やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その⑭~療養
前回まで
ここまで、働きつつ初めて精神科を受診するまで、それからどのような経過をたどってきたかといった生活の状況について複数回にわたってお話ししてきました。
やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その⑩~社会人デビュー|せっと|note
やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その⑪~ブラック企業|せっと|note
やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その⑫~暗黒時代|せっと|note
やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その⑬~THE END|せっと|note
今回からは、私のその後の生活について、私的には「暗黒時代」という風にも思っているのですが、その頃のことについてお話ししていきたいと思います。
壊れてしまった自分
仕事へ行くことに強い恐怖感やプレッシャーを感じていた私、大量に余っていた薬をアルコールと一緒に一気にODし、自殺未遂を図りました。
自分がどうなったかはわかりません。たくさんの管や機器に繋がれ、ICUのベッドに身体拘束されている状態で目を覚ましました。
後から聞いた話ですが、家の中意識のない状態で倒れている私を祖母が見つけ母親に連絡、すぐに地元の大きな大学病院に救急搬送されたとのことでした。
病院では点滴や胃洗浄などをされたらしいです。そして意識が戻ったのは2日後であったようです。ベッドサイドには両親と当時すでに家を出ていた妹たちの姿もありました。その時は自分が生きているのか、それとも死後の世界で目を覚ましたのかすぐには理解できなかったように覚えています。
ベッドサイドにいる家族たちに何か言葉をかけなくてはいけないと思ったのを覚えています。そしてその時なぜ自分がそんなことを思ったのかよくわからないのですが、私は妹に対して、当時放送が間近に迫っていたテレビドラマについて、「北の国からはもうテレビで放映しちゃった?」と尋ねたことをよく覚えています。「明日か明後日放送だよ」みたいなことを妹が答え、それに対して「よかった、ビデオとっておいて」、といったやり取りをしたことを覚えています。
またその時薬がまだ抜け切れていなかったのだと思うのですが、呂律が回らない状態でやっと発語できているような状態でのやり取りでした。
今思うとなんでそんなことを聞いたのでしょうね、自分の起こした事の重大さを理解できておらず、すぐに退院してまた普通に生活に戻っていくつもりでいたのか、それとも大したことないというアピールのようなつもりであったのか・・・いずれにしても状況認識がきちんとできていなかったのだと思います。
診断名くだる
この間父親が会社の退職の手続き関係をしてくれ、病院の医師からはきちんとした精神科への入院を勧められ、自分としてもそれを望んだため、というか言われるがままでしたがそのまま精神科病院に転院しました。
転院先の病院で、初めてはっきりと自分の症状について統合失調症(当時は精神分裂病と言われていました)と診断がつきました。
その時に治る可能性について一緒に尋ねたと思います。それに対して「一生薬を飲み続けなければなりません」、とわりときっぱりといわれ途方に暮れたことを覚えています。
精神科の薬は今まで服用してきたものの、自分が精神病であるなどとは思ってはこなかった私にとって、このことはそれなりに衝撃でした。
ただ少なからず、病気だったんだ、だから仕方がない事だったんだ、なんてこれまで自分の体験してきたしんどさに対して納得させられるようなところもあったように思います。ある意味「もう頑張らなくてもいい」、「競争のレールから降りることができる」、みたいな安心感のような感覚もあったように思います。
ただ、仕事をして生活をしていくといった人生のイメージしかなかった自分にとって、「この先どうやって生きていったらいいのか」、といったことについても全く見当がつかず、その意味でも「お先真っ暗」、みたいにも思っていました。
また、自分の中には精神病に対する偏見も強くあったのだと思います。「自分がキケン人物の仲間入り」、とか「人生終了」、なんてワードも頭の中でぐるぐるしていました。このような偏見は結構最近まで自分の中に残っていましたね。
今回はここまで。次回以降も暗黒時代の話を続けていきます。