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すべてに共感できる自己認識

知らないものは怖い。

怖いと普通、守ろうとする。
自分の周りに壁を打ち立てたりして。

逆に、知っているものには優しくなれる。
「あ、それ分かるわー。同じだね。仲間だね。」

似たもの同士、つながりを感じて。

似たような性質は、共感させる。

生まれ、性別、置かれた立場、経験。。

それらの性質が全く同じ、ということはないけど、似てるな、と感じて親しみを覚える。

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私たちはものごとの理解に、言葉を利用する。

言葉は定義を伴う。

定義はほとんどの場合、限定する。

そうであるところを内に、そうでないところを外に置いて。

あれとこれとの間に線を引く。

境目を際立たせようとする。

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ものはすべて素粒子からなる、とされている。

私たちの体は、細胞からできている。

細胞も原子や分子といった素粒子からできている。

細胞は常に変化している。

細胞を構成する素粒子は常に入れ替わっている。

今この瞬間の細胞を構成する素粒子と、
次の瞬間の細胞を構成する素粒子とは
よくよく見ると別のもの。

では、この2つの瞬間の細胞は「同じもの」だと言えるか。

一瞬一瞬違う素粒子から構成されている細胞の塊である肉体は、「同じもの」だと言えるか。

原子だって、変化している。

色々な他の原子とくっつき、離れ。

あるいはもっと細かな素粒子へと分解し。

あるいは他の蓋然的原子と現実を入れ替わり。

私たちを取り囲むものたちは、境目がはっきりしているように見える。

でも細かく見ていくと、明確だった境目はぼやけてくる。

言葉の境目を際立たせる力が、及ばなくなっていく。

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言葉で互いに分かったつもりになっているものも、
全然違って認識されていたりする。

"[Y]ou create your own reality according to the nature of your beliefs."
--Seth

Jane Roberts, Seth Speaks: The Eternal Validity of the Soul; Part Two: Chapter 11: Session 546, August 19, 1970

私たちは、自分のbeliefs/思い込みにしたがってリアリティを創る。

自分の定義にしたがってすべてを解釈する。

「素粒子」「原子」「分子」「細胞」「肉体」…

色々な言葉を持ち出したけど、具体的なものとして全く同じものを想起した人は皆無だろう。

それらの言葉が想起させているもの。
それらの言葉が定義しようとしているもの。
それはそれらの「性質」だから。

それらが発揮する性質は、明確な境目などなく、常に、徐々に変化する。

0と1のデジタルな変化ではなく、なめらかでアナログな変化をする。

アイデンティティはグラデーションを持ったもの。

本当は境界線など引きようがないところに、無理やり線を引いているのが、ほんとのところ。

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「神」や「魂」や「心」「マインド」。

物質として姿を現さないこれらを扱おうとするとき、私たちは極めて難儀する。

これらの言葉から想起される「性質」の幅が、あまりに大きいからだろう。

これらの言葉の境界は、一人一人で大きく異なっている。

"The soul is not a unit that is definable. It is instead an undefinable quality."
--Seth

Jane Roberts, The "Unknown" Reality: Volume Two; Section 6: Session 730 January 15, 1975

「魂は定義可能なユニットではない。そうではなく、定義不可能な性質である。」ーーセス

その定義不可能な性質は、あまりに壮大で、精緻で、見事なもの。

すべての生命を生かしている、根本的な性質が何かあるように感じる。

それって何なのか。

「魂」というか、「神」というか。

こうして思考させてくれている「心」もまた見事なもの。

これらは一体何なのか。

言えることは、これらは言葉が表すことのできる次元を遥かに超えている、ということぐらい。

あるいは、言葉というものが本来的にもつ、境目を明確にして区切る、定義する、という性質には収まりきらない性質を持っている、ということぐらい。

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"The inner self or the whole personality consists of many such egos, as you know, but the inner self is also aware of itself as something more than the sum of its parts.
Now this something more than the sum of its parts is a curious phrase, but within it lies a key that can give you some small understanding of what God may be."
--Seth

Jane Roberts, The Early Sessions: Book 7 of The Seth Material; Session 311 January 11,1967

「インナー・セルフ、あるいはパーソナリティの全体は、そうしたたくさんの君たちの考えるエゴからなる。だがインナー・セルフは一方で自身を、その部分を足し合わせた総和以上の何かである、とも認識している。
さて、この『その部分を足し合わせた総和以上の何か』とは興味深いフレーズであるが、その内には神たり得るものについての小さな理解を与えるカギが潜んでいる。」
ーーセス

この定義については以前の投稿にも書いたので、そちらも参照してほしい。

私たちの目の前に起こる現象のすべてに、この性質が現れている。

境目を与え、周りから区切ろうと輪郭を与えた瞬間に、その境界内にある部分を足し合わせた総和以上の何かになる。

私が私と考えるものを、仮にすべて知り尽くすことができたとする。

そう思った瞬間に、「私」と捉えかけたものは、その「私」以上の何かに変わってしまっている。

"The soul is an undefinable quality."

この言葉に通じるものを感じさせる。

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セス・マテリアルから得た学び。

「部分を足し合わせた総和以上の何か」

これが"All That Is"であるということ。

「全てがそうなっている」ということ。

「全てがこの性質を持っている」ということ。

すべてに意識があって、自己認識をしていて、自分だと思う輪郭を引いた次の瞬間にそれはもう、それ以上の何かに変化している。

「身の周りで起こるすべての変化のもとには、この性質がある」ということ。

生物に限らず、星とか、海とか、岩とか、分子とか、原子とか。
思考とか、感情とか、アイデアとか。

そうしたものにもこの性質が当てはまるということ。

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同じ性質を持ったものが、異なるbeliefを抱えて異なる振る舞いをする。

異なる外観を持つようになる。

異なる解釈をするようになる。

でも根底には同じ性質が潜んでいる。

「みんな、変わっていくよね、この性質にしたがって。」

「みんな、同じだよね。」

"Something more than the sum of its parts."

この性質をすべての中に見出すと、
すべてと共感できるようになる。

周りの人も当然そうだし、
植物や動物、水や、地球や、細胞…
すべてと共感できるようになる。
どうしようもない繋がりを感じることができるようになる。

「自分とは、自分を構成する部分の総和以上の何かである。」

それが、すべてに共感できる自己認識。

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