夏の夕景nostalgia
おふろのお湯のにおいと、夕ごはんを作るいいにおいがして、大きく半面を網戸にした窓からレースのカーテンを膨らませて外の風が入ってくる。
風はぬるくて、暑かった今日一日をようやく終えようとする、夕方らしいにおいがする。
外で近所のおばちゃんが立ち話していて、何やら笑い合う声がしたと思うと、じゃあねー、どうもーと、別れる声が聞こえてきて、パタパタとサンダルで歩み去る音がする。バタン、とどこかの家のドアが閉まる。遠くで犬がキャンキャン吠える声もする。あれはきっと、4軒隣りの家で飼っている、いつもうるさいシーズー犬だ。
台所では母が夕ごはんを作っていて、換気扇の音がごうごうと鳴り響いている。
炒め物の中華なべを回す、じゃっじゃっという音とか、揚げ油がはぜる、ぱちぱちいう音も聞こえる。もう一つの大きななべでは黄緑色の枝豆がぐつぐつ煮えている。同時に3つのコンロをフル稼働させて美味しい料理を作る母はすごいと思う。
ゆであがった枝豆が流しのざるにあけられて、流しからはもうもうと湯気が上がっている。母が辛党の父に合わせて多めに塩を振り、ざるごと振り混ぜると、鮮やかな緑色にゆであがった枝豆が躍り上がる。
枝豆は朝採りでこまかい毛が生えている方が美味しいことを、まだビールをのまないわたしも知っている。この枝豆は父が今朝、ゴルフの打ちっぱなしに行った帰りに無人直売所で買ってきたものだ。枝についている枝豆は鋏で一つ一つ切らなければいけなくて、それはわたしや妹が手伝う仕事になって面倒だけど、朝採りの枝豆はやっぱり美味しい。
台所の熱気が食卓のほうまで漂ってくる中、一番風呂からでた父が一人先に食卓について一言、「ビール」という。
台所で料理している母の傍らに立って母とお喋りしていたわたしは、お喋りを中断して冷蔵庫からビールをだして栓を抜き、グラスとともに父の前に置く。新聞のテレビ欄を見ていた父が新聞を置いてグラスを持つと、わたしは瓶を取り上げて、1杯目のビールをグラスに注いであげる。泡の割合が多くなりすぎないよう注意深く注ぐ。
母がすかさず、湯気をあげる枝豆の小鉢と、冷蔵庫からだして水を再度きったあと鰹節をかけた冷や奴を父の前にだす。
父は、塩粒が光る茹でたての枝豆をさっそく一つ口に入れ、おろし生姜と鰹節たっぷりの冷や奴に、心配になるほどたっぷりのしょうゆをかけて、ふろあがりのビールを飲み始める。
ビールは当時は缶じゃなくて瓶だった。キリンラガービール。
わたしは、母に何か手伝いなさいといわれて、何かやってるふりで野菜を洗ったり漬け物の小鉢を冷蔵庫から出してならべたりしてみるけど、じきに飽きて、「先にお風呂入ってきていい?」と聞く。
「別にいいけど・・」と、手伝わないことにちょっと不満そうな母。
そんな母を尻目に、わたしは部屋にもどって着替えを用意して、お風呂へ向かおうとする。
着替えを用意している途中に、ふと本棚の本と目が合ってしまって、手に取ってしばらくベッドの上で読みふけってしまったりもする。
妹に呼び止められて妹の部屋に寄り、そのまま話し込んだりもする。
脱衣場に入ると、家じゅうに全般的にただよっていたお風呂のにおいが断然濃くなる。
お風呂のお湯はやけどしそうに熱くて、足の先、手の先からゆっくりゆっくり浸けていくと、浸かった部分の皮膚に小さい気泡がくっついてきて肌がぴりぴりする。
お湯が熱いせいと、なぜだか急く気分のせいで、江戸っ子みたいな烏の行水で、おふろをでてしまう。
おふろをでると、もうごはんができている。
「ほら、おはしならべて」と母にいわれて、わたしは濡れ髪をタオルでおさえながら、母と妹とわたしの分のおはしを食卓にならべる。
テレビではプロ野球巨人戦の中継が始まっていて、巨人ファンだったわたしは父に「巨人先発だれ?」とか、「○○でてる?」とか、好きな選手が出場しているかどうか勢い込んで質問する。
父は顔をテレビに向けたまま、「うん」とか「知らない」とか適当な返事しかしてくれない。
やがて、部屋にいた妹のことも母が「ごはんよー」と大声で呼び、みんなそろっての食卓となる。
あいかわらず窓からは夕方の風。時折強く吹いて、レースのカーテンを大きく膨らませる。
夏の週末の夕方の、のんびりしたにおいがして、のんびりした風が吹いている。
学生のわたしにはもうすぐ夏休みがくる。
夏が終われば秋がきて、冬がきて、冬がおわるとわたしたちはみな一つずつ年をとる。
でもそれはまだ先のこと。
***
今日の夕方はそんな風のにおいがして、あの頃の雑多なにおいや物音をふと思い出した。
大人で一人暮らしの私は、これからベランダで缶ビールをのもうかな。
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