学ぶ、とは。
「男であるとはどんなものであるか。女であるとはどんなものであるか。君たちは学ばなければならない。親であるとは、子であるとはどんなものか、これらも学ばなければならない。そうやって自分と他者とを結びつけられるようになるまで、君たちは(生まれ変わりなどの)サイクルを経験する。君の見方から誰かを理解できない場合、君たちはその誰かになる。そうして、その人の見方を通じて自分というものを眺めることになる。これが、学ぶということの意味だ。」ーーセス
理解できないものを人は恐れる。
理解できないものを人は嫌う。
他者を恐れているようで、他者を嫌っているようで、自分を恐れているのだ。自分を嫌っているのだ。
外は内がわの完ぺきな鏡だから。
自分への恐れや憎しみは、無力感や抑制に繋がり、自然なエネルギーの流れや、自然な「やりたい」「なりたい」と思う気持ちの妨げになる。
抑制されたエネルギーはいつか爆発して、暴力的な現象につながる。そうしてバランスが取られるのだけど、ここでまた誤解が生じて、心の中に暴力的な要素が潜んでいる、とか勘違いして、さらなる抑制に繋がったりするから大変だ。
エネルギーの持つ、果てしない側面を知る。
多くは自然として現れている。
自然は美しい。
誰もが認めるところだろう。
人間のなすこと。人の心。
これもエネルギーの描く、無数の側面の一つ。
それらを学ぶ。理解する。
感情や行動のバリエーションが果てしないから、理解不能なようにも思えるけれど、根底にはいつものように、
「今以上の何かになろうとする衝動」
がある。
色々な立場を経験してみると、その立場でしか分からない、しがらみや慣習の形を取った、思い込みがあることに気づく。
色々な思い込みに縛られて、苦しいんだな。やりたいと思ってもやれなかったんだな。そう共感できるようになる。
変わりたい気持ちもわかるし、変われない気持ちもわかる。でもいつかは必ず変わっていけるということも知っている。
だから、どんな状態の人を見ても、決して責めたりすることなく、絶大なる信頼を持って、委ねる。
いつか分かるから。いつか楽になるから。
そんなに思い詰めることはないよ。
と、優しい気持ちで、全ての側面を受け容れられるようになる。
学ぶのは、エネルギー・ゲシュタルトで出来た自分の、全ての側面を受け容れるためなのだろう。
そうして、自分の中にある果てしないポテンシャルを、恐れることなく、ためらうことなく、放っていくためなのだろう。
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