【Ep.5】 愛しい日々は旅を終えて赤道線の上 〜『POP LIFE』が導くYUKIへのスポットライト〜
🔑Keywords🔑
JUDY AND MARY/YUKI/ガーリーカルチャー/POP LIFE/ステキなうた/ソフィア・コッポラ/Virgin Suicides /恩田快人/TAKUYA/Brand New Wave Upper Ground/THROUGH.design/joy/JOY/Chara/ハローグッバイ/HMV/TSUTAYA/ふみコミュ/そばかす/カラオケ/るろうに剣心
Ep.3では、Tommy february⁶に憧れ、青文字系雑誌を読み始めたこと、そして母から紹介されたJUDY AND MARYの音楽、特にボーカルのYUKIとの出会いが、私にとって「ありのままの自分」を肯定するきっかけとなった小学生時代の思い出について書きました。
今回は、小学生時代に唯一聴いたJUDY AND MARYのオリジナルアルバム『POP LIFE』に焦点を当て、ソロ歌手としてのYUKIとの繋がりや、当時の音楽体験について深掘りしていきます。
-イントロダクション-
2004年。小学六年生のある日のことだった。
既にソロ歌手としての活動をスタートさせていたYUKIは、私がJUDY AND MARYの中で見ていた彼女とは、まるで別の生命体を宿しているかのようだった。
落ち着いたトーンで、時折どこか物憂げな表情を浮かべるYUKI。
JUDY AND MARY時代のエネルギッシュなYUKIの姿は一体どこへ消えてしまったのか。
それでも、彼女の瞳には、見覚えのある光が宿っていた。
それは、紛れもなくYUKIそのもの、彼女のアイデンティティを物語る輝きだったーー。
『POP LIFE』に隠された、JUDY AND MARYの転換点
小学生の頃、私が聴いていたJUDY AND MARYのCDは、父からもらった2枚組のベストアルバム『The Great Escape -COMPLETE BEST-』と、「ふみコミュ」の掲示板でたまたま目に入り、ジャケットに一目惚れした『POP LIFE』(1998年6月24日発売)の二枚だけだった。
『J・A・M』や『ORANGE SUNSHINE』、『MIRACLE DIVING』『THE POWER SOURCE』といった初期のアルバムを耳にしたのは、中学一年生の終わり頃、地元にTSUTAYAができてからのことだ。
オレンジ色のクリアケースに収められた『POP LIFE』のジャケットは、草原で佇む少女とのコントラストが可愛い、ガーリーでポップなデザインになっていた。
ブックレットはCDの形にくり抜かれ、そこにピンク色のインクで綴られた歌詞は、可憐な外国人の少女たちのポートレートと見事に調和していた。
Tommy february⁶が手掛けるガーリーなデザインに心を奪われていた当時の私にとって、このパッケージはまさに心を掴まれるものだった。
今思うとこの雰囲気は、ソフィア・コッポラの『Virgin Suicides』のサントラのジャケットデザインと、どこか通ずるものがある気がする。
『POP LIFE』にはベストアルバムにも収録されている曲がいくつか入っていた。
『イロトリドリ ノ セカイ』や『BATH ROOM』、『LOVER SOUL』は、当時も今もお気に入りの曲だ。
ベストアルバムに収録されている曲以外にも、『ステキなうた』や『ナチュラル ビュウティ ’98』、『グッバイ』など、好きな曲は多くあった。
中でも『ステキなうた』は、このアルバムの中で最も印象に残っている曲の一つだ。
無駄な装飾を削ぎ落とした、純粋で切ないメロディは、初期のJUDY AND MARYを彷彿とさせる。
また、この曲は、このアルバムの中で唯一の恩田快人(ベーシスト)作曲で、彼がJUDY AND MARYで最後に作った楽曲だった。
タイトルを『ステキなうた』とする直球ストレートなところも彼らしく、彼の持つ才能が遺憾なく発揮された、まさに ”ステキなうた” である。
しかし、このアルバムの制作過程は決して平坦なものではなかった。
JUDY AND MARYの音楽について語る上で欠かせないのが、オリジナルメンバーである恩田快人と、途中加入メンバーであるTAKUYAの対立騒動である。
アルバムの制作当時、バンドメンバー間の対立が深まり、YUKIの喉の手術などもあり、JUDY AND MARYとしての音楽の方向性が大きく変化しようとしていた。
まるで冷戦のような渦中にあり、制作が難航したとも言われているこのアルバムだが、YUKI自身は「とても好きな作品」と振り返っているようだ。
そして、リリースから数ヶ月後、JUDY AND MARYは今作を最後にしばらく活動を休止することになる。
「POP LIFE」というタイトルは、華やかで明るいイメージを連想させるが、このアルバムには、バンドの栄光と挫折、そしてメンバーたちの葛藤が複雑に絡み合っていた。
タイトルとは裏腹に、このアルバムはまさにJUDY AND MARYの転換期を象徴する一枚となったのだった。
『Brand New Wave Upper Ground』で再び車を走らせる
約一年半のブランクからの活動再開後、リリースされたのは『Brand New Wave Upper Ground』というシングル曲だった。
イントロのうねるように爆裂するギター然り、新しいJUDY AND MARYの幕開けを予感させるような、ブランニューな一発目にふさわしいハイテンションな曲だ。
