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【掌編小説】有老有死のヴァンパイア

創作教室で講評をつけていただいている同名の小説は、本作品の主人公チェ・ハラムの20年前を扱った約20000字の作品でした。

 チェ・ハラムは吸血鬼とあだ名されていた。血の料理が好きだとSNSで書いたことが一因だ。
 色白で線の細い、バラの花でも食べていそうな外見ながら、ハラムは肉食家だった。野菜を食べるのは、肉をよりおいしく食べるためである。デビュー前から行っていた地元の店に今も通い、血の腸詰を食べる。牛の血は栄養豊富で、貧血によく効く。
 10代後半でアイドル俳優としてデビューして、20年。少なくとも40歳近いのは、実年齢を公表していなくとも明らかだ。けれども、外見は40どころか30歳に見えるかも怪しかった。
 吸血鬼と呼ばれる最も大きな理由は、ハラムが歳を取らないことだった。不老不死の秘密は人間の血じゃないか、なんて。

 刻んだモツと血を吸わせたもち米や春雨を使った腸詰を、野菜や薬膳と共に炊いたスープには、ビタミンと鉄分と、その他にもたくさん栄養がある。ハラムの肌はいつも瑞々しい。髪のコシもへたらず、コンサートで歌いきる体力も落ちなかった。それでいて、中年親父のようなぎらついた脂っぽさが出るということもない。
 でもセックスだけはだめだった。
 生来、淡白な方ではあったけれど、ここ10年程は全くだ。勃たないわけじゃない。でもダメなのだ。そういう気分にならない。丁寧に女を濡らしてやる気力もないし、向こうが勝手にサービスしてくれるようなのも求めていない。肉体的なサービスなら、按摩でも受ける方がうんといい。セックスの快楽はもうずっと長いこと、心身ともに欲していなかった。

「うちのお店に一度来なよ。VIP御用達。本番なし、気持ちいいお店」
 事務所の同期だったナヨンは、30歳になる前に引退して実業家になった。10年ものも混じっていそうな俳優の卵や、俳優崩れの綺麗どころを集めた商売は成功している。性的なサービスではなくリラクゼーションを目的にしているらしいが、実際のところははっきりしない。
 セラピストの腰は俳優であるハラムよりも高いところにあった。ハラムより一回り以上若い世代だろう。手指は細長く、接客は丁寧で的確だった。節のある指がラテックスのグローブで包まれると、かえって色っぽい。セックス嫌いが少しだけ昂る。綺麗な手指で触れられ、大切に扱われる時間だ。
 なぜセックス嫌いになったか、考えても答えは出ない。ただ、汗をかいて腰を振っている自分に最近では嫌悪を覚える。ファンの言葉を借りれば「キャラじゃない」。体温を感じさせない吸血鬼としての自分のイメージと、動物的で生命力にあふれた性行為とは似合わないとハラム自身も思う。

 体中にパウダーを振られる。腕、脇、背中、鍛えた腹も尻の割れ目も。ほんのり湿っている局部まで。素揚げにされる前の魚のように、薄く粉を纏ってさらさらになる。オイルやジェルは好きではない。自分の汗や体液と混じって、何を塗ったくられているのかわからなくなるから。
 医療用の薄い手袋にもパウダーがついていて、気持ちよく滑る。手袋越しにセラピストの体温はほとんど感じない。触れるか触れないか、ほとんど摩擦のない動きで肌を撫でられるのが、気に入りだった。
 ナヨンの店のセラピストは癒しとリラクゼーションの充分な技術を持っているが、性風俗を毛嫌いする人間は敬遠するだろう。心と体の癒しを目的にうんと時間をかけてサービスされた後、セラピストが性的なサービスが必要か訊ねてくるからだ。その前後全てを含めて癒しだというのがナヨンの言い分である。そしてハラムが求めていたものも同じだった。肉体の欲を吐きだすためだけの数十分はただ虚しさしかない。同じだけの時間、他人の手にうんと優しく触れられて初めて、その気になる可能性が出てくるのだ。
 恋人同士なら欲しいものは自分が先に与えるのが筋だ。しかし、ハラムはそこまで優しくも我慢強くもなかった。疲れていたのだ。若い時からずっと、吸血鬼として他人に見られる人生を過ごしてきたのだから、もう疲れていた。

 ふっと息が漏れる。
「くすぐったいですか?」
 セラピストはパク・ユノといった。気持ちいいよと答えると嬉しそうに笑う顔が可愛らしくて、他の客に限度を超えたサービスまで要求されていないか心配になる。皮膚の感覚を敏感にされて、排泄以外にほとんど使われていない性器が、他の仕事もしてみようかとやんわりと頭を持ち上げた。
「ハンド・フィニッシュしましょうか」
 いつも聞かれ、いつも、それは不要だと断る。ユノは、毎回同じように確認する。そうすれば確かに、ハラムがいつか追加のサービスを望んだとき、はいと言うだけで済む。

 チェ・ハラムは女嫌いだと、よく言われた。テレビに、ゴシップ誌に、ファンに、アンチに。他人に言われているうちに、そうだったかなと思わなくもない。だが、女が嫌いとか、男が好きとかそういうことではない。強いていうなら、愛され尽くされる側でいたいという怠惰な欲求があった。何も与えずとも、反応を返さずとも、相手が気分を害することもなく快楽に導いてくれる行為なら望んでいる。そんなものがまともな人間関係として成立するわけがない。だから、ずっと他人と関わらないようにしていた。吸血鬼、チェ・ハラムのイメージに合っていたから、大きな問題にはならなかった。
 
 薄いゴムの膜につつまれたユノの指は、コンドームを被せられた性器と似ていた。だが、男の性器よりも細くて器用で、優しい。愛されたい、尽くされたい、楽になりたいと求めたハラムに応じて、ユノの指はハラムの尻の窄まりを探った。パウダー・マッサージをしたときと同じ、鳥の羽で撫でるような触り方。そんなところを他人に触らせるのは、おむつをつけていた幼児以来のことだ。ただ、何をするのか前知識のないままでも、怖くはなかった。気持ちいい。触られているところ以外もぐずぐずに溶けそうな感覚にうっとりとしていたら、ユノの指が2本、ハラムの狭い肉壁を押し広げた。
 吸血鬼。
 そう言われている自分の体の内側で、血液が巡る感覚がする。大雨の後の河川のようなごうごうという音さえ感じる。実際に聞こえているのは、湿った肉が立てるぴちゃぴちゃという音と、ハラム自身の段