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私、もう友達なんてできないんじゃないだろうか、って思うことがある。

時たま、そう思うことがある。


会話をしている中で、相手の言葉の端ににじむ鋭いニュアンスを拾ってしまった時。


「~じゃないんですか?」
「~だよね?」


とか。( 文脈によるけど )


じんわりと、
「ああこの人は私のことを下に見ているんだな」とか
「自分を正しいと思ってるんだろうな」とか。




言葉の端に透ける、その人のほんとうの視線を見ると、とりあえず後ろを向いて踵を返す。

その視線の届かないところへ。その人とあまり言葉を交わさなくていい場所へ。




言葉より行動にその人となりは現れると思うし、
長年の付き合いであれば
「今の発言スタンスはちょっと好きになれないけど、でも根がいいやつなのめっちゃ知ってるからな~」
って受け入れられるけれど。


はじめましてや浅い関係の段階でそれに出会ってしまうと、その人と関わることが嫌になってしまう。



そしてそんなことが続くと、
「あ、私この先友達作れないんじゃないか、もしかして」と少し悲しくなる。

友達は、仲間は、いつも私の一番の宝物だったから。




とはいえ。

友達の友達なんかだと、やっぱり言葉と自分の感情を丁寧に扱っていたり、貼り付けた笑顔のような会話をして来ない人もいるから、そんな気持ちが少し救われる。

"Anone,"のメンバーさん達もそう。自分の心に真っ直ぐな人達がたくさんいて、言葉にそれが現れていて、もっと仲良くなりたいなぁと勝手に思っている( コミュ障の告白 )。


若い頃みたいに「友達がとにかくいっぱい欲しい! そしたら楽しい!」みたいなテンションではなくなったし、
言葉(自分)の使い方や向き合い方も含めて、お互いを大切に出来る人とだけ、繋がっていたい。





……もしかしたらこれは、私が私のことを昔よりずっと大切に出来るようになったからかもしれない、とこの記事を書いていて今ふと思った。


「これ、わかんないんですけど」と相手の時間を当たり前のように盗って行ったり、
ノリと勢いのその場しのぎの適当な言葉で取り繕ったり、
「~してくれるんですか?」と相手を自分の何かを埋めるための存在としてみなしていたり。


自分の人生を「自分のために」ではなく、「相手のためになるなら、まぁいっか」と簡単に差し出してしまう自分の弱さからはだいぶ距離を取ることが出来るようになったから、そういう言葉たちが引っかかるようになったのかもしれない。


言葉ひとつとっても、私のことを人として大切にしてくれる人。言い換えれば、自分を大切に生きている人。
相手の人生を尊重し、消費しない人。自分を削るように差し出してしまわない、自分も尊重できる人。



やっぱり、そんな人達とだけ、ていねいにこれからを生きていきたい。



文章を書いてると自分の心がクリアになっていいな。

自分のために言葉を紡いでいくこの贅沢な時間は、もっと大切にしてゆこうと思う。

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藤峰 みのり
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