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清明とお花見


今回は、書きたいことがありすぎて、長文です。
特に、自分が大好きな西行法師の歌を時期にしたくて、
気が付けば、あと数時間で清明から穀雨に変わる頃に投稿となりましたが、

我が執筆ペースに一片の悔いなし


まとめ

ざっくり以下のような、ダラダラ記事です(笑)

  • 清明節と清明の違い

  • 春は一日でいうと朝にあたる

  • 古典からみた春

  • 春が眠いのは何故か

  • 花見のはじまりや予祝

  • 十三詣りという風習

春は始まり

春分点から2週間。
太陽黄経15°を過ぎると、清明。

2024年は、4/4(木)16:02に、太陽黄経15°を通過。

記事を書き始めたのは4/8。投稿は、4/19。
はい、遅刻投稿ですね笑
ギリギリ清明のうちに滑り込み

清明節と清明の違い

ちなみに、

二十四節気の清明と
清明節

この二つは、若干違う言葉。

清明節は、台湾や中国の風習で、故人を偲ぶ風習。
日本でも、沖縄で清明節が行われている。
春分の日を仲日にする、春のお彼岸と同じ感覚。

清明節の前の晩は、寒食という火を使わない食事を摂る風習もある。
もちろん、前もって煮炊きした料理を食べる。
禁火となったのは、火事が起きたことにちなんでいる。

詳しくは、こちらに。

冬至の翌日から105日、だいたい3か月半後。
前回の冬至が、2023年12月22日。なので、2024年4月11日になる、はず。

新しい朝が来た


二十四節気を二十四時間に当てはめると、こうなる。

24時間におきかえると

冬至が真夜中0時。
立春が午前3時。
春分が夜明け(朝6時)、なので清明は朝7時くらい。

清明の由来は、清浄明潔を略した造語ということ。

万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり

暦便覧
 天地が光り明るく清々しい生命力に満ち溢れている。

これを清浄明潔と簡潔にまとめた古代の人たちの語彙力は
さすが漢字圏ならではだと思う。
字そのものが意味をもっている表意文字だからこそ、
四字熟語が成り立つ。

春と古典

春は曙って聞いたけど、曙っていつよ

今、大河ドラマで繰り広げられている平安時代。

紫式部とだいたいセットで取り上げられるのが、

清少納言

彼女の代表作が、『枕草子』
そして、古典の授業でよく出典されるのが、

春はあけぼの
ようよう白くなりぬる山ぎは、少し明かりて
紫だちたる雲の 細くたなびきたる

『枕草子 第一段 』清少納言

あけぼの、とは夜明けのこと。
日が昇り始めるころ。
ちなみに、日本標準時、東経135°明石市の
2024年4/5、清明に入って最初の朝の日の出時刻 5:42

同じく明石市での冬至の日の出時刻が、7:04
だから約1時間半くらい早くなっている。

でも春は眠いよね

春は眠い。それも事実。
その理由は後から説明するとして

大昔に、「春は眠いんじゃ」と詩を詠んだ人もいる

春眠不覚暁

処処聞啼鳥

夜来風雨声

花落知多少

『春眠」孟浩然 

ザックリ意訳すると

「あんまりにも眠くて、夜明けが来たことも気が付かんくらい爆睡してしまったよ。鳥の声で起きてから、庭の花が散っているのを見て、夜中に風雨があったんじゃなと知った。春は眠いよね。」

寝過ごしても、なんだか風流な言い訳をしている詩だと思う。

同じように、春の眠りはこんな喩えにも使われている。

祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

平家物語 冒頭部
どんだけ天下を極め、偉そうにしても、
自然界の移ろいからすれば、ほんの一瞬に過ぎない。
寝たと思えばもう朝が来る春の眠りで見る夢のように儚く。
力を競い合う争いもやがて終わる。
風に攫われていく小さな塵のように。

平家物語には、作者が居ない。
一応、『徒然草』に
信濃前司行長が琵琶法師に弾き語らせた
と記されているけれど、
『源氏物語』や『枕草子』、『徒然草』のように
作者の素性が解っている訳でもない。

平家の落人が、過ぎ去った栄華を悔やみ、仏門に帰依して語った懺悔なのか。
源氏に所縁ある武士が、過去を悔やみ出家して、両家への弔い償いなのか。

どちらにしても、戦物語の出だしにしては
説法染みて問答歌のようだ

なんで春は眠いのか?

春が眠いのには、ちゃんと訳がある。

春は肝の季節

陰陽五行思想では、
春は肝で木の季節。

ここでいう『肝』には

  • 肝臓&胆嚢

  • 血を造る

  • 骨や爪、髪

  • 筋や腱、膜

  • 自律神経

これらも含む

皮膚は光を感知している

光と気温は外的刺激。
だから、1日24時間で一番外的刺激が強いのは、朝。

真っ暗から、光が徐々に広がる。そして、気温が変化する。

夜明け前は、一番暗いし、一番冷える。
その理由をザックリ一言で言うと、太陽の光が差し込む直前だから。

どんなに雨戸やカーテンを閉め切っていても、
人間の皮膚は、かすかな光に反応できる。
そして、わずかな湿度や気温の変化にも皮膚は気が付いている。

これを、ホメオスターシス、恒常性ともいうのだけれども、
ホメオスターシスの話は、また別の機会に。

ともかく、
夜遅くまで眠気が来ないのは、
ストレスホルモンが過剰な状態。

これを副腎疲労という。

英語では、Adrenal Fatigue(アドレナル・ファティーグ)といい
最近では専門の外来医院も増えている

カタカナで症状名が付くと、ご大層な病気のようだが、
多くの現代人は、副腎が疲労MAXだ。

その結果、

花粉症だの、PMSだの、EDだの、ADHDだの

ここ50年で、不健康極まりない人の方が多くなっている。

ストレス発散には、春の野山を歩くべし

じゃ、なんでここ50年で
副腎が疲れ切ってしまうようになってるか?

ハッキリ言えば、季節や宇宙のリズムを無視して生活しているからだ。

宇宙のリズムというと、なにやら怪しげだけれども

  • 朝、太陽が地上を照らす。

  • 夜、月や星が昇る。

  • 地軸と太陽との距離で、寒暖差が起きる。

  • 月が満ち欠けする。

そういう、宇宙視点で地球に起きている天体の動きのこと。

季節、つまり、二十四節気も宇宙のリズムと農業を組み合わせた智慧。

「そんなことを言われても、日々、アレコレ大変なんじゃい!」

そう思われる、そこのストレスMAXでイライラモードなあなた。

コンビニ行くついでに、
近所の公園にでもフラッと寄り道したらいい。




本当は、休みの日に植物が多いところに散歩に行ければいい。

コロナ禍の時、一人キャンパーが増えたというし、
登山を始めた友人知人も多い。

そう、自然から植物から、生命力を分けてもらうのだ。
植物が呼吸している酸素が充ちるところを、ゆっくりと歩く。

前に向いて歩くこと自体が、ストレス解消の一つでもある。

それか、清明の時期ならではなストレス発散といえば、
お花見、である。

花見の文化と予祝

花見はもともと、梅を愛でるもの

元々は、梅の花見るのが『花見』
香りが良く、春の訪れを告げる身近な花
令和の由来も、万葉集の梅の歌から

「初春月 気淑風 梅披鏡前粉 蘭薫珮後之香」

万葉集

桜には、稲が芽ぶく頃に咲くことから、
稲穂の神が宿る神木とされていたそうだ。
神社仏閣には桜の名所が多いのも、そのせいかもしれない。

だから、ご神木な桜よりも、梅の方が庶民的だったらしい。


万葉集では、約4500首のうち、梅の歌118首 桜の歌44首。

時代が変わって、平安の世。
古今和歌集では、桜に傾倒している文化背景が見える。
全1100首に対して、桜70首に梅18首。見事に逆転。
こういうのも、流行りや文化風習がてきめん現れる。

「久方の光のどけき 春の日に しづ心なく花の散るらむ」

紀友則

百人一首にも選ばれた、桜と言えばな一首。

桜を愛しすぎた歌人

桜の歌人と言えば、西行。
生涯に呼んだとされる約2300首の歌のうち、桜の歌がなんと200~230首。

私が、桜が咲くと思い出すのは、この歌

「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の望月のころ」

西行

実際に、桜の季節に釈迦を擬えるように入仏してるから、桜への愛と釈尊への傾倒の深さを身をもって表現していると恐れ入る。

花見は豊年万作を願う祈り

予祝、という言葉を広めた人たちが何人もいらっしゃるけれども、
今みたいな、「花より団子」な宴会方式になったのは、やはり江戸時代くらいかららしい。

もともと、「稲の精霊が宿る」とされたご神木である桜。

桜がきれいだと、今年は稲の精霊がたくさんの実りをもたらしてくれる。
だから、桜を大切に敬おう。

おそらく、そういう感謝の気持ちから豊年満作を願うついでに、
神様を喜ばせる舞や神饌を用意する。

そのおさがりで直会の宴を行うのが、だんだん宴の方がメインになり、
今のような桜の下でお花見をする風習へと変わっていった。
日本人あるあるな経緯だと思う。


花見の宴会が発祥した場所


嵯峨天皇の御代から約1200年来
日本人は桜を愛でている

予祝、とは「予め祝う」と書く。
つまり、前祝い。

春は、始まり。そう出だしに切り出した通り、東洋の暦は立春から始まる。
新年度も、何故か日本は4月。
これも、清明の頃、桜をはじめたくさんの草花が一気に目を覚ます時期だから、季節の区切りに良いと考えたお偉いさんがいたのだろう。

清明の風習といえば

実は、ものすごーくマイナーな風習になってしまったが、清明には大事な風習がある。

それが、十三詣り

旧暦三月十三日に、数え歳で13歳の子を対象にしたお詣り。
虚空蔵菩薩に智慧を授けてもらうよう、漢字一字を書いて奉納する。

子どもが勉強しない、と嘆く前に、
こういう風習を大人たちが大事にしていく社会であってほしいと思う。

清明の七十二侯

玄鳥至 ツバメが南からやってくる。

鴻雁北 ガン(冬鳥)が北へと移動する。

虹始見 虹が架かるようになる。





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