場所を選ばない働き方と言うならば・・
この1年で多くの価値観が変わってきましたが一番多い価値観の変化は「働く場所」に関連したトピックではないでしょうか?
事実、僕の周囲の知人・友人の中には会社のオフィスにいくこともなく、完全に在宅ワークになっているという人もいます。家で十分なパフォーマンスを示すことができている(たぶん)ようなので、働き方というものの新しい形であると言えますね。
先日もNHKクローズアップ現代+で「出社?在宅?コロナ禍の働き方最前線」という特集をやっていました。様々な事例がありましたが、いずれにしても今世の中で注目のワードのひとつであり、価値観が表に出やすいものであると思います。
では、こんなことを書いている僕はどうか・・という話ですが、
現在絶賛出社中です。朝、普通に電車にのって移動して、通常通りに始業し昼休みも同じようにとり、少しの残業をして夜帰宅。
コロナ前とほぼ変わらない勤務体系となっています。もちろん会社がそうしろ!といっているわけではありません。特に、緊急事態宣言下であるならば在宅ワークも可能な就労形態になっているのですが、僕は在宅ワークが得意ではないというのが本音です。
家にいると、境界線が曖昧になってくる傾向にあるというのが僕の性格です。集中度が違うと言うのもあるかもしれません。
とはいえ、リモートワークは実践しています。例えば出張は減りましたし、会議も集合することは減りました。出社はしているけど、リモートワークをしてるというのが実態ですね。
さぁ、今回のタイトルである「場所を選ばない働き方」。この言葉を使うと、どうも付属してくる言葉として「会社にいかない」があるように思いますが、実際は違いますよね。
「場所を選ばない」だけで、その場所の中から「会社が外される」というのは違うと思います。
要は、仕事のしやすい場所で仕事をする
ということです。この仕事をしやすいというのには、おそらく業務というものの他にもあるようにも思います。そう、仕事仲間とのコミュニケーションです。
コロナが人類にもたらしたもののひとつに「分断」があるように思います。
仕事というか、業務というかそういうものに対しての「分断」は様々なデジタルツールでなんとかなっていると思いますし、事実便利に使えています。しかし、コミュニケーションというものについては、やはり人次第ということのように思うのです。
「場所を選ばない働き方」という言葉には、「合理性」が前面に出てきますが、働くということに含まれる「非合理性」の部分にもフォーカスを当てて、その上で「場所を選ばない」ということを考えて行けれればいいなと思う次第です。
そんなことを先日のクロ現+で思ったのでした。