障害者になってくれてありがとう。
しばいぬです。旅をしながら手書みを綴っています。Instagramではご縁があったり素敵だと感じたヒト・モノを取り上げ好き勝手に楽しんでいます。
『抽象度を限界まで絞らないと始まらないストーリー』
ということについて。
実はですね、私には恵という名のおかんがいまして、つい5ヶ月前まで一緒に住んでいたんですね。恵は優しくてばか正直で要領が悪く、お金と男には恵まれなかった可能性があるんです。※名前は恵(笑)
というのも父が借金と失踪と暴力を繰り返していました。でね、僕はぐれたかったんですが、まぁビビりな性格でその怒りはヒトではなく対象がモノでした。怒りが込み上げると止められなくて食事はぶちまける、バットで家の壁をぶち壊す、自分の頭を柱に打ち付ける、拳でガラスをぶち壊す。等…
もぉね思い出すとお恥ずかしいんですよ(笑)恵に迷惑かけたんです。
だから僕はお金稼がなきゃと社会人になってお尻から血が出るくらい働いて、2015年母を父のもとから奪還し千葉の田舎から東京のど真ん中に連れ戻しました。
僕もおかんもお金も心の安定も手にして僕もそろそろ結婚もしたいな、なんてルンルンしていたんです。2021年のスタートした時は(笑)
今どうなったか。
「命は取り留めました。意識が戻るかわかりません。しかしいつ急変してもおかしくない。」
こんな状態になってしまいました。今も病院にいますが急性肝不全、臓器移植、脳のてんかん、脳梗塞、脳出血、肺気胸。5ヶ月体は薬漬け。限界のところにいます。コロナで全く会えなくついに鬱になりました。でね、看護師に私呼ばれまして。こんなこと言われました。
もし退院出来たとしても24時間の介護が必要な状態でお返しすることになります。
もちろん看るのは僕。この時電気が走ったんですよ。わかったんです❗
「なるほど!こうゆうことなのか!」
小学校の時、僕は結構目立っていてサッカー部のキャプテンして学級委員長やって運動神経抜群みたいな感じでした。(自慢みたいでごめんなさい)で同じマンションになおちゃんとかずくんという知能障害の身体障害者の子達が住んでいたので登下校を一緒にしていました。僕は同じ世界で生きていたから障害をもったなおちゃんとかずくんが愛おしかったし、彼らをいじめている奴らを見つけると許せなくて、ボコボコにしてた。でも今考えるといじめてるやつは、悪くなかったんじゃないかなと思う。何故か。それは
障害者と健常者と呼ばれる人たちの間には、それぞれいきる道が別れてしまった社会がデザインされているから
そして
障害者とか高齢者とか役場の人とか政党がどうかとか、抽象度を広く捉えた瞬間完全に他人事になり興味関心が削がれてしまうのではないか。
そう考えるようになりました。
肩書きや役職ではなく"個人"として関わっていかないと結局何も始まらない。
たとえば障害者の人たちという一括りではなく、「いつも竹内まりやを口ずさんでいる素敵なブラウスをきている恵さん」とか「○○さん」とか。抽象度をおもいっきり狭め、個人として落とし込み、繋がれる場や経験があればいらない差別や偏見は自然となくなっていくんじゃないかな。その瞬間その人はもぉ「障害者」ではなくなる可能性を秘めている。
かずくんとなおちゃんをいじめてたとなりの学校の奴だって核家族を戦後強いられたGHQの罠にハマっただけなのかもと。恵が障害を持ってくれたことで考えるに至ったんですね。
『抽象度を限界まで絞れた、おかげで新しく始まるストーリーがやってきた』
おかん!
障害を持ってくれてありがとう。やっと気づけたよ❗最高の未来を作ろう。そんな母に4度目の緊急事態宣言のお知らせのお手書みを書こうかな。
飲食店とか日本とか一括りにしてるとやつらに洗脳され、行動デザインに敷かれてしまうので、僕は今日も抽象度を絞って個人に出来るだけ落とし込んで、動いていこうと思います
長くなりました。感謝を込めて。
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