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適応障害になって二年経ちました。退職し、軽度ADHDと統合失調感情障害の診断、障害者手帳3級取得と障害厚生年金3級支給決定となり、今は障害者雇用枠で就職活動中です。
こんにちは、カニンヘンです。
現在、43歳です。
41歳のとき、適応障害を発症し仕事を休職、その後退職。
42歳のとき、軽度のADHDと、統合失調感情障害と診断され、精神障害者保健福祉手帳3級を取得しました。
43歳の現在は、失業手当をもらいながら、就労移行支援事業所に通い、障害者雇用枠での再就職を目指しています。
今回はとても長いタイトルですが、適応障害を発症し休職してから二年が経ち、当時想定していた復職計画から大きく逸脱してしまった、という話です。
2022年12月 人生初の適応障害を経験
当時の職場は、高速道路を使っても一時間半以上かかるところでした。本来の私の職業はシステムエンジニア職でしたが、上司から、人手が足りていないところの支援に行ってほしいとのことで、支援先である客先病院の会計窓口にて、会計業務をしていました。
配属されて半年、車での長距離通勤、慣れない金銭の取り扱いと、客先病院の会計担当者さんからのパワハラが原因で、仕事に行けなくなりました。
近所の心療内科を受診したところ、病名は「適応障害」。
数か月の休養を要する旨の診断書を書いてもらいました。
2023年2月 最初の就労移行支援事業所に通い、復職準備
しばらくはずっと家に籠る生活だったのですが、新聞の求人広告のなかに、「精神不調で休職している人のための就労移行支援事業所」という広告を見つけました。
このまま家に籠っていても良くない、ということで、妻と二人で、その就労移行支援事業所の見学に行ってみることにしました。
実際に見学に行ってみたところ、私と同じように適応障害などで休職している人たちが、復職に向けて色々なカリキュラムをこなしていました。これなら私にちょうど良いのでは、と思い、通所契約することに。
2023年7月 発達障害の可能性を指摘される
就労移行支援事業所で数か月間、復職に向けてカリキュラムをこなしていきました。具体的には、通所している利用者さん同士でチームを組み、模擬的な業務を行うというものです。
私が主に担当したのは、施設内掲示物を制作するチーム、朝礼チーム、アイスブレイクチームでした。
継続的な通所と、模擬業務による訓練を通じて、心身ともに健康を取り戻していき、当時の主治医の先生から、復職可能の診断書を書いてもらうことができました。
そしてそれを持参し、会社の上司達と面談することに。本来であれば、8月からシステムエンジニア職として復帰できるはずだったのですが、上司達は私の復職を認めませんでした。休職猶予期間がまだあと二か月あるのだから、もう少し就労移行支援事業所で訓練するべき、という理由でした。
ですが、休職するに至った理由、つまり「適応障害の症状」は、主治医の先生によると回復したとみなされていたわけです。それなのに会社側は、私の「業務上のスキル不足」を理由に復職させなかったのです。
復職できなくて意気消沈していたところ、妻から産業カウンセラーさんを紹介され、面談を受けることになりました。
そしてその産業カウンセラーさんから「あなたは大人の発達障害かもしれない。発達障害による生きづらさが積み重なって、社会人になってから二次障害として精神不調になる人が多い。」という話を聞いた私は、とても衝撃を受けました。
それまで発達障害といえば、「自閉症の人」という認識しかなかったため、まさか自分が発達障害と言われるとは、夢にも思いませんでした。
2023年8月 発達障害の心理検査を受ける
いちど発達障害と言われた私は、毎日そればかり気になってしまい、ネットで大人の発達障害の記事を読み漁っていました。そして読めば読むほど、自分に当てはまるような気がしてならなかったのです。
主治医の先生に紹介状を書いてもらい、近所の大きな精神科病院で発達障害の心理検査を受けることになりました。本来ならば数か月待ちのところだったのですが、奇跡的に数週間待ちで予約をとることができました。
発達障害の検査としては、診察一回と、心理検査二回でした。
検査項目としては「AQ-J」「CAARS」「WAIS-3」「バウムテスト」「HTP」「ロールシャッハテスト」「MSPA」です。
2023年9月 休職猶予期間を使い切り、会社を退職
8月末に会社面談があったのですが、そのときの精神状態は最悪でした。発達障害の指摘を受けてから、「自分は発達障害に違いない」という思考にとらわれてしまい、飲酒や喫煙に逃げ、自暴自棄な状態でした。
そんな状態での面談だったので、当然、上司達からは、とても復職させられない、という評価でした。そして就業規則上の休職可能期間である9か月が経過していたため、これをもって「自然退職」となりました。
