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学ぶ、とは。

"You must learn what it is like to be male and female, to be parent and child. And you will go through the cycles until you can relate with others. And if you cannot understand them from your own viewpoint, then you will become them. And from their viewpoint you will see yourselves. This is the meaning of learning." -- Seth

Early Class Sessions 2 ESP Class Session, March 17, 1970

「男であるとはどんなものであるか。女であるとはどんなものであるか。君たちは学ばなければならない。親であるとは、子であるとはどんなものか、これらも学ばなければならない。そうやって自分と他者とを結びつけられるようになるまで、君たちは(生まれ変わりなどの)サイクルを経験する。君の見方から誰かを理解できない場合、君たちはその誰かになる。そうして、その人の見方を通じて自分というものを眺めることになる。これが、学ぶということの意味だ。」ーーセス

理解できないものを人は恐れる。
理解できないものを人は嫌う。

他者を恐れているようで、他者を嫌っているようで、自分を恐れているのだ。自分を嫌っているのだ。

外は内がわの完ぺきな鏡だから。

自分への恐れや憎しみは、無力感や抑制に繋がり、自然なエネルギーの流れや、自然な「やりたい」「なりたい」と思う気持ちの妨げになる。

抑制されたエネルギーはいつか爆発して、暴力的な現象につながる。そうしてバランスが取られるのだけど、ここでまた誤解が生じて、心の中に暴力的な要素が潜んでいる、とか勘違いして、さらなる抑制に繋がったりするから大変だ。

エネルギーの持つ、果てしない側面を知る。

多くは自然として現れている。

自然は美しい。

誰もが認めるところだろう。

人間のなすこと。人の心。

これもエネルギーの描く、無数の側面の一つ。

それらを学ぶ。理解する。

感情や行動のバリエーションが果てしないから、理解不能なようにも思えるけれど、根底にはいつものように、

「今以上の何かになろうとする衝動」

がある。

色々な立場を経験してみると、その立場でしか分からない、しがらみや慣習の形を取った、思い込みがあることに気づく。

色々な思い込みに縛られて、苦しいんだな。やりたいと思ってもやれなかったんだな。そう共感できるようになる。

変わりたい気持ちもわかるし、変われない気持ちもわかる。でもいつかは必ず変わっていけるということも知っている。

だから、どんな状態の人を見ても、決して責めたりすることなく、絶大なる信頼を持って、委ねる。

いつか分かるから。いつか楽になるから。

そんなに思い詰めることはないよ。

と、優しい気持ちで、全ての側面を受け容れられるようになる。

学ぶのは、エネルギー・ゲシュタルトで出来た自分の、全ての側面を受け容れるためなのだろう。

そうして、自分の中にある果てしないポテンシャルを、恐れることなく、ためらうことなく、放っていくためなのだろう。

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