noteという会社を気が狂ったように推している
5年前、はじめてnoteを知った時の衝撃は今でも覚えています。
当時、SNSに疲弊してTwitterもInstagramもアカウントを全部削除していました。
ただ、中学生のころ「しょこたんブログ」にハマったこともあり、ブログなどの長文のメディアがずっと好きで、ブログの運営には興味があったんです。
でも広告がうっとうしいなと思っていました。
当時のネットの広告ってかなりひどかったんです。
「それ、ぜったい鼻の角栓ちゃうやろ」みたいな、下手な合成で作られた広告写真が多く、見た瞬間「うっ…」と目も当てられないような不快感が襲うのです。
「ブログはやりたいけど、広告が目に入る時間も増えそうでいやだな」という悩みがありました。
当時、ぼくは教員として働いていて、ブログやSNSをやっている同僚は身近にいませんでした。
しかし、たまたまIT系の会社から転職してきた方が近くの席に来て仲良くなりました。その方と居酒屋で飲んでいたとき「noteっていうサービスがあってさ、たぶん向いてると思うよ」とすすめてくれました。
さっそく家に帰って会員登録すると、そこには真っ白でシンプルなページ、わかりやすいUI、そして広告が一切ない、まさにぼくが求めていた場所がありました。
「これだ!」と思って、その日から土日はかならずnoteを書きました。
日記のように書いてみたり、買ってよかったものをまとめてみたり、日々書くのが楽しかったんです。土日は「はやくnoteが書きたい!」みたいな衝動にかられて、朝5時に起きて書くこともありました。
しかし、2、3年は全然読まれなかったです。それでも、広告がなく刺激の少ない場所で表現できる楽しさに、読まれないことはあまり気にせず書いていました。
はじめてコメントが来たときは、ほんとうにうれしかったです。
次第におたがいにコメントを送り合うような関係の人ができて、だんだんフォロワーも増えてきました。
単なる数字の増加ではなく、ぬくもりを感じる人とのつながりの数が増えた実感がありました。意味のある+1が、ちょっとずつ積み重なっていく感覚でした。
「note、心地いいなあ」と、これまでSNSで感じたことのない安心感を覚えました。
「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。」
このnoteのミッションを知った時、鳥肌が立つ思いでした。
とくに「続けられるようにする」というのがいいですよね。どんな人でもnoteでお金を稼ぐことができるチャンスがある。いいコンテンツに価値がつくのは自然なことだと思います。それで収入が得られたら、創作を続けやすくなりますよね。
それから、広告がないということも、続けられるようになっている一つの要因だと思うんです。
広告が悪いってわけじゃないですが、広告がないということで、気持ち的にたすけられている人も多いのではないのでしょうか。ぼくもその一人です。noteに広告があったら、多分5年以上も書き続けることなんてできていなかったと思います。
ここ数年、動画メディアの勢いが止まらない中、テキストのメディアをじわじわと温め続けてくれているnoteには感謝しかないです。
すばらしい記事に出会うたび「ああ、やっぱり文章っていいな」という気持ちになります。
noteが大好なんです。
noteという会社を気が狂ったように推しているんです。
「こんなすばらしいサービスが、日本にあることがほこらしい」と思っています。ぼくはnote社の方々へのリスペクトがあり、いつも応援しています。
noteではたらく方々のnoteだけでなく、PodcastやYouTubeもチェックしています。narumiさんや平野太一さんを見て、「あんなイケオジになりてえ」と思っています。
そして今は、noteでディレクターを務めていたみずのけいすけさんと一緒に、パーソナル編集者という、個人の情報発信のサポートをする仕事をさせてもらっています。
みずのさんへの感謝は、ここに書ききれないくらいほど、とめどなくあふれてきます。
追いかけたい背中ができました。
とにかく、毎日が夢のようなんです。もちろん、いつまでもそんな夢見心地ではいけないと、地に足をつけがんばろうという気持ちではいますが。
さて、noteのフォロワーが1000人を超えました。
いつも読んでくださっている方、ありがとうございます。
そして、三日坊主界のトップオブトップとも言えるぼくに「続けられること」を与えてくれたnoteにも感謝です。noteと出会って、ぼくにも続けられることがあるんだと自信になりました。
noteが大好きです。これからも狂ったように推させてください。
なんかnoteを引退するような記事になってしまいましたが、引退しません。これからも、できれば死ぬまで、書きつづけたいです。