家族のために尽くす男
「非常事態、非常事態」
洗面所から出てきた中学1年生の長女が、リビングでくつろいでいた私に言いました。木曜日の午後11時過ぎのことでした。
「なんや、どないした」
「ゴキブリがいた」
まずいことになったと私は思いました。私はゴキブリが平気で出ても気にならないのですが、妻と長女はゴキブリが大の苦手なのです。以前住んでいたマンションでは、ゴキブリが現れた時に私が悠然と退治に向かったことで夫婦喧嘩になったこともあります。
「まあ落ち着け」
私は言いました。幸いなことに妻はもう寝ています。この時間帯だと何もできないので、ここは穏便に収める一手です。
私は洗面所に行って一通り確認しましたが、ゴキブリはいませんでした。洗面用具などが置かれているラックを動かしてみたものの、何も出てきません。
「もういてないで」
私は長女に言いましたが、彼女はまだ怖がっていて洗面所へ行こうとしません。それで困るのは本人なのですが、私にできることはもうありません。
「とりあえず明日殺虫剤と床に置いとくやつ買ってくるから、明後日しっかり対策しよう」
「うん」
ゴキブリ用駆除エサ剤を設置したのは何年も前のことです。おそらく効果は落ちているはずで、姿を確認したわけではないものの、ゴキブリが現れる環境になっていてもおかしくないでしょう。ここは迅速に対処する一手です。もし妻も目撃したら、転居の話が出てくる可能性もあります。
翌日、私は殺虫スプレーと駆除エサ剤を買って帰り、まず洗面所一帯にスプレーを噴射しました。そして、次の土曜日に子どもたちと手分けして駆除エサ剤を設置しました。
ゴキブリが気にならないのに駆除するのは、無益な殺生のような気がしてあまり気が進まないのですが、そんなことを言っても理解を得られないのはわかっています。家族のためなので致し方ありません。
「あと1つ、大事なことがある」
私は長女に言いました。
「こいつ(駆除エサ剤)の効果は1年やから、来年の8月の終わりに新しいやつに替えなあかん。それを覚えといてくれ」
1年後に自分が覚えている可能性はほとんどゼロです。ゆえに、こういうことはゴキブリが苦手な人間を頼るべきでしょう。