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アートと新規事業の類似性: 美大卒生が就職したら社内ビジコン担当になって、そして気づいたこと(偶然日記#11)

今日はnote.のプロフィールを更新してみた。ちょっとずつお手入れ。

仕事で新規事業やオープンイノベーション、社内ビジネスコンテストの運営を担当して3年。仕事を通じて友達が出来て楽しい。1ヶ月ほど前に、界隈で話題となった、内閣府が発表した「ワタシから始めるオープンイノベーション」という大企業でオープンイノベーションがうまく進まない現状をまとめた報告書(詳しくはeiiconさんの記事を参照)。

報告書には「内発的動機づけがポイントだ」というようなことが書いてある。僕の仕事は、オープンイノベーション(社内外のつなぎ役)と社内ビジネスコンテスト(提案社員のメンター)の割合がほとんど。そんな色々な人たちのつなぎ役やメンターを3年間やっている中で、まさに課題に感じていたのが担当者や提案者の「内発的動機づけ」だった。

内発的動機を持ち、それを行動に移す。これが中々できない人に対して、できちゃってる人の態度はだいたい4つに分かれる気がする。

①関わらないようにしてる人
②寄り添おうとするが、「なんでできないの?」と切り捨てる人
③寄り添いつつも、段々歯がゆくなって、自分がやっちゃう人
④寄り添いながらも、丁度いい距離を取って暖かく見守る人

僕の感覚では上から順番に割合が多い。どれが良い、悪いではない。ただ、僕がこれまで出会った中で、愛すべき人たちは4番目な気がする。僕も4番目を目標にしたいと思っている。

内発的動機を持つことは中々難しい。僕もそうだったから良く分かる。今は「自分が自分らしくあれる社会」を目指して行動することが僕のミッションだと天啓が降ってきた(笑)が、つい1年前から徐々にである。ちなみに僕は今40歳(自分でも信じられない)。

そんな僕が「内発的動機を持つことって難しい」と強烈に実感したのは、28歳のとき、イギリスの大学でMultimedia Design学科(現Interactive Design学科)1年次を終了後、ファイン・アート学科2年次に転籍したときだ。デザインの成績は上々で71(Aみたいな感じ)だった。(下図はその時の成績表。本名は隠しました汗)

とは言え、ファイン・アート学科に転籍したとき、自信満々という訳ではなく、むしろ「本当に自分はアート作品を作れるのか?」という不安があった。ファイン・アートの先生に転籍の交渉をしたときも、最初は難色を示された。

それでも、力試しができる興奮とスリルを覚えながら、自分のスタジオ(アトリエ)で、真っ白なキャンバスを壁に掲げ、「さぁ、描くぞ!」と意気込む。


・・・。


・・・。


何も浮かばない。

何を描けば良いか分からない。

デザイン学科では課題が与えられた。「課題をどう解釈して解くか?」を考えると創造力がみなぎるのを感じた。でも、もちろんファイン・アート学科では、レポートやドローイング練習とかは別にして、「何を作るのか?」といった課題はない。

筆が一向に進まない。

日本の美大のことは分からないが、向こうのファイン・アート学科では、アーティスト・ステートメントという、どんな問題意識を持ち、どんな道具を使って、どんな表現をする、さらにどんな他のアーティストを参考にしている、というようなことをA4一枚でまとめて、定期試験や展覧会ごとにアップデートしながら作品とともに掲出しなければならない。

その時から「自分は何を描きたいのか?」という自問自答が始まった。それが11年前。

「自分では分からないが、長い歴史が証明するアートの価値について、その世界に飛び込めば理解できるかもしれない!」というアート・ワールドへの冒険に出る「内発的動機」はあったが、その世界で「何を表現したいのか?」という内発的動機がなかったのだ。

でも、作らなければ落第だ。半ば無理やり捻り出した。

最初は「自分の記憶を辿る」的な感じ→「ユーモアのあるショート・ストーリー」→「シュミラクルとシミュレーション」→「故郷」→「マイ・ヒーロー」→「都市と情報と格差」とコロコロ変わっていった。

テーマは変わるが、作品数はそんな出来ないという、ダメなアート学生(笑)。結局、卒業時の成績は63。セカンド(アッパー・ディビジョン)という「B」くらいの平凡な感じでした。

卒業後も、作品制作はほとんどしていなかったが、「自分のアーティスト・ステートメントは何か?」については、読書や仕事、生活を通して探究し続けていた。そうこうして、卒業してから約8年後の去年、前半で書いたように、ようやく、そしてそれは突然に降ってきた。

この辺りは、また別の機会に書きたいと思うが、最後に一つ。この12年間の探究を続けることの支えになった恩師の言葉があります。

当時60歳過ぎのDavid Dyeという、いつも穏やかで、どんな時も温かいアドバイスをくれる彫刻の先生が、「アートの学生はどうやってプロになるか?」という授業で(企画書を書いてお金を出してくれる人を探しなさいとか、営業ツールを準備しなさいとか、そんな授業がある)、話してくれた言葉です。

「僕はロンドンの美大を卒業した後、作品を作りながら、声が掛かれば非常勤講師として国内外の美大を転々と回っていた。生活しないといけないからね。もちろんお金はないから、節約のために深夜バスで移動して、空き家を見つけてはそこに寝泊まりしてた。雨漏りもひどかった(笑)10年近くも続けたかな。当時は大変だったかもしれないけど、楽しかった。それで、僕が皆にこの授業(どうやってプロになるのか?)の最初に伝えたいのは、アーティストは職業じゃない、生き方なんだっていうことだ。」

残念ながら、Davidは数年前に癌で亡くなってしまいました。Davidは、僕が出会った尊敬する人たちの中の一人です。

「Davidのおかげで、僕は僕なりに続けられてますよ!David Dye, ありがとう!」

※新規事業とアートの類似性については、また書いてみたいと思います。

(おわり)

雄手舟瑞の過去の話をベースにしたフィクション「雄手舟瑞物語」と雄手舟瑞の今を書くエッセー「偶然日記」を毎日交互に更新しています。よろしければご覧ください



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