その翌週、発達障害の心理検査をした精神科病院から、主治医の先生のところに返書が届きました。これでようやく発達障害かどうかが分かる・・・私は藁にも縋る思いで主治医の先生のところへ結果を聞きに行きました。しかし先生からは「何もかも向こうの病院で診断されてたのかと思ったよ。いきなり大量の返書を送られて困ってるんだよね。発達障害かどうか気になるんなら、発達障害者支援センターというところがあるから、そこに紹介状を書こうか?」という、なんとも他人事な答え・・・。主治医の先生は、発達障害かどうかの診断をうやむやにしたままで、私は今度は発達障害者支援センターに行くことに。
そうして行ってみた発達障害者支援センターですが、そこには医師は常駐しておらず、支援員さんからは、「医師が書いた発達障害の診断書がないと、こちらとしてはご相談はお受けできないんです・・・」とのことで、何の支援も受けられませんでした。主治医の先生は、発達障害者支援センターに常駐の精神科医がいると思っていたんでしょうね・・・。
それならばと、私は発達障害の心理検査を受けた精神科病院に連絡し、もういちど診察を受けて、発達障害かどうか教えてほしい、とお願いしたのですが、精神科病院の医療相談室の人からは、「もうすでに当院でやるべきことは終わっています。あとはそちらの主治医にお任せしていますので、予約は受け付けられません」との返答。その主治医の先生が、確定診断をしてくれないから、お願いしているのですが・・・。
今にして思えば、再診希望を拒否された点については、
医師法第十九条第一項の「応召義務」
「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」
に違反しているように思えます。
こうして、私の発達障害の診断結果は、誰からも教えてもらえませんでした・・・。
2023年10月 新規開業の心療内科へ転院
そんななか、10月に新規開業する心療内科があるとのことで、今度こそ、という思いで、診察予約をとりました。
元の主治医の先生には、紹介状を書いてもらい、発達障害の心理検査をした精神科病院には、「カルテ開示」という手段で、カルテ内容が印刷された紙をもらってきました。その二点を持って、心療内科を受診。
ただやはり、大人の発達障害の確定診断というのは一度の診察で診断できるものではないらしく、何度かの診察を受ける必要がありました。
2023年11月 二か所目の就労移行支援事業所に通い始める
最初に通っていた就労移行支援事業所は9月で退所しました。最初の就労移行支援事業所は、あくまで「復職」を目的とした事業所だったため、そうではなく、「就職」を目的とした事業所を探すことにしたのです。
そんななか、ちょうどタイミングの良いことに、自宅から歩いて10分のところに、とある大手の就労移行支援事業所が、12月に開業するという話が!
さっそくその就労移行支援事業所で面談と見学をさせてもらい、正式に通所することになりました。
2023年12月 精神障害者保健福祉手帳3級を取得
新しく通院を始めた心療内科の先生からは、「統合失調感情障害」の診断を受けました。先生の見立てでは、私は発達障害というより統合失調感情障害に該当する、とのことでした。7月に発達障害を指摘されたときは衝撃を受けましたが、今回の病名もかなり衝撃を受けました。まさか自分に統合失調症の症状が隠れていたとは、思ってもみませんでしたから・・・。
統合失調感情障害の病名をもらった私は、今後のことを考え、精神障害者保健福祉手帳を申請することにしました。手帳を取得することで、障害者雇用枠に応募することができるからです。
そうして12月末、精神障害者保健福祉手帳3級を取得しました。
2024年7月 障害年金の申請準備
新しい心療内科への通院、新しい就労移行支援事業所への通所をはじめ、半年以上が経過していました。
このころには、自分の精神障害を客観的に見られるようになり、精神障害者保健福祉手帳を持っている自分という状況も受け入れられるようになりました。
また、最初に心療内科を受診してから、1年半が経過していること、適応障害より重たい病名がついたことから、障害年金の申請をしてみることにしました。
2024年9月 障害年金の申請完了
初診時の心療内科で「受信状況等証明書」、今の心療内科で「診断書」を書いてもらい、私自身は「病歴・就労状況等申立書」を書きました。
その他、いくつかの書類をそろえ、地域の年金相談窓口に提出しました。
2024年11月 障害厚生年金3級の支給決定通知
11月上旬、日本年金機構から通知書が自宅に届きました。等級は、障害厚生年金3級でした。これにより、二ヶ月に一度、約10万円が支給されます。
こうして、最初の適応障害から二年が経過しました。
二年の間に、本当にいろいろありました。
もし適応障害で休職していなかったら、私のADHDと統合失調感情障害は診断されることなく、相変わらず仕事上で些細なミスを繰り返しては、落ち込んでいたことでしょう。
そういう意味では、適応障害になったことも決して悪い出来事ではなかったと言えます。
最後まで見てくださって、ありがとうございました。