【Report=井上ひさしが掛けた不思議な魔法を精緻に組み立てる俳優陣、こまつ座舞台「吾輩は漱石である」稽古場リポート(2022)】
夏目漱石がその最晩年の数年間に胃潰瘍や胃の疾患、糖尿病などで何度も倒れて入院したことはよく知られた話で、この期間の最初の入院となった東京での入院の後に転地療養のため向かった修善寺で吐血し、危篤になって生死の境をさまよったことは特に「修善寺の大患」と名付けられて文学史に刻まれている。その際に漱石がどんなことを考えながら床に横たわっていたのかは本人しか分からないのだが、井上ひさしは、この臨死体験の30分間に漱石が「見たかもしれない」夢のような断片をファンタジックに組み立て、漱石が生んだ数々の名作ともリンクさせながら、とてもとても不思議な空間を創り出した。それが、今年11月12日の初日に向けて稽古が続くこまつ座の第145回公演「吾輩は漱石である」である。俳優たちはいくつかの、脈絡があいまいなエピソードの相互間に深いところで共通した何かを見い出せるようにすることには苦労していたが、漱石作品へのオマージュをたっぷり含ませた井上の魔術のような物語の世界を緻密に組み立てることに心を砕き、稽古場は多彩な表現が絡み合うクリエイティブな場所となっていた。わたくし阪清和と当ブログ「SEVEN HEARTS」が、現在上演中のこまつ座第144回公演「イヌの仇討」に続いて特別に取材を許可された東京都内の「吾輩は漱石である」の稽古場から、開幕直前の高揚感を緊急リポートする。(写真は舞台「吾輩は漱石である」の稽古の様子。左から平埜生成、賀来千香子、鈴木壮麻=撮影・宮川舞子、写真提供・こまつ座)
舞台「吾輩は漱石である」は11月12~27日に東京・新宿南口の紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA(新宿三丁目の紀伊國屋ホールではありません。お気を付けください)で上演される。
ご予約・お問合せ:03-3862-5941(こまつ座)
当ブログ「SEVEN HEARTS」では11月12日の東京公演初日公演終了後数日以内に、舞台「吾輩は漱石である」の劇評を、「阪 清和 note」と同時掲載します。劇評は序文のみ無料で、劇評の全体は有料です。300円を予定しています。
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★舞台「吾輩は漱石である」2022年公演情報
出演は、鈴木壮麻、賀来千香子、栗田桃子、若松泰弘、木津誠之、石母田史朗、平埜生成、山本龍二。
舞台「吾輩は漱石である」の初演は、1982年。木村光一の演出で、小沢昭一が主演した。
修善寺での大吐血で危篤に陥り、奇跡的な回復を遂げるまでの約30分間の漱石の思いを推し量った井上の創作である。
この臨死体験は漱石の死生観に大きな影響を与え、以降の作品に反映されたことは間違いなく、文学研究者の間でも大きな探求点、研究テーマになっている。
簡単にあらすじを整理すると、育英館開花中学に入学した少年、金成賢吉(平埜生成)が早退を許可してもらおうと職員室を訪ねると、ひとりの見知らぬ男性が立っていた。生徒のようには見えないが先生ではない。落第し続けて未だに中学にいる山形勘次郎(鈴木壮麻)だというではないか。
気さくな様子に賢吉は仲良くなれそうな予感がしていたが、不在の先生たちが戻って来て、大変な騒ぎになる。いや、金成や山形のこととは関係ない。先生たちが受け取った校長からの手紙にはとんでもないことが書いてあったのだ。
これまで中学に姿を見せなかった校長が自らの不明を恥じ、命を清算した後に学校も処分するというのだ。
絶望的になる先生や二人の生徒の前に現れたのは遠山華子(賀来千香子)という女性。快活な上におしゃれで裕福そうな華子の口から聞こえた「学校経営に興味がある」という言葉。先生たちは色めき立つが、またも届いた校長からの手紙で情勢は一変。山形は華子を追い出してしまう。
