い訳は通用しないのでなにかを犠牲にしてでも遂行します。
この経験を通して、私の中での仕事へのクオリティ基準が構築されていきます。
車の運転からオフィスでの秘書業務、会食同席、旅行やプライベート、食事や遊びまで全てが仕事の範囲になります。
特に秘書業務では、高い基準が求められました。
例えば、お礼状の作成や案内文の送付。
これは、先方の目上の方へお出しする、社長本人からのお礼状です。
文章の質の高さに相当なこだわりを持つ社長でしたので、入社当時は、やり直し10回なんて本当にザラでした。
他にも、会食同席などはさらに気を遣います。
目の前には、今をときめく芸能人やあの有名企業の名物社長です。
こんな環境で毎日を過ごしていると、自然にその方達と同じ基準で物事を判断するようになってきます。
環境が人を創る、"高い基準"での仕事
一年の半分近くは海外で過ごしました。
仕事では上海、香港、シンガポール、ハワイ、ニューヨークなど。
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旅行ではイタリア、スペイン、フランス、モルディブ、タイ、オーストラリアなど、その他数えきれないほど何ヵ国も同行させてもらいました。
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もちろん、どの国に行っても車の運転もしなければいけません。
国際免許は必須で、特にハワイやシンガポールは滞在することが多かったです。(旅行の時は呼んでください)
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当時は、芸能プロダクションの他に、飲食業、旅行会社、映像制作会社、グッズ制作など、その他にもたくさんの事業がグループ会社内に存在していたので、全ての事業を社長のすぐ隣で見て学び、サポートさせていただいていました。
「この事業のあれはどうなってる?」
と聞かれたらすぐに「現状はこうなので、こうなることが予想されます」といった具合に、事実と解釈を織り交ぜて報告します。
この時の仕事の基準も、社長の基準に合わせなければなりません。この時くらいから、自然と高い基準での仕事をすることが当たり前となりました。
このように、忙しくもたくさんの貴重な経験をさせていただいた、あっという間の5年間でした。
ですが、やっぱりこんな尊敬できる社長や周りの超有名企業の社長の方々を近くで見ていると、自分にも"独立してみたい"という気持ちが湧いてきます。
というよりも、単純にお金持ちになりたいと思うようになりました。
たくさんの経験をさせていただいた会社と社長の元を退職し、起業準備に入ります。
この時、自分の起業の基準も上がりまくっていました。
【第二話】 AKB48運営会社を辞めて"育成年代のスポーツビジネス"で起業した理由サッカーコーチの給料は驚くほど低い〜
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