今回の記事のタイトルになっている「愛しい日々は旅を終えて赤道線の上」は、この曲の歌詞の一部分である。
歌詞はところどころ散文的だが、夕暮れ時の海辺の道路をひたすら真っ直ぐに駆け抜けていく情景が浮かび、バンドの第一章に終わりを告げ、第二章へと進んでいく前向きな内容になっている。
当時も今も、JUDY AND MARYの曲で一番大好きな曲だ。
『POP LIFE』が残した余韻
〜音楽とデザインが織りなす世界〜
母からJUDY AND MARYを教えてもらった頃、YUKIは既にソロ歌手としての活動をスタートさせていた。
「JUDY AND MARYのボーカルの子だよ」
小学六年生のある日、テレビに映る彼女を指差しそう告げる母に、私は驚きと混乱を隠せずにいた。
力強い歌唱と、個性的な顔立ち。
確かにYUKI本人であることは間違いないのだが、テレビの中に佇む彼女には、JUDY AND MARYの頃とは決定的に違う何かがあったのだ。
かつてのパンクなエネルギーとは違う、どちらかといえば『手紙をかくよ』や『夕暮れ』のような、穏やかな温度感だ。
『ハローグッバイ』という曲を歌う彼女を見つめながら、私はぼんやりと『POP LIFE』のジャケットを思い出していた。
「なるほど…!」
なぜそう思ったのか、はっきりとは覚えていない。
ただ、今の彼女の姿と『POP LIFE』のジャケット写真が、私の心の奥底で重なり合っていたような気がしたのだ。
そしてその翌年、2005年1月19日にシングル曲『JOY』が発売されると、翌月2月23日には3rdアルバム『joy』がリリースされた。
アルバムのジャケットを目にした瞬間、私は思わず息をのんだ。
曖昧だった「なるほど」の感情が確信に変わった。
鮮やかな緑と眩しいほどのコントラスト。
見れば見るほど、『POP LIFE』の要素を感じるジャケットデザインだったのだ。
これは後に知ったことだが、『POP LIFE』と『joy』のジャケットデザインを手掛けていたのは、「THROUGH.design」というグラフィックデザインスタジオだった。
そして、YUKIの多くのアルバムジャケットも、このスタジオが手がけていたことを知る。
ちなみにJUDY AND MARY時代は、4thアルバム『THE POWER SOURCE』や、活動再開後の一発目のシングルとしてリリースされた『Brand New Wave Upper Ground』、ベストアルバム『FRESH』のジャケットも手掛けていた。
また、同時期に聴いていた「Chara」の多くのジャケットデザインも手掛けていたことを知った時は思わず気持ちが昂った。
まさに点と点が繋がった瞬間だった。
まるで、パズルのピースが一つひとつはまっていくように、私は様々なことに気づかされた。
音楽とデザイン、そして記憶。
それらは、複雑に絡み合い、私の人生を彩るパレットのように私の周りに存在していた。
あの日、テレビの前で感じた何かが腑に落ちる感覚は、決して間違っていなかったのだ。
『POP LIFE』の画像が掲載されていた「ふみコミュ」のスレッドに感謝しながら、私はソロとしてのYUKIの音楽にも少しずつ手を伸ばすようになった。
「もう変わってしまったんだ」という寂しさは、心の片隅にもなかった。
むしろ、彼女が持つ無限の可能性に心を躍らせていた。
YUKIは、まるで変幻自在のカメレオンのように、様々な姿を見せてくれる。
その多面的な魅力に、私は深く惹きつけられていた。
人生を変える、音楽への扉が開くまで
ソロとしてのYUKIの魅力に触れ、私は過去の彼女の音楽を探求したいという気持ちがほんのり芽生え始めていた。
しかし、YouTubeもまだ影も形もなく、新譜のCDを何枚も買えるようなお小遣いもない。
音楽情報はテレビ番組や、お店で流れるUSEN、「ふみコミュ」などといった媒体から得るしかなかった。
一番町の「HMV」で試聴できることもあったが、試聴機に陳列されているのはリリースしたばかりの最新作がほとんどで、過去のアルバムをじっくりと聴くことは、当時の私にとって夢のような話だった。
今思えば、どこかのTSUTAYAで両親にCDをレンタルしてもらえばよかったのだろうが、当時の私は音楽よりもファッションに夢中だった。
限られたお小遣いやお年玉は、ほぼ全て服に消え、音楽は二の次だった。
結局、小学生時代はYUKIのCDを手にすることはできず、私の音楽への情熱は、『The Great Escape -COMPLETE BEST-』と『POP LIFE』の二枚のCDに注がれた。
曲順はもちろん、歌詞までも完璧に覚えるほどだった。
中学生になると、仲の良い友達に『The Great Escape -COMPLETE BEST-』を貸し出し、JUDY AND MARYの魅力を広める活動を勝手に開始した。
カラオケでは、JUDY AND MARYの曲を歌い、『そばかす』を歌うと、必ず『るろうに剣心』の映像が流れた。
私はカラオケを通して、『そばかす』がそのアニメの主題歌であることを認知した。
その映像は脳裏にしっかりと焼き付いているが、今日に至るまで、私は『るろうに剣心』というアニメを一度も観たことがない。
そして、2006年3月。
中学一年生の終わり頃、ついに運命の瞬間がやってきた。
それは、私にとってようやく音楽の世界への扉が開かれたような、人生を大きく変える出来事だったーー。
次回へ続く
JUDY AND MARYとYUKIの話はまだまだ続きます。
スキ・コメント・フォローなどいただけますと、たいへん励みになります。
最後まで読んでいただきありがとうございました!