はたして開花中学は? 賢吉たちは? というお話だ。
ふせっている旅館での漱石と妻の夏目鏡子(賀来が2役)の様子も描かれている。
開化中学の先生たちは三四郎(若松泰弘)という名前の者がいたり、華子がマドンナ風だったり、「坊ちゃん」「三四郎」「それから」「こころ」などの漱石作品を思わせる人物が登場する。
稽古場では一部のシーンを小分けにして再度チェックする「返し」と呼ばれる作業を済ませてから、全編を休憩時間まで本番と同じにした「通し」とよばれる作業に入った。
当時の実年齢44歳の漱石が留年続きの中学生、山形勘次郎として出てくるものだからすぐに夢だと分かるのだが、そこにはコミカルな雰囲気だけでなく、まるで宮沢賢治の小説のようなファンタジックな色合いやペーソス、郷愁もあるので、観ている方も物語という海をたゆたうようなふわふわした感情に包まれる。
もう死んでしまっているのではないかとあきらめかけていた校長から手紙が来た時のリアクションについては演出の鵜山から注文が飛ぶ。他にも説明過多な感じになるところには厳しい修正が入る。
さらに鵜山は実際の言葉の裏に隠されている感情にも繊細な目を注いでおり、少しはったり目にせりふを言うように指導するなど、稽古終盤特有の妥協を許さないダメ出しを出す。
俳優にとっては、それぞれの部分が実は自分でも迷っていたところであったり、自分では読み取れていなかったりするところであったりするので、大きくうなずきながら台本に書き込む姿が多く見られた。
鈴木は劇団四季出身でミュージカルを中心に活躍して来たベテランだが、こまつ座公演、井上ひさし作品は初出演ということもあって、緊張感を持って臨んでいたが、稽古を重ねるうち、井上戯曲の深遠さにのめり込んでいる様子。
中学生になり切ることも楽しんでおり、井上作品の特徴である名調子で饒舌に話すキャラクターの役目もきちんと果たしている。
今回の出演は、鈴木の今後の表現力に大きな影響を与える予感がする。
賀来もこまつ座初出演。
明るく華のある女優としてのキャラクターを活かし、謎の女性、華子を意識が高くキャリア志向のはつらつとした女性として描き出しているが、華子にはどこかヤマ師のようないかがわしさ、うさんくささも感じられるように、複雑な造形を施している。井上の戯曲が持つ、こうした多層的な特徴に十分応えているのだ。
後半に活躍する漱石の妻、鏡子のしっとりとしていながらきっぱりとした雰囲気も賀来ならではの味わいだ。
平埜はこまつ座とは縁深く、2017年のこまつ座公演「私はだれでしょう」に、戦争で記憶をなくし、自分の正体が分からなくなってしまったためラジオ番組で自分探しをする青年を演じ、読売演劇大賞男優賞部門の2017年上半期ベスト5にノミネートされた実績を持つ。
今回演じる金成は、不登校など決して認められない時代に生きづらい思いをしていたであろう繊細な少年。平埜の一途な演技は、その苦しさと共に、山形や開化中学の先生らの存在に慰められつつある金成の心をうまく映し出している。稽古では山形とのやり取りを入念に確かめている姿が印象的だった。
「日の浦姫物語」でこまつ座経験を持つ木津誠之や「闇に咲く花」で知られる石母田史朗、「組曲虐殺」での印象が強烈な山本龍二、そして「父と暮せば」であまりにも有名な栗田桃子はこまつ座、そして鵜山が求めるものを着実に浮かび上がらせているし、初登場の若松泰弘もこまつ座に新しい風を吹かせている。
舞台「吾輩は漱石である」は11月12~27日に東京・新宿南口の紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA(新宿三丁目の紀伊國屋ホールではありません。お気を付けください)で上演される。
上演時間は休憩を含めて2時間30分ほどを予定。
★チケット情報(東京公演)=最新の残席状況はご自身でお確かめください。
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