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認知症介護小説「その人の世界」vol.17『誰かが見ている』

正直、この部屋は薄気味悪いのです。

お世話になっているのに文句は言えないのですが、私はこの部屋にはいたくありません。常に人に見張られているのです。誰に話してもそんなことはないの一点張りで、私の気のせいということにされてしまいます。

私を見張るその人は、部屋から通路に出る手前の狭い空間にいます。私が部屋から出ようとすると、いつもこの場所でじっとこちらを見ています。

夜は特に怖いので、素早く廊下に出て従業員みたいな人をつかまえます。親切な人だと共同の場所に居させてくれますが、分かってくれない人だと部屋に戻るように言われます。

「お部屋で寝るのは怖いんです」

今日も私は若い男性を廊下でつかまえました。

「でも、それぞれのお部屋が決まっていますからね。一緒に行きますから、戻って寝ましょうね」

男性は私の手を取りました。

「どんな人が見張っているんですか」

歩きながら男性が言いました。

「けっこう年輩の、女の人です」

「女の人」

「そうです。背中が丸くて、大人しい感じの人です」

「背中が丸くて、大人しい感じ……」

部屋の入口に来ると、男性が立ち止まりました。

「もしかして、ここらへんにいつもいませんか」

「そうなんです。いつもここで私が出ていくのを見張っているんです。怒鳴ってやることもあるんですけど、そうすると向こうも怖い顔をします」

「そうでしたか」

男性は少し考え、ふと何かを思いついたように顔を上げました。

「ちょっと待っていてください」

身に着けていたエプロンを外すと、男性は部屋に入っていきました。私はその背中を黙って見送り、耳をすませていました。

「このお部屋は大丈夫ですから、見張りをやめてください」

部屋の中から聞こえてきたのは男性の声でした。

「はい、ご苦労さまでした! ありがとうございました!」

少しして部屋から出てきた男性は晴れやかな笑顔でした。

「もう大丈夫ですよ。見張らなくていいと言いましたから」

男性と部屋に入ると、入口の狭い空間にはエプロンがひっかけてありました。

「この部屋はもう見張らなくて大丈夫という目印です」

その日から、私を見張る人はいなくなりました。目印のエプロンは後から男性がきれいな柄の手ぬぐいに取り替えてくれました。私は怯える必要がなくなり、安心して眠れるようになりました。

それから数日後のことでした。

部屋の入口に落ちていた手ぬぐいを拾った私は、壁際に人影を感じました。まさかと思いつつもそちらに視線を向けると、私は思わず、ああっ、と叫んでしまいました。

あの見張りの人が、また立っているのです。目を大きく見開いて、こちらをじっと見ています。あまりの恐ろしさにのけぞると、私は廊下に飛び出しました。

「どうしたんですか」

ちょうど出くわしたのは若い女性でした。私は呼吸も荒いままに彼女の腕にすがりました。

「また、いるんです。私のことを見張る人が」

血相を変えた私の瞳を、女性は見つめ返しました。

「見張る人がいるんですね」

「そうなんです。あそこにいるんです」

私は入口の狭い空間を指さしました。

入口の方にしばし視線を向けた後、女性は口を開きました。

「その人は、本当に見張りたいんでしょうか」

「えっ」

女性は続けました。

「いや、見張っているように見えて、実はそうではないのかもしれないと思ったんです」

「どういうことですか」

「もしかしたらなんですけど、見張るためではなくて、仲良くしたいんじゃないかなと思ったんです」

「仲良く……?」

私は眉をひそめました。

「はい。仲良くしたいけど声をかけられなくて、ずっといるのかもしれないなって」

「そんな……」

「もし私だったら、見張るためにずっと立っているなんて疲れて嫌だと思うんです」

女性は私の手を静かに取りました。

「ちょっと、話しかけてみませんか」

「ええっ?」

「私も一緒に行きますから」

「……はい」

私は女性と部屋の入口に立ちました。おそるおそるあの場所に顔を向けると、驚いたことに相手は二人になっていました。

「こんにちは」

爽やかな笑顔で女性が言いました。すると相手もにっこりとこちらに笑いかけました。私は女性に少し隠れながら、小さく会釈しました。すると相手もおずおずと会釈を返しました。悪い人にはとても見えませんでした。私はほっとして、嬉しさに笑みがこぼれました。相手も何だか嬉しそうでした。

「今日はいい天気ですね」

女性が言うと、相手は笑顔で応えました。照れているのか、お話しができないのか、言葉を聞くことはできませんでした。これまでずっと話しかけられずにいたのだから、言葉が出ないのには何か理由があるのでしょう。私は相手のそんな姿に人見知りの自分を見るようで、とても親しみをおぼえました。

私は思いました。私が怖いと思っていると、相手も私にそう感じるのではないかと。私が心を開くと、相手も仲良くしてくれるのではないかと。

「仲良くできないのはあの人のせいではなくて、私のせいだったのね」

私が言うと、女性はとろけそうに目を細めました。

「お友達が増えて良かったですね」

「はい。自分が変われば相手も変わるんですね」

私、仲良くなれそうな気がします。実はあんまり賑やかな人より、静かな人が好きなんです。

※この物語は、介護現場の場面を描いたフィクションです。

【あとがき】
鏡の中の自分を別の誰かだと思うことを、専門用語では『鏡徴候』といいます。鏡を見て怒り出す方、にっこりと挨拶される方、じっくり話し込まれる方、いろいろな方に私は出会ってきました。関わり方に絶対的な正解はないと思いますが、確かなのは、鏡にはその時のその方が映ったということです。ケンカを売られたと感じるのも、何見てんのよと思うのも、優しそうな人がいたと言うことも、その時のその方のことです。つまり、鏡の中の人にそう思わされたというより、その時の心境が鏡に映ったのではないかと私は思うのです。

鏡徴候が現れるのは、認知症の状態が重い方だと一般的には言われています。けれど、必ずしもそうではないことを私はお年寄りから教わっています。大事なの、症状としてよりもそこにどんな思いがあるか、どんな人がいてくれたら嬉しいか、ということだと私は考えています。

悲しみや苦しみ、切なさ、喜び、そしてきらめきは誰もが持ち合わせ、それは認知症であってもなくても同じです。より深い理解のため、物語の力を私は知っています。

※この物語は2016年9月に書かれたものです。

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阿部敦子
私の作品と出逢ってくださった方が、自分の世界をより愛しく感じられますように。