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褒める動機なんて適当でいい
謙遜大国日本では「褒めるのはタダなのに」と思うことが多々あります。相手の持っているもの、作ったもの、やっていることなど、ちょっとでもいいなと思ったらすぐに「いいね」といえばいいのに、なぜこうも批判が多くなるのでしょうね。
同じように、誰かが作ったご飯に対し「美味しい」という人も少ないですよね。というか、美味しいという以前に、食べているものに集中していない人が多いですね。スマホを見ていたり、仕事の話をしていたり、接待をしていたり、全然違う話題で盛り上がっていたり。今やっているのは食事なんだから、とりあえず味わってみたらどうなんだろうと思いますが、そうやって食事をしている孤独のグルメみたいなのは、私しかいないんじゃないかと感じる場面がかなりあります。
眼の前にあることをじっくり見ようとしなければ、その事物の良さなんてわからないものですよね。電車内で9割の人がスマホに夢中ですが、一体何を見ているんだろうと思うことがあります。
もちろん、顔も知らない誰かの面白おかしいエンタメを見ている人から、心配事の調べ物をしている人から、会社の上司に返信を打っている人から、小説を読んでいる人から、色々とその楽しんでいるものは多岐にわたっていると思うんですが、たとえば、海外旅行やテーマパークの様子をインフルエンサーが楽しそうに配信しているのに夢中になっている人が多いことを考えると、それもいいけど、窓の外から見える景色、普段職場と家の往復で使っている区間にも面白そうなお店や気になる看板があることに気づくのに、もったいないなあと思うわけです。
「いいね」にきづける人でありたいです。「本質」とか「本当の価値」とか「より良いもの」とか、そんなのはまた別の話で、単純に、目に飛び込んできたものに反射的に「プラス思考な反応」ができる人間でありたいと思うのです。Noteの記事も、よく私は気軽に「スキ」ボタンを押しますが、深い理由や強い共感を持たなくとも「スキ」を押すことがあります。
すごいいいと思ったものと、ちょっとだけいいと思ったもの、なんとなくいいと思ったものの区別がつかないじゃないかと言われそうですが、程度じゃなくて、他人が書いたものに「いいね」と思える…「いいところを見つけたい」と思いながら読む人でありたいから、そうしています。
マイナスなことにはしっかり理由を付ける必要があると思いますが、プラスの感情にそこまで理由はいらないと思うのです。逆の人が多いところを見ると、こうした気持ちを持つことは難しいようですが、良いところに目が向くようになりたいですね。マイナスに気づける能力を、プラスに気づける気持ちの余裕に変えていくようなイメージで。