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命を繋いでくれてありがとう
私の家は母方の影響が強いようで、特に女性陣は揃って働き者揃いです。
叔母も母も仕事と孫の世話で毎日忙しく、私と妹はパートだけれど国家資格の必要な仕事に就いており、それなりに忙しく働かせてもらっています。
その原点は祖母と曽祖母です。
曽祖母は九州の生まれと分かっている以外詳細が不明で、関西の日本海側にある私の生まれ故郷に来るまで3回養子に出されたという謎の多い女性です。
とても優しく働き者だったらしく、祖母の弟さんがお母さんとあんたのおばあさんには世話になってばかりやったわ、と会うたびにこぼされていました。
その娘の祖母もやはり働き者で、これは時代背景もあるのですが18歳で戦争で父が亡くなり、5人きょうだいの長女だったため家族を養うために大黒柱となります。
リアル炭治郎です。
お仕事は炭焼きではなく電話の交換手で、鬼殺隊ほどではないですが命懸けの仕事だったそうです。
当時の話を祖母がしてくれた時に聞いた内容によると、軍港のある町なので空襲警報が鳴ると防空壕に避難する人々とは逆方向にある通信施設に走り、軍の無線を傍受していたそうです。
焼夷弾や機銃掃射で死ぬかもしれない、という危機に晒されながら逃げる人をかき分けて施設に走るのはとても怖かった、と言っていました。
私が知っている祖母はいつもニコニコしていて庭のお花に話しかけるようなおっとりした女性で、まさかそんな辛い体験をしてきたとは夢にも思いませんでした。
祖母は今でいうところのバリキャリだったようで、先程出てきた弟さんを大学に行かせて、のちにこの方はホニャララ省でお仕事をされる立派な公務員になられます。
さらにがめつい姑によって給料を搾り取られるのですが、姑の娘の音大の授業料にされていたようです。
その娘さんは音楽の芽は出なかったようで、今は漁港で働いておられるのだとか。
昔の話とはいえおばあちゃん、苦労してたんだなぁ。。。と同情してしまいました。
ある程度年を重ねると、それまでその方が積み重ねてきたものが滲み出てくるように感じます。
若い時はみんなぴちぴちプリプリなので、何をしていても美しいです。
若さと美しさは年とともに目減りする資産です。
それが無くなったときに、その方の持つ本来の美しさが引き立ちます。
怒ってばかりの人生だったのか、適当に生きてきた人生だったのか、辛く悲しいことの多い人生だったのか、人それぞれです。
生きているのだから、みんな何かを抱えて生きています。
なのでどんな時もニコニコ笑って周りの人を明るくさせたり、どんな時も人を思いやれる人は本当にすごいです。
祖母は膵臓癌で亡くなったのですが、痩せてガリガリになった状態でも私の浴衣の着付けをしてくれたり、かかりつけ医の先生や看護師さん、介護士さんに気を遣い、周囲への思いやりを忘れない人でした。
私もそんな女性になるのが目標で、日々生活しています。
どんなすごい人なのよそのばあちゃん??と感じておられるかもしれませんが、普段はちょっととぼけたおばあさんだったのでご安心下さい。
飲むと笑い声が大きくなったり、関西人らしくいつも笑いのネタを探しているおもしろ一族でもあります。
仲良しの女性陣で集まるといつも笑いが絶えず、祖母のひ孫にあたる姪たちを見ていると、この子たちも大きくなったら働き者になるのだろうなぁといのちの繋がりを感じる瞬間があります。
大変な時代を生き抜いて、いのちを繋いでくれたおじいちゃんおばあちゃんがいてくれたおかげて、今こうして私がいるのだと思うと、感謝の気持ちしかありません。
今はコロナでお墓参りや遠方への帰省ができませんが、コロナがおさまったらお墓参りに行きたいです。