世田谷人に愛される「世田谷百貨店」が生まれ変わります。
世田谷線・上町(かみまち)駅から徒歩1分の場所にある世田谷百貨店。
上町のメインシンボル、スーパー・オオゼキと同じ駅前の一角に立ち並ぶ。種類豊富なドリンク、ホットサンドやデザートもあるカフェでありながら、こだわりの雑貨も取り扱い、時に個展やワークショップも行う、上町住人の集い場とも言える場所。
外から見ると小さく見えるが、店内はコの字形の空間でなかなか広い。
ワンちゃんと過ごせるテラス席もある。
世田谷十八番の配布に協力してくれる十八番フレンズ店でもある。
2018年9月のオープンから約4年。
すっかり上町の景色に溶け込んだこのカフェの店長が2022年12月をもって変わる。
現店長のマイさんと新店長のヂャユンさん。
世田谷百貨店の二大看板みたいな存在。
私、天野は家族でお世話になっている。だから、マイさんの卒業もヂャユンさんの店長就任も、どこか他人事のように思えず秋頃に話を聞いた時からずっとソワソワしていた。
時を同じくして私は世田谷十八番のメンバーとなり、編集長からnoteに好きなことを書いていいよと言われたものだから、この度、編集長に断りを入れることもなく、お二人にインタビューを申し込んだ。
世田谷百貨店の歴史は我が家の歴史
ちょうど世田谷百貨店がオープンする頃に上町へ引っ越した我が家。当時1才になったばかりの娘を連れてお店へ通うようになった。新規オープンした世田谷百貨店のワクワク感と不安が、新しい町にやってきた自分の気持ちとどこかリンクしている気がして、お店へ行くと落ち着けた。
まだマイさんもヂャユンさんもいなかったけれど、当時よくレジに立っていたオーナー奥様やスタッフの皆さんも本当に温かく。子連れでも嫌な顔1つせず、それどころか「子どもは見ているから、ここではゆっくりしてね〜」と声をかけてくれた。その時のスタッフさんたちの顔と名前は今もはっきりと思い出せる。
最初はベビーカーで寝るか泣くかしていた娘はもう5才になり、子ども用ジュースではなく、一丁前に大人と同じドリンクを飲む。お店の絵本を1人で読んだり、スタッフの皆さんと普通に会話をしたりする。
そんなわけで、誠に勝手ながら
「我が家の世田谷での歴史は、世田谷百貨店とともにあり」みたいな気持ちがある。
ちなみに我が家は、世田谷百貨店のことを略して「せたひゃく」と呼ぶ。
でも、この前お二人と話した際、お店のことを「ひゃっかてん」と言っていた。だから私も通ぶって、ここからは「百貨店」と呼ぶことにする。
現店長のマイさん、新店長のヂャユンさん
マイさんとヂャユンさんは、関西で育った中高の同級生。別々に進学した大学時代は連絡を取っていなかったが、共通の友人を通じて東京で再会。すでに百貨店で働き始めていたマイさんに続く形で、ヂャユンさんも働くこととなった。
オープニングスタッフが家庭の事情や次の夢に向かいお店を卒業する中で、次第に二人が百貨店の顔となっていった。
マイさんはいつでも人をまっすぐに見つめ、正面から誠実に向き合う人。ヂャユンさんは気付けば隣りにいて、温かく寄り添ってくれる人。太陽みたいなマイさんと、青空みたいなヂャユンさん。そんなイメージがある。
お二人は、真面目な顔をして話しているかと思えば、いきなり爆笑していたりする。私が大好きな光景の1 つだ。
関西から来たただの女
働き始めて1年ほど経った頃、正式に店長となったマイさん。当初から強い信念を持ってお店作りをしていたように見えたが、意外や意外、コンプレックスがあったと言う。
コーヒーのプロでもない、美味しいケーキを作れるわけでもない。
自分は関西から来たただの女。
真顔で自分のことをそう表現するマイさんのお茶目さに笑ってしまう。でもそんなコンプレックスが今のマイさんの姿を作ったのだと思うと感慨深い。
自分と向き合い感じた想いを、お客にもスタッフにもまっすぐ向ける。そうした作業を一つひとつ繰り返しながら、いつも皆の心に丁寧に寄り添ってくれていたのだなと思う。
「コミュニケーションは情報の交換ではなく、人間性の交換だった」
百貨店での4年間を振り返ったマイさんの言葉に全てが詰まっている気がした。
ところで、最近のマイさんはラテアートに凝っているらしい。
何でも描けるというので、マイブームだというユニコーンと、来年の干支のウサギをオーダー。噂には聞いていたけれど、、、
「スタッフがやっているのを見て自分にもできそうと思って。やってみたら、できました!」とても可愛い笑顔で言っていた。色んな意味で、この人やっぱりすごい。 卓越した真面目さと、ぶっとんだお茶目さが同居しているところが、マイさんのとてつもない魅力だ。
スニーカーを履いた守護神
「辞めるその日まで、全力でマイを守ります」力強く語るヂャユンさん。
「ヂャユンはほんま守護神やもんな」また真顔で言うマイさん。
相変わらず真剣なのか冗談なのかわからない二人のやりとり。でもどうやら本気らしい。
ある日、ヂャユンさんはサンダルをやめてスニーカーに替えた。
マイさんに何かあったらいつでも走れるように。
マイさんへの愛、すごいな。
でもヂャユンさんのスニーカーの力が最も発揮されたのは、お客様の忘れ物を届けるとき。忘れ物を見つけた瞬間にダッシュしている。
一番印象的なのは、世田谷線のホームまで追いかけたこと。一度閉まった世田谷線の扉が開いて無事に渡すことができたそうだ。
マイさんのため、お客様のために常に全力なヂャユンさんのことがよくわかる私が大好きなエピソード。
(ちなみに、二人はこのとき顔の前に両手を出し、全く同じポーズで世田谷線の扉が開いた瞬間を表現してくれた。二人の息があまりにもピッタリで笑ってしまった。今回カメラマンをしてくれた我が夫が、その素晴らしき瞬間の写真を撮れなかったことを今も悔いている。)
それぞれの想い
そんなマイさんが百貨店を卒業する。
情熱がなくなったとか想いが変わったわけではない。むしろ、百貨店への想いは前より強い。でも本気で力を尽くした人だからこそ見えてくる次なる道があって、それが見えたマイさんはどうしても自分の足でそこへ進んでみたくなったのだと思う。
ヂャユンさんは、反対も止めることもせず「いいやん」と背中を押した。
本当はマイさんがいない未来など考えたことはなかったけれど。
マイさんの気持ちにどこかで気付いていたのかもしれない。
ただ、新店長になる決断は簡単ではなかった。
自分が店長をやると言えば全てが丸く収まることはわかっているのに、どうしても言えない。「NO」と言えない性格のヂャユンさんが、人生で初めて「YES」と言えない苦しみを味わった。
百貨店への愛も責任感も強いマイさんと、マイさんを隣りで支え続けたヂャユンさん。簡単には言葉にできない葛藤や、あえて口にはしない苦しみがあったと想像する。
1ヶ月が1年にも思えるぐらいの感覚で、それぞれが長い期間悩んでいた。
でもその間も変わらぬ笑顔で接客してくれていたのかと思うと、少し胸がキュッとする。
マイのためじゃない。ゴメンとは言わない。
そんなヂャユンさんが店長になる決断をしたのは、やはりお店への想い。自分もマイさんもいない百貨店など想像できなかった。マイさんと築いたこの場所で、やれることもやりたいこともまだたくさん残っていた。
今はハッキリと言える。マイのためではない、自分のためにやるのだと。
それを受けてマイさんも言う。ゴメンの気持ちは一切持たないでいく。ゴメンと思いながら辞めて行くことの方が失礼だと思うから。
「いや、そこは1%ぐらい思っといて!」すかさず突っ込むヂャユンさんに「じゃあ1%は持っとくわ」と答えるマイさん。
こんなにも息の合った二人のやり取りを見られなくなるのが、私は寂しい。
私たちお客にできること
きっと二人には、互いの気持ちを尊重して言葉にしていない想いがまだまだある。たくさん話し合ったこと、あえて言わないこと。二人はそれらを全部わかった上で、マイさんの最終日まで走り切ることを決めている。
だからこそ私たちにできるのは、まっすぐ前を見据える二人を応援すること。2023年から始まるヂャユンさん率いる百貨店Newステージを存分に楽みながら、海外で暮らすマイさんに想いを馳せる。そうして共に新しい百貨店の歴史を刻んでいきたい。
−−−−−−−
あぁ。本当は、百貨店の歴史の中で宝物とも言える『お客様の情報を手書きで残したノート』と『定例会議のポストイット』のことも書きたかったのに、長くなりすぎた。
もったいないけど、ひとまず私の心の中にしまっておこう。
マイさん、今まで本当にありがとう!
ヂャユンさん、改めてこれからもよろしくお願いします!