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共産主義者のレッドツーリズム

今回は、若き共産主義者へのオススメ旅行スポットを紹介します!

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共産主義向けってどんなん?

 共産主義者の皆さんなら、共産主義的価値観の享受や政治運動の訓練、更なる知識を海外旅行に求めると思います。かくいう私も社会主義者だったので、キューバなり、モンゴルなり、下調べをしたものです(同志の何人かは渡航しました)。

国際情勢

 共産主義を掲げる大規模組織はソビエト崩壊後、世界的に主流ではありません。また、中国のようにバキバキの国家資本主義を方針に据え、自由主義諸国のプロパカンダ込みで考えても明らかな圧政を敷いている国が多いことも事実です。

紹介する国の概要

 私の紹介する国々、地域は共産主義勢力の生き残り、はたまた共産主義が再起動した結果であり、日本国内での行き詰った活動で10代・20代の貴重な時間を使うよりも幾分か革命的な経験ができるかもしれません。

※きっと皆さんは、日本共産党に「日和見主義でクソ」と吐き捨てるタイプの共産主義者だろうから、日本共産党と蜜月の関係を構築している組織は外してます。ベトナム、キューバを除きました。

※言語とお金はぶっつけでどうにかしましょう。現地の財団にメールを飛ばす、日本国内の大使館に直接話してみるなど手段はたくさんあります。

※一切責任は取りません。自己責任で楽しんでください。

スペイン王国🇪🇸(2019年〜)

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 世界13位のGDPNATO加盟国のスペイン。スペイン社会労働党は2019年に総選挙でなんとか第一党になりました。日本共産党と交流のあるスペイン共産党、新興左翼政党ポデモスと連立を組み、コロナ禍の政府を運営しています。

共産主義的総合力

危険度★☆☆☆☆

インテリ学習★★★★☆

革命家の訓練★☆☆☆☆

楽しさ★★★★★

1.1 政党

 スペインには上記の社会労働党、スペイン共産党、ポデモス、その他にも小さな左翼政党が存在します。過去には世界的なテロ組織として名を馳せたETAGruposがおりました。昨年から激しさを増すカタルーニャ独立運動や、フランコ政権時から激しい独立闘争を繰り広げ、現在は大規模協同組合による独自の経済を構築したバスク州など、先進国で最も革命家の多い国でしょう。しかし、あくまでスペインは王制ですので、大衆にとって共産主義者が完璧なマジョリティーでないことを忘れずに。

1.2大学

 マドリード・コンプルテンセ大学はポデモスの指導者パブロ・イグレシアスが教員を勤めていた大学です。ヨーロッパ屈指の超名門なので、相当勉強しないと留学は難しいかもしれません。

 留学のための激アツ奨学金は、文科省のトビタテスペイン政府奨学金キヤノン ヨーロッパ財団と結構あります。スペインは日本でも知名度が高く、蓄積された学術的伝統やハイレベルなお洒落、ノンポリとの競争も激しい事が予想されます。

 短期滞在なら、ワーホリですね。働く場所は流石にあります。

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1.3労働組合

 スペインでは労働組合活動も活発です。スペイン社会労働党を支持する労働組合・UGT、スペイン共産党を支持する労働組合・CCOO、アナルコサンディカリズムのCGT、バスクなどにも地域で独立した大規模労働組合があります。

1.4ご飯と物価

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 スペインのご飯は美味しいです。あとインスタ映えします。

 物価はコーヒーとビールが安いくらいで、そこまで日本と違いはないです。

 以上

ラオス人民民主共和国🇱🇦(1975年〜)

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 世界114位のGDPと後ろから数えた方が早そうな国・ラオス人民民主共和国を紹介します。政府はラオス人民革命党による独裁政権を敷かれています。東南アジア唯一の内陸国です。

 あまり馴染みのない国だと思いますので、独立までの歴史をざっくり紹介します。

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 第二次世界大戦中、フランス(第三共和政)の支配下であったが日本帝国軍の侵攻と援助により1945年に独立しました。敗戦により日本帝国軍が武装解除すると、またもフランス(第四共和政)ベトナム民主共和国(独立時はベトナム帝国)を除き、ラオス王国、カンボジア王国の独立を取り消し、内政自治権という形で植民地支配を復活させようと試みます。その後、1946年に第一次インドシナ紛争が発生してしまいます。アメリカ支援下のフランス(第四共和政)・カンボジア王国・ラオス王国と東側諸国支援下のベトナム民主共和国側に完全な独立を目標とする民族主義者を率いる王族出身のスパーヌウォンが参戦します。1949年、ラオス王国が完全にフランスから独立したものの、右派・中立派・左派による内戦が始まってしまいます。1955年にベトナム戦争が始まると、今度はベトナム北部に位置するベトナム民主共和国の補給路として用いられ、アメリカ軍から何回か空爆を受けてます。アメリカ軍の撤退後は1975年に王制を廃止し、現在のラオス人民民主共和国となりました。

 一言でまとめると、人口や産業といった国力的に東南アジアで弱い方です。かなり、ハードモードな立ち振る舞いを求められてしまう国と言っていいでしょう。

共産主義的総合力

危険度★★☆☆☆

インテリ学習★★☆☆☆

革命家の訓練★★★☆☆

のんびり度★★★★★

1.1政党

 一党独裁なので、ラオス人民革命党は国内唯一の政党です。中越戦争が起きた際はベトナム側に味方した為、1979年に中国との国交断絶したりしてますが、1989年・1990年に両首相が公式訪問して融和しました。1987年にタイと国境沿いでの紛争があり、こちらも国交を断絶したりしましたが、現在は外交関係を構築しています。

 旧東側陣営ですので、ソビエトはもちろんの事ですが、ベトナムからも強い影響下にあります。1985年にソビエトの新たな指導者ゴルバチョフペレストロイカを打ち出すと、翌年にベトナムが修正資本主義への大きな方針転換であるドイモイを発表する。同年、追いかけるように、ラオスも新経済政策(チンタナカンマイ)を発表しました。

 国家間序列のようなものがあり、ソビエト→ベトナム→ラオスという順番になっているのが伺えます。 

 現在、一応は憲法で人権が定義づけられています。また、党員数が減っているなど、どのようにして国家運営を行なっているのか未知数なところが多いです。最近では、一帯一路政策を打ち出して世界の覇権を目指す中国によるインフラ開発、日本からのJICA支援など、国力の乏しい国への世界列強の剥き出しの帝国主義を綱渡りしています。国家・民族がピエロになる事を生存戦略として必要不可欠な選択として捉えている事が歴史から理解できるでしょう。共産主義政府の在り方を学ぶには適した環境と言えるでしょう。

 これから善き大国の共産主義者として生きていくのなら、ぜひ渡航してほしいです。

1.2大学

 首都ヴィエンチャンラオス国立大学があります。日本語学科もあるので、歓迎される事が予想できます。余談になりますが、現在のラオス人民革命党の高官は内戦中に学生時代を過ごしており、ベトナムかソビエトの大学出身です。その為、ラオスを担うエリート育成機関としては、まだまだ歴史が浅いです。

 ラオスの物価は一食200円です。奨学金に頼る必要はありません。100万円ぐらい貯金して、旅行や留学を楽しんで!!

1.3 ご飯

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 パクチーはお好きですか?

 京都ではパクチーを好む人をカナブンと呼んでしまう精神性が根付いていますが、もし貴方がカナブン側ならご飯はサイコーでしょう!

⑶ネパール連邦民主共和国🇳🇵(2008年〜)

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 激アツです。今回の記事で最大級のオススメはネパールです。スペインほど緩くなく、ラオスほど穏やかでもない、かなりバランスの取れた革命的な矜持を持ち合わせてます。共産主義者のみんなはレッツ、カトマンズ!

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 世界GDP103位で、日本ではカレーが有名な国ですね。位置する場所は東、西、南の三方をインドに、北方を中華人民共和国チベット自治区に囲まれてます。察してもらえる通り、やっぱり場所が辛いです。基本、隣国との戦争ではボコボコにされています。防壁となるエベレストの標高は国力でどうにかなってしまうというのは実証済みです。

共産主義的総合力

危険度★★★☆☆

インテリ学習★★★★☆

革命家の訓練★★★★☆

気候の厳しさ★★★★☆

1.1政治

 ネパール連邦民主共和国はネパール共産党マルクス・レーニン主義派ネパール共産党毛沢東主義派が統一したネパール共産党が与党になっています。連立を組むのは、社会主義インターに加盟している社民主義のネパール会議派です。主だった野党には代議院(上院)34議席・国民議会(下院)3議席を獲得したマデシ拠点の左翼政党ネパール人民社会党、代議院(上院)1議席の主体思想を信奉するネパール労働者農民党、代議院(上院)1議席の共産主義政党の国民戦線が存在します。 

 いや、左翼政党多すぎ!と思った皆さん、私の観測史上、最高レベルの数です。まず、国政で議席を持っている5つの政党の全てが真っ赤です。スペインとか目ではない数の政党数です❗️

 では、そんな摩訶不思議な国であるネパールの歴史を説明します。

 ネパールは350の小国が1768年にネパール王国により統一されました。1814年にイギリスとのグルカ戦争で敗北し、3分の1の領土を失うとともにイギリスの保護国になりました。シャハ家は王制を続けられたものの、1846年には宰相ラナ家に実権を奪われてしまいます。1923年になると完全独立を果たし、西側諸国側として第二次世界大戦を乗り越えました。1947年に現在の与党であるネパール会議派、1949年に同じく与党のネパール共産党が誕生します。ネパール会議派とラナ家の争いが激化し、王族のシャハ家はインドに亡命しました。1951年にシャハ家は帰国し、王政復古により長い間にわたってネパールを支配していたラナ家を追放する事に成功します(余談ですがネパール会議派メンバーにラナ家の若者がおり、最後は最高幹部になりました。)。1955年、マヘンドラ国王が即位し1959年に初の選挙を実施しましたが、大勝したネパール会議派と国王が対立した為、1963年に選挙が停止してしまいます。1962年に選挙の代わりとして、国王に都合の良いパンチャーヤト制が導入されました。1990年の世界的な民主化の波に伴い、地下活動を続けていた14の政党に分裂した共産党をネパール会議派が音頭を執る形で、共同での大規模民主化運動を起こし廃止に追い込みました。その後、1990年に新憲法と1991年に総選挙があり、会議派が大勝します。その中、なかなか退陣しない王に嫌気がさしたネパール共産党毛沢東主義派は、武装蜂起を開始。ネパール人民解放軍を率いて、かなりの国土を実行支配し2001年に国王を殺害。

 2002年以降、権力に縋り付く国王の振る舞いが、醜さを増していき、ほぼ全ての国政政党と武装化したネパール共産党毛沢東主義派が共同でのゼネストを行い、王党派を政治的に瞬殺します。2008年に正式に王制廃止となりました。2008年以降は、ほぼ全ての国政政党が左翼政党という異例の国家へと変貌し、現在のネパールになります。

1.2大学

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 首都カトマンズには、1959年設立されたトリブバン大学があります。トリブバン大学の出身者には、ネパール共産党・最高幹部の元首相プラチャンダや旧ネパール共産党マルクス・レーニン主義者派の最高幹部マクネ、ネパール共産党・現職大統領ビドヤ・デビ・バンダリがいます。ネパールの東大と呼んでもいいでしょう。

 その他には1991年設立の仏教学研究所を持つカトマンズ大学、1993年設立のビラートナガルにある理系パーバンチャル大学があります。国政・地方に議席を持つ左翼政党は12個あります。議席のない左翼系政治組織は24個もあります。

 奨学金は日本人大学院生奨学金などがあります。やはり、マイナーな国なので奨学金は少ないです。そもそも、生活費は激安です。トリブバン大学は日本の複数の大学と協定を結んでいるので、問い合わせしてみてください。筆者もぶっつけで行ったタイプなので、基本的に革命的やる気で何とかなります。

1.3ご飯

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 日本国内のインド・カレー屋はほとんどネパール人の経営と言われてます。

 カレーと山が好きなら天国です!

絶対に危険を伴うだろう過激派リスト

 オススメするとイスラム国のように日本政府が怒るので、オススメしません。絶対に行くなよ!

フィリピン共産党(CPP)

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 フィリピンといえば、あのドュテルテです。かの有名なフィリピンマフィアを物理的に秒殺した大統領です。ほんまに激ヤバな大統領と対抗できる組織、それがフィリピン共産党(CPP)です。がっつり、アメリカからもテロ組織認定を頂いてます。当然のことながら、日本の公安調査庁からも睨まれてます。首都マニラにはおそらくいません。ダバオにてドュテルテは市長を行なっていましたがミンダナオに近い為、地域トップのアテネオ・デ・ダバオ大学あたりには手がかりがあるかもしれません。

インド共産党毛沢東主義派

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 2004年に設立されました。完全に現役です。赤い回廊という呼び名を持つエリアで活動しており、1万人の兵隊を擁する大規模組織ということもあるので案外簡単にアクセスできるかもしれませんね。


以上が今回のまとめになります。

質問等はTwitterにしてください。

貴方に善き導きがあらんことを祈っております。

第二段は右へ向けたナショナリストのライトツーリズム


 

 

 


 

 

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ホソヤ
数年前にトルコに渡航していました。現在はオルタナティブ系スペースを運営しています。夢はお腹いっぱいになることです。