【読本メモ】「土の声を」を読んで
Xで岩波書店アカウントをフォローしている。
そのアカウントでこの本が紹介されていた。
何となく気になっていたので読んでみた。
信濃毎日新聞が取材をしており、舞台は飯田市。
長野県の南部に位置している。
友人の地元が飯田市だったとかで名前は聞いたことがあった。
長野県は山々でエリアごとに分断されている印象がある。
今回の取材は飯田市で行われていたが、リニアに直接的な影響がない長野県の他市町村で取材をしてみると、また違う声がありそうだ。
そうなると、飯田市近郊とそれ以外の長野県エリアで対立構造ができてしまいそう。
リニアは国策事業であり公共性が高いため、法律によって立ち退きを求められる人が出てくる。
それは任意ではなく強制。
補償はあるが、今の地価や築年数を論理的に計算した金額になる。
飯田市近郊で家を建てる人は、資産価値云々よりも愛着がある土地に快適に住める家を建てているだろうに、そんな世帯に論理的な数値をもと補償金額を決めるのは厳しいと思った。
飯田市の戸建ての資産価値なんて下がりまくってるに決まってるし、そもそもそこに重きを置いていない人に無理やり一方的なモノサシを押し付けるのはどうかと思ってしまった(都内でタワーマンションの売買を繰り返す都民だったらまだしも)。
あとは地方ならではのムラの感覚もあるようだった。
コミュニティが少なくて小さいから同調圧力が強い。
それで言いたいことが言えないとか、少数派の主張をしたら不利益を被るとかあったのだそう。
うーん、これはこの地方だけの現象ではないけど残念。
自分で自分の首を絞めてしまっている。
他に印象的だったのは残土だ。
今まで考えたことが無かったが、当然山脈をトンネルでぶち抜くのだから、掘った土に溢れてしまう。
それをどう管理するのかも大切な検討課題。
ただ、ここでも地元住人は上手に意見を纏めて戦うことができずに、自治体やJR東海に上手くやり過ごされて、何となく言われるがままに進んできてしまっている印象。
本を読んでみて、やはり少数の弱者の意見は全体の利益にかき消されてしまうのだと思った。
皆、自分は多数派にいると思っているがいつでも弱者の立場になる可能性があることは認識するべき。
そして少数の弱者に調整を依頼する場合には、誠意をもって対応することが大切だと思うが、リニアの件は事業者側が他人事でやっている印象を受けた。
個人的には、リニア建設は賛成。
50年~100年スパンで考えると、東海道新幹線は大地震で被災する可能性が高いだろうし、日本全体をコンパクトに運営していく意味でも必須だと思っている。
1世紀も経過すると、飯田市近郊エリアには人が住んでいるのかすら怪しい。
そんなことも考えつつ合理的にドンドンと政策を通そうとすると、事業者側の態度から誠意を感じ取れないといった批判が出るのだろう。
確かに政策推進が正しいことだとしても、それによって悲しんだり苦しい思いをしている人が今、大勢生きている(その目はこちらを見つめている)ということも十分に分かっておく必要があると思った。