部分と全体
「あなたたちはそれぞれのリアリティがユニークで、かけがえのないものであること、そして全体の一部であることを認識しなければならない。その全体は、あらゆる部分の内に含まれており、蓋然性という眠りの中に横たわっているーーそこから目覚めようとし、すでに目覚めている眠りの中に。だからこそあなたたちは目覚めようとし、すでに目覚めているのである。だからこそあなたたちは、物理的フォーカスというトランスの中においてさえ、すでにより壮大なリアリティに目覚めているのである。あなたたちはただ、他を無視するポイントにフォーカスを置いているのだ。あなたたちの気づきのフォーカスをただ単に他の方向へと向けるだけで、自由は自ずと姿を見せ、そうして時間というものは、あなたたちをだます象徴的な閉じられたまぶたとしてみなされるだろう。あなたたちが夢を見ている最中、あなたたちは私たちであるものとなっている。あなたたちとは言い換えると、私たちの記憶であるーーそれでいて、私たちはあなたたちの記憶でもあるのである。」ーーセスII
すべての部分の中に、エネルギー・ゲシュタルトという属性が埋め込まれている。
その属性は、すべてへと発展するポテンシャルを内包している。
部分の中に、すべてがある。
部分の中に、全体がある。
ただその全体は、閉じていない。
「それを構成する部分の総和以上の何かである。」
その全体は、開いている。
全体は、部分からなる。
でもその全体は、部分の総和以上の何かである。
個々の部分は、さらに小さな部分からなる。
個々の部分も、それぞれをなす部分の総和以上の何かである。
すべての要素が、今以上の何かへと発展する活力を賦与されている。
すべての部分の中に、自らの枠を破壊し、新たな自分を創造していく推進力が備わっている。
それが、私たちひとりひとりの、生命の源。
私たちであるもの。