まだまだ動くIRA セピアツーリズム
1968年、若者たちの意志が歪な現実社会を「否定」した。世界に線を敷く帝国主義、貧困を加速させる資本主義、全ての首輪に対して若者たちは叛乱の炎を放っていったのだ。一時は消えたかに思われた動乱の炎は、世界の混沌が深まれば深まるほど、また大きく燃え盛る。
概要
さて、今回は「1968」から数年経た「恐怖の10年」に活躍したテロ組織・IRAを紹介します。2020年の日本国内ではセピア色に染まった「1968」ですが、欧州の端アイルランド🇮🇪や北アイルランドではまだ生きているのです。
「1968」や「恐怖の10年」にスポットライトを当てた映画でも印象的なのは、1972年に起きたミュンヘンオリンピック事件を描いた名作・スピルバーグ監督の「ミュンヘン」です。当時、暗躍した様々な組織が薄ら登場します。
映画で名前が登場したネルソン・マンデラが在籍したアフリカ民族会議は政権を運営したり、テロ組織のシンジケートの一翼を担ったとされるスペイン・バスク地方のETAは解散したりと、2000年代を迎えると殆どの組織は目標の達成、社会不安の解消により解散および壊滅しました。
アメリカ政府やEUにテロ組織認定され、なおかつ、いまだに影響力を保持してるIRAは、Brexit(イギリスのEU離脱)、コロナ禍、揺れ動く世情でどんな動きをするのでしょうか?
※渡航に関する一切責任は取りません。自己責任で楽しんでください。
アイルランド🇮🇪
アイルランド共和国はノルウェー🇳🇴、シンガポール🇸🇬、香港🇭🇰と同じくらいの経済水準です。世界GDPランキング32位に位置しており、日本人が一般的に想像する辺境の国ではなくなってます。
人口は世界ランキング123位の490万人。人口や面積、人口密度からイメージ的には北海道が一番近いでしょう。
首都はダブリン。世界第177位のアイルランド国立大学や1592年創立のダブリン大学など、教育水準も高くオススメです。おすすめ記事はこちら。
アイルランドってどんなとこ?基本からまるっと紹介しちゃいます!
アイルランド語
公用語は英語とアイルランド語です。アイルランド民族固有の言語であるアイルランド語ですが、英語と異なる語派のゲール語に所属し、基本語順はVSOです。もちろん、英語と単語も異なる完全な別言語であることは、皆さんならすぐわかったと思います。
現在、アイルランドを母語とする人は減りつつあり、独立を勝ち得たものの国民の過半数が日常的に英語を使用するなど文化的に圧されつつあります。
アイルランド料理(これが美味しい)
北アイルランド🇬🇧
イギリス連邦を構成する国の一つが北アイルランドです。ちなみに経済的に北アイルランドは裕福とはいえません。人口は190万人程度、ある程度の大きな面積で日本の福島県と同じくらいです。皮肉ですね。
首都はベルファスト。サブカルアニメ・エウレカセブンのベルフォレストは、このベルファストをモデルにしたであろう都市です。
この地は、これから紹介する争いの全てが凝縮されています。北アイルランドが独立戦争の際に、勝ち取れなかった切り捨てられた地であり、幾度かの紛争を経てもなお取り返せなかった悲願の地でもあります。ここにIRAの魂の全てが込められています。
北アイルランドには、アイルランドでメジャーなカトリックと英国教会のプロテスタントが人口的に拮抗しています。マジで最悪なパターンです。
この人口比を知ったみなさんが想像した通り、独立戦争後は英国から支持を受けたプロテスタント(通称ユニオニスト)をまとめ上げたアルスター統一党が小選挙区制とゲリマンダーを操って議会を牛耳り、カトリック系アイルランド人が政治からも経済からも押し退けられるというブリカスの地獄絵図が幕開けました。
文字通りの死ぬほどテロった結果、1973年に英国が仕方なしに新しい議会を再設置します。全然、改善されてないので大規模なストライキに突入。1982年に新しい議会を仕方なく設置するも、カトリック系アイルランド人や組合主義者に全く支持されず、また解散。1998年に文字通りの死ぬほどテロった結果(2回目)、しゃあなしで再出発した議会が今日の議会です。
こんな感じなので、武闘派のIRAメンバーはいつも北アイルランドをテロの標的にし、ユニオニストとイギリス政府の返り血でシャワー浴びれるくらい憎んでいます。
ちなみにBrexitでスコットランドが「俺たちはBrexitしたくない」と騒いだ時、イギリス政府は真っ先に北アイルランドを警戒したと思います。これと同じことはスペインでカタルーニャが「マドリードにお金を寄付したくない」と騒いだ時に、スペイン政府がバスクを真っ先に確認したのと同じですね。
IRA
世界的に有名なテロ組織といえば、やはりIRA(Irish Republican Army)ですね。一時期は鳴りを潜めていましたが、幾度かの組織的改変を経てRIRA(Real Irish Republican Army)・NIRA(New Irish Republican Army)としてテロ活動を再開しました。
IRAの歴史は古く、第一次大戦のベルサイユ講和条約が結ばれた1919年に正式に発足しています。イギリスからアイルランドが独立する以前、アイルランド国内には三つの独立を目指す潮流がありました。⑴一つ目はイギリスにとどまり、「ドミニオン」として強力な自治を得ることを目的としたアイルランド国民党(アイルランド議会党)を中心にした穏健派の潮流、⑵二つ目はイギリスからの分離とともに、アイルランドに自主的な軍隊を打ち立てることを求めたアイルランド共和主義同盟(IRB)を中心とした武闘派の潮流、⑶武力ではなく、合法的な方法で、アイルランドの独立を達成しようとする制度的ナショナリストの中間派の潮流の三つがありました。
アイルランドにおける独立の起源は、1791年に起きたアイルランド人のカトリック信徒とプロテスタント信徒を団結させ独立を目指すユナイテッド・アイリッシュメン運動と言われています。フランスのジャコバン派、アメリカ独立戦争に触発されたユナイテッド・アイリッシュメンの後継者たち(青年アイルランド党、フィーニアン運動、アイルランド共和主義者同盟(IRB)、今日の共和国におけるフィアナ・フォイル党、北アイルランドにおけるIRAやシン・フェイン党の指導者たち)は、自身らをリパブリカン(共和主義者)と名乗りました
君主制と貴族制を拒否する反英闘争は小さな叛乱を起こし、1916年、アイルランド共和主義者同盟(IRB)による大規模なイースター蜂起が勃発。そうして、収まらなくなった独立の機運はアイルランド独立戦争へと向かっていきます。この戦争の際、イースター蜂起時に建国を宣言された共和国を掘り起こし、様々な党派の義勇軍を集めた正規軍・IRAを発足させました。
この戦争の結果から述べると、後処理がだいぶ不味かったの一言に尽きます。現在のアイルランド共和国の領土である南アイルランドは独立を得たものの、英国王室の傘下という形での独立であり、なおかつ肝心の北アイルランドは英国領内に残ったままでした。終戦の為の英愛条約に対して、賛成派は新しく建国し直した自由国軍に、反対派はIRAに残り、ついこないだまで味方だった人間同士で殺し合い、アイルランド独立戦争以上の苛烈さを見せた。ちなみに、歴史はまだ1923年です。日本は大正時代です。
この歴史はケン・ローチ監督の麦の穂をゆらす風で描かれています。ぜひ一度、ご覧になってください!
IRAはアイルランド独立戦争を戦った正規軍でした。しかし、条約を巡る内戦で敗れたIRAは、南のアイルランド自由国、およびイギリス連邦の北アイルランド政府と対立し大臣の暗殺などのテロを行なう反政府組織へと変貌していきます。内戦後のIRA指導者モーリス・トゥーミーは敵の敵は味方理論に基づきイギリスと対立するソビエトに接近、第二次世界大戦中は右派へシフトしナチスに接触しました。あまりに複雑なアイルランド人を取り巻く環境、加えて混沌を極める国際情勢。もうここら辺で、私はギブアップです。 詳しくは南野泰義先生などアイルランドの著作、論文を読んでください。
シン・フェイン党のIRAとして武装化
第二次世界大戦後の1949年、アイルランド自由国は正式にイギリス連邦から脱してアイルランド共和国になります。これが現在のアイルランド共和国です。
この頃、IRA本体は度重なる弾圧により壊滅的でした。そこにシン・フェイン党(もう一つシン・フェイン党があるので注意)によるクーデーターが起こり、IRAはシン・フェイン党の半ば民兵組織となり復活します。1956年から6年間にも渡り、北アイルランドのイギリス軍基地を襲撃するなどの400件近くのテロ行為を敢行するボーダーキャンペーンを開始。かなりのコストをかけた作戦でしたが、残念ながら北アイルランドは取り戻せずに終わってしまいます。そうこうしている間に新たな問題を迎えてしまう.....。
ヨーロッパ最強クラスのテロ組織・IRA暫定派の誕生
この分派の誕生には、アイルランド共和国(南アイルランド)ではカトリックが主流ですが、北アイルランドではイギリスで主流のプロテスタント(正確にはイギリス国教会)が主流派な事を知らなければなりません。
かなり勢いよく武装闘争を行ってしまった後、なおかつ1969年という時代背景。火種はどんどん大きくなります。
IRA(ここからは区別する為に公式IRAと呼ぶ)がボーダーキャンペーンを失敗と判断しました。しかし、IRAの伝統主義勢力は公式IRAの左傾化と武装解除を批判し、北アイルランドのカトリックを守る為、北アイルランド政府への武装闘争を開始します。これがIRA暫定派のはじまりでした。1972年にデモ隊のカトリック系市民をイギリス国軍兵士が14名も殺害する血の日曜日事件が発生。1972年だけで500名が死亡。北アイルランド紛争(1969年〜1997年)と呼ばれた大規模な対立は、36,923件の銃撃事件、16,209件の爆弾テロや爆破未遂、2,225件の放火や放火未遂が発生、死亡者数3,387名を記録しました。
この紛争の末に以下がイギリス、アイルランド、北アイルランド(シン=フェイン党など各派代表からなる)三者の間で合意されました。
1比例代表制による北アイルランド地方議会の新設。
2北アイルランド地方議会とアイルランド共和国議会の代表による南北協議会の設置。
3イギリス(UK)、アイルランド、北アイルランド、スコットランド、ウェールズの各議会代表による協議会を発足させる。
4アイルランド共和国は北アイルランド領有をうたった憲法を修正する。
5テロ組織の武装解除は2年以内に実施する。
余談ですが、IRA暫定派はリビアのカダフィー、スペインのETA、パレスチナのPLOとも親密な関係にあったようで、国際テロ組織社会のシンジゲートの一翼を担う勢力といっていいでしょう。
彼らの資金力はアメリカにいるアイルランド系からの送金、麻薬の販売、タバコの密輸、強盗から至れり尽くせりのやり口です。
過激派の後継者・真のIRAの誕生
IRA暫定派が休戦協定を結んだことに反発したIRA内強硬派が1998年に結成。
武装闘争によってアイルランド島から英国を放逐し、アイルランド島32県の統一を実現すること
彼らの目標は、公式IRA(暫定IRAが分派した組織)から何ら変わりありません。オマー爆弾事件で自動車爆弾が炸裂し、女性と子どもを含む29人が死亡、100人以上が怪我をした(彼らは怪我人を減らす為に、犯行声明を出したが曖昧過ぎたため、大量の市民が怪我した)。その後、一時停戦したが爆破テロを2011年まで複数起こしました。
現在進行形で世界から指名手配される新のIRA
複数のIRA系過激派グループが合流し、結成されたのが新のIRA(通称NIRA)です。目標は前組織の真のIRAと一緒です。政治部門は32郡主権運動が行なっています。
資金は、年間5,000万ドルとも言われています。もちろん、資金は前組織に引き続き非合法な方法で獲得しており、なぜか地元のマフィアと抗争してメンバーが死亡しているようです。また、この組織はテロを実行していますが、公式IRA、IRA暫定派から止めるよう説得されており(なぜか構成員の家まで知っている・・・)、「彼らは明確な方針を持ってない」などと酷評されていました。主な拠点はアイルランドの第二都市コーク (Cork)と言われています。
Brexit後の選挙でシン・フェイン党が躍進
イギリスがドイツに痛ぶられて喜ぶキッズしかいないEUを脱する決断をしました。それと同時にアイルランドでも激震が走ります。なんと、あのIRAの政治部門だったシン・フェイン党が第二党にまで躍進したのです。
さらに2017年、北アイルランド議会でシン・フェイン党は第二政党の地位におり、かなり追い風が来てます。
EUから距離を置くイギリス政府とEUとの間、最も美味しいポジショニングを獲りたいアイルランドは、これから更に面白くなりそうです。
PS.アイルランド出身者やアイルランド系有名人を紹介
終わりに
現在のアイルランドは豊かですが、この世界的な動乱で何がどうなるかわかりません。各国が安定し、融和の為のEU結成も達成したヨーロッパで、常に何がどうなっているのかわからないレベルでテロと紛争が起き続けているアイルランドが、混沌を運ぶ使者になる可能性は大いにあります。
意志のある読者の皆様、また、その友人の皆様、アイルランドは楽しい場所ですよ!