愛について。
photo by - 紫苑 -
自分が小学校高学年の頃。
父方の祖母である、ばあちゃんを亡くした。
小学校の授業で上手に書けた習字を手に持って、それを見せようと放課後、町内にある祖父母の家へと走って帰った記憶がある。
しかし、祖父母の家に立ち寄ってみるも、そこには誰もいない
あのとき。
ばあちゃんは救急車で、市内の大きな病院へと緊急搬送されていたのだ。
ばあちゃんが亡くなった事実を知ったのは、その日の夜のことだったと思う
死因は、" くも膜下出血 "。
そして、転倒によって池に落ちた事による、" 溺死 "だった。
ばあちゃんはその日、姉ちゃんが前々から「食べたい!」と言っていた春菊を取るため、庭にある池の周りで、それらを採ろうとしていたらしい。
残念ながら運悪く…… そのとき、くも膜下出血を起こして意識を失い…… 頭から倒れるようにして…… ばあちゃんは亡くなっていたそうだ
池の中に前のめりになり、意識を失っていたばあちゃんを見つけてくれたのは、近所のお茶飲み友達のお年寄りだったらしい。
倒れているのが見つかったときには時既に遅く 「医者も 手の施しようがなかった……。」と、両親から話しを聞いたのだった
一緒に住んでいた祖父は、自宅から離れた山のほうへと畑仕事へと出ていたため、その時には まったく気付けなかったそうだ
死因はくも膜下出血だったが、溺死でもあったため水膨れを起こしていて、
優しい面影も、原型をとどめていなかったそうだった
遺体として自宅に安置されたとき
白布で覆われたばあちゃんの顔をひと目だけでも見たい。とせがむと、まわりの大人たちは口を揃えて
「顔は 見ないほうがいい……」と
姉や従兄姉、子供たちの切実な気持ちを、困惑した様子で制止していた
死に際に顔を見なかったことが、果たして正解だったのかどうか……
いまだに複雑な気持ちになったりもする
大人たちも当然悲しんでいたが
学校帰りには祖父母の家に立ち寄って、従兄姉や姉と過ごしていたこともあり
子供たちは皆、たくさんお世話になった ばあちゃんの死を慎みながら
嗚咽を洩らして、それぞれに大声で泣きじゃくっていたのだった。。
思えば。
僕の幸せのピークは、ばあちゃんと一緒に過ごしたあの頃が、人生において、
いちばん幸せな時代 だったように思う
大切な人の" 死 "というものを経験し、
その事実を受け入れるのには、暫くの時間がどうしても必要だった
中学校に入学し、陰湿な" いじめ "が始まってからは、みるみるうちに僕は
生きる意欲や希望というものを、ひとつづつ失っていったのだと思う
大切な、" 心の拠り所 "を亡くすということ。
それが どれほどつらいものだったのか……
大人になり
あの頃の自分を振り返ってみて、
当時の自分は、
「相当な無理をしていたのだな……」と、
あらためて思う。
心の支えであった存在を失い
馴染めぬ学校生活と人間関係の理不尽のなかで
自分という個性や感情を押し殺し、
まるで機械のように、淡々と生きていた、あの頃。
ばあちゃんを亡くし、中学校に入学したと同時期くらいに
自分は、" 趣味や好きなこと "を一切 辞めてしまっていたのだった
あの頃は、淡水魚や熱帯魚を飼育するのが趣味で、同級生のお母さんが営んでいる 町の小さなペットショップに赴き、色鮮やかな熱帯魚と水槽を眺め、お小遣いを貯めては、その都度買いに行っていた時代だった。
ネオンテトラにカージナルテトラ、
スマトラにグラスキャットフィッシュ、
そして美しい闘魚のベタに、プレコ。
小さくて可愛いミドリフグなど。
祖父母の家の裏手には川が流れており、学校から帰ってきて立ち寄ると、祖父や従兄弟と並んで川辺で一緒に釣竿を伸ばし 釣糸を垂らしては、" 魚釣り "というものに熱中していた。当時のことを思い出す。
鯉(コイ)や鮒(ふな)、ウグイやオイカワ、なまずにギギ、銀魚。そして、ブルーギルにブラックバスなど。
釣った魚はその都度、祖父母の家の池に勝手に放流していたと思う。
町の小さな釣具店に赴くと、小学生の自分には少し高額な、バス釣り用のルアーやワームがたくさん陳列されていて、少ないお小遣いのなかで、自分はどれを買おうか。と目をキラキラとさせていたように思う。
使っていたのは、同じように魚釣りが好きな従兄弟から貰った安物のロッドとリールではあったけれど、自分にはそれらすべてが、まるで宝物のようだった。
小学校の頃は、ノートやチラシにイラストを描くのが趣味であり、それをまわりのクラスメートや友人たちに披露しては褒められていたくらいに得意ではあった
楽しい思い出だったが、中学校入学のそれ以降、楽しく絵を描くことすらも、次第になくなっていったような気がする
好きだった熱帯魚の飼育も
あれほど嵌まっていた釣りも、
得意だったイラストを描くことも、
一切、やらなくなってしまったのだった……。
きっと、何かを楽しむ気分ではなかったのだろうし、その気力や精神的な余裕がなかったのだと、当時の自分を振り返ってみて思う。
うちの両親は共働きで、父は町の工場で働いていたし、母も同じように、町の病院に勤めていた。
日が暮れて、仕事おわりの両親たちが (叔父夫婦も同じように) 迎えに来るまで、姉や従兄姉や自分たちは、その間、祖父母の家で遊んだり、夕方のテレビアニメやドラマを並んで観たりしながら、皆で一緒の時間を過ごしていたのだった。
仕事から帰ってきても、父は相変わらず口数が少なく 感情の表現に乏しかったし、気に入らない些細なことがあると まわりに対して癇癪を起こして怒鳴り散らしていた記憶しかない。
忙しい母に変わり面倒を見て貰った事といえば、父は半ばギャンブル依存性に片足を突っ込んでいた感じでもあったので、幼い自分たちを連れてパチンコ店や競輪場のような賭場にその都度連れて行ったり、食事はと言えば外食の町内のラーメン屋さんで、毎回いつも同じ場所だった。
母は母で、病院の仕事は夜遅くまで続いていたし、休みも不規則な日程だったので 父や自分たちとは休日が一切合わず……
家族で一緒の時間を過ごした記憶があまりない。
何より、お見合い結婚だった父とは相性がすこぶる良くはなく…… 二人はその度に喧嘩による言い合いをしていた記憶しかない。
母も極度のヒステリーと偏頭痛持ちで、不機嫌な態度を突き付けては「察して」系の人だったので、正直、幼少期の自分は 母からのスキンシップや愛情を感じたことは、あまりなかったように思う。
そんな両親の不和を察していたのか……
子供たちに足りない愛情を補うように
ばあちゃんは自分たちに対して、惜しみ無い愛情を 燦々と注いでくれていたのだった。
ばあちゃんはいつも静かに微笑んでいて
自我を通さず、謙虚で。
決して口数は少なかったけれども、
穏やかな性格をした、とても優しい人だった。
唯一の欠点があるとすれば、孫たちの前でも気にせずに煙草を吹かす、ヘビースモーカーだったことくらい。
背丈はずんぐりとしていて、ファンタジー作品に出てくる" ドワーフ族 "に ちょっとだけ似ているな。と思う←ごめん。
野山や川辺で傷ついた野生動物を散歩の途中に偶然見つけると、家に連れて帰り、消毒薬と包帯で簡単な手当てをし、少し大きめの納屋で動物たちを保護しては餌を与え、元気になったら再び野生へと返していた… 当時のことを思い出す。
大体が、カルガモなどの野鳥だったと思う。
あと、野良猫にやられて怪我した野うさぎとか。巣から落ちた雀の雛とか。
( ※ 現在は条例が厳しくなった事もあり、罰せられるので、決して真似しないでくださいね。)
自分が幼い頃。
近くの商店にお菓子やおもちゃを「買いに行きたい!」と言うと、一緒に手を繋いで、足も悪かったのに わざわざ歩いて、買い物に付き添ってくれていた。
繋いだ手のひらはずんぐりとしていたけど、包まれていたその手が、とても優しくて、
この世界の何よりも あたたかかった。
大雨が降り、稲光と轟音を轟かせる雷を怖がって不安そうにしている幼い自分を安心させようと、炬燵に座ったままこちらに手招きをし、自らの懐に僕を抱えては、優しく頭を撫でてくれていた。
幼少の頃の自分はとても好き嫌いが多く、野菜が苦手で、普通に料理を作ってもまったくと言っていいほど食事を受け付けなかったこともあり
ばあちゃんはその都度 頭を悩ませては、手作りの味噌おにぎりを作ってくれたり、野菜を細かく丁寧に刻んで、子供用の特製のカレーライスを作ってくれていた。
僕が、わがままを通して両親と喧嘩をしてしまったときには、「あの子が可哀想だ」と
両親に対して仲裁をしてくれたり、
意地を張って家に入れないで泣いている僕のことを、外まで迎えに来てくれたりをして
「もう誰も怒っていないから、家に入りなさい」と、幼い自分の背中にそっと手を回し、優しく諭してくれたのだった。
共働きで忙しい両親に代わり
保育園までの結構な距離を、歩いて迎えに来てくれていたのも、ばあちゃんだった。
二人で並んで 手を繋いで帰った、あの優しい日々を…… 今でもふと 思い出します。
学校帰りに祖父母の家で夕方まで過ごし
ようやく仕事を終えた両親が、僕らを迎えにやって来る。
孫たちを見送るために一緒に外に出ると、
僕らを乗せて走り出した車が見えなくなるまで、ばあちゃんはずっと、笑顔で手を振ってくれていました……
姉も僕も、同じように。
その姿が 見えなくなるまで。
……………………
………………
…………
……
…
殺伐として混沌とした、この世の中で。
あの人から注がれた、真っ直ぐな愛情がなかったら
僕はきっと、何も信じられなかったのだろうし
愛情不足によるフラストレーションから、
闇雲に人を傷つけたり、騙したり、
明確な悪意を持って 誰かを陥れるような……
そんな、" 心の荒んだ人間 "になっていたのかも知れない。
「お前は 気持ちが優しすぎる。」と
まわりの人たちは、口を揃えて、自分に対して言う。
けれども、この思い遣りと優しさを自分にくれたのは、紛れもなく " ばあちゃん "なのだとも思う
あの人が注いでくれた愛情が、
偽りのない 優しさや思い遣りが、
今でも自分自身の、" 生きるうえでの指標 "になっているのが分かる
荒んだ生き方をしないように
自分も、まわりの人たちも、大切にしながら生きてゆけるように
真の意味で
今でも、その想いが
" 僕のことを、守ってくれている "。
僕には それが分かる。
自分が想う、最愛の人をひとり。思い浮かべたとき。
いつも心のなかに浮かぶ存在は、父方の婆ちゃんでした。
お盆も近いということで
今年もちゃんと、思い出してあげて
お墓参りもして来ようと思います。
祖母は秋雨の降る季節に旅立ったので……
ヘッダーの写真は、秋の夕暮れを選びました。
優しい思い出と共に、
その存在は、いつも自分の 心のなかに。
- 紫苑 -