「なぜ、子どものスポーツを見ていると力が入るのか」を読んで力を抜く。
あるスポーツがメジャーになることで、プロになる(時には年俸何億、何十億というレベルで)、進学に有利になる、大学の奨学金を得る、などといったインセンティブが生まれる。
子どもや親、そして指導者にとってスポーツが様々な欲望と自己実現のツールとなり、巨大ビジネスが参入し競争が激化することで本来の「遊び」としての楽しさや健康維持といったスポーツのエッセンスが歪められ、そのインセンティブが指導者の攻撃性や保護者の加熱を生み出していることは否定できない。
私の知人に、自分が作ったサッカークラブから巣立った子どもがJリーガーになった指導者がいる。彼は口を開けば「あいつは俺が見つけ育てた」と、その選手の話題を繰り返す(そのJリーガーはもう解説者になる年齢だ)。
谷口さんはこの本の中で、そんなヒートアップしている大人たちに、ちょっとしたリラックスのコツを与えてくれている。
第1章の扉より:試合会場に掲示されている「観戦する保護者らの過熱を戒める看板」
◆あなたのお子さまからご注意です
・僕は子供だよ
・これはただの試合だよ
・僕のコーチはボランティアだよ
・審判だって人間だよ
・今日は大学の奨学金をもらえる日じゃないよ
育成年代の子どもを持つ私の現場感覚として、長くて10年くらいで過ぎ去っていく育成世代のスポーツは、当事者が絶え間無く入れ替わるため、自分の子どもの代の反省や知見を次の世代(次の学年にすら)へ伝えていくのは至難の技だと感じている。保護者の考え方もランダムだ。
その一方で、子どものスポーツ環境の様々な問題を研究し続ける専門家がいる。
谷口さんはこの本のなかで、研究者の発表や資料を読み解き(それはとても時間のかかる骨の折れる作業だ)、そこから得られた貴重な知見について、私たちに噛み砕いて伝えてくれている。
私たち保護者が子どもたちのスポーツに関わる日常の中で、子どもの活躍に一喜一憂しすぎたり、つい余計なことを言い過ぎて自己嫌悪に陥ったりしたとき、ふと冷静になって考え直したりアプローチを変えたりする「きっかけ」を与えてくれる。
子どもを抱え仕事をしながら、PTAやらスポーツクラブのお当番やら、子育てにまつわるありとあらゆる親のタスクをこなしているうちに、子どもたちはあっという間に成長して家を出ていってしまうだろう。
でも、その短い期間の中で子どもたちは一生抱えるような精神的、肉体的な傷を負うことがある。
好きだったスポーツから離脱して一生戻ってこないプレイヤーになることもあるだろう。それはあなたの責任である可能性もある。
でも、谷口さんは私たちに向かって「親はこうあるべきだ、こう変わらなければいけない」という言い方は一切しない。逆に、少しでも思い当たることがあれば参考にしてみてください、というスタンスだ。
なぜなら、谷口さん自身が親として徹底的に内省的だからに他ならない。
どのくらい内省的かは読んでもらえばわかると思うが、自身の失敗や反省を淡々と、かつ誠実に繰り返し語ってくれることで読む人は自分の過ちや傷を癒されるように感じることだろう(少なくとも私は何度も癒された)。
日本ではスポーツに対する科学的、哲学的なアプローチが馴染まないことは百も承知だが(もし得意ならとっくに変わっているはず)、谷口さんの言葉に素直に耳を傾けられる大人が1人でも増えたら、そのスポーツは私たちの生活に文化として長く根付いていくことは間違いない。
本書にある「24時間ルール」、今日から私も使おうと思います。
私は日米を比較して論じるには知識も経験も少なすぎるけれど、自分の海外経験から今も感じているこの国の課題は、大人の「寛容さ」だと思っている。
日本のスポーツ環境は、ひとつの種目(指導者、所属チーム)に縛られ過ぎる傾向があると思うし、失敗に罰を与えたり、自己犠牲や連帯責任を強要する(時代遅れな)傾向が根強い。だから、大人がいまより少しだけ「寛容さ」を身につけ、子どもを楽しませる気持ちを持って、彼らを応援してあげて欲しいと思います。
最後に谷口さんの言葉を。
「スポーツは人の心身に対して大きな力を持ちます。それだけに、人間の邪悪な気持ちを刺激されたときには、ダークサイドに引きずり込まれそうになります。そのときにふと我に帰ることができるよう、視点や気持ちの切り替えになるような、スポーツペアレンティングであれば良いなと思います。
子どもがスポーツを楽しめるように。心身を解放できるように。懸命に打ち込めるように。かけがえのない時間を過ごせるように。ここに記したいくつかの方法のうち、使えるようなもの、アレンジできそうなものがあれば幸いです。」