愛情と理解は別物
もう15年くらい前のことだと思いますが、私の父(今75歳なので当時60歳前後)がこんなことを言っていたそうです。
「世界は不条理、人生は不可解、母は無理解、妻は無関心」
この話は母から聞いたのですが、わざわざ帰省した息子に話すくらいだから、このフレーズが気に入ったのでしょう。ちなみに、父が言うところの母(私の祖母)は98歳の今も健在で、さすがに衰えは隠せないものの元気に暮らしています。
祖母は素直で真面目で善良な人物なのですが、息子である父からすれば、自分の気持ちを的確に汲み取ってくれているとは思えないようです。ただ、その祖母も息子や孫たちが繊細であることはわかっているようで、私が上京する際には「鈍感になるんやで」というアドバイスをくれましたが。
それはさておき、なぜ15年前の話を今日しているかというと、この話を中学1年生の長女に教えてやったからです。最近ちょっと母子関係がぎくしゃくしているようなので、母親に過度の期待をしないようにということです。
妻も真面目で善良な人物ですが、幼い頃から何事も器用に要領よくこなせたために、それが当たり前と思ってしまいがちな一面があります。それで思春期の長女がストレスを感じる場面は間違いなくあるでしょう。
これは当然のことで、たとえ家族でも別の人間ですから、何でもしっかりと理解できるわけではありません。祖母と父、妻と長女だけでなくどんな間柄でも、愛情の深さと理解度は必ずしも比例しないのです。それを理解することで何事においても寛容に対応できるようになり、愛情に感謝できるものだと私は思っています。