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【log.】 SMは優しさの灯火
こんなにも、自分という輪郭が浮き彫りになることは、人生において他にない。
こんなにも、恐怖や弱さを覚える心の一番やわい部分を、そっと包み込まれることも。
SMは確かに痛みが伴うけれど、それは身体的な痛みじゃない。
生まれてから今まで負った数々の傷が、もう一度かつての痛みを再現するから痛いんだ。
そしてそれらを、目の前で温かく溶かされてゆく。
その安心感は途方もなくて、その温もりに包まれたいからこそ、痛みを自分から差し出す。
痛みが好きなんじゃないし、痛みに興奮するわけじゃない。
極限の緊張の先にすべてが温かく溢れて溶けるのが、「生きていること」そのものの本来持つ快楽を感じさせてくれるから。
それは、単なる肉体の緊張〜弛緩から生まれる絶頂なんかじゃ、到底届かないところにある。
鞭を振るったり、蝋燭を垂らすのがSMじゃない。
それらを通して「かつて本当は痛かったもの」をわかりやすく再現し、そしてどこまでも優しくそれらを抱きしめて癒し愛し抜くのが、SM。
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啄むようなキスが気持ちいい時と、どうしようもなくくすぐったくなってしまう時がある。
この日は後者だった。くすぐったくて、嬉しいのに体が逃げてしまって。
どうしたらいいかな、Kanaの落とした素直な問いに、「一旦リラックスして、"気持ちいい"を感じる状態に体のスイッチを切り替えたらいいと思う」そう答えた私の体は、うつ伏せにひっくり返された。
慢性肩凝りの肩甲骨や首筋がほぐされてゆく気持ちよさに、すぐに体も思考も解れてリラックスしてしまう。背中、脚、とその後も全身余すことなく弛めていってくれていたらしい。深夜だったのもあって、急激に意識が遠のいていった私の記憶は、肩甲骨に触れる自分より少し高い体温のところでしっかり止まっていて。
だから、突然走った痛みに、ほとんど溶け切った思考はちっとも回復しなかった。体は痛みにすぐさま強張るのに、脳みそは気持ちよさ深海をただずっと揺蕩っている。
これが最適なんだと思う。SMにしろセックスにしろ、脳みそが蕩けて、もう戻ってこないところまで沈んでしまってからの行為。理性の残ったままでのそれに比べたら、天と地の差どころじゃない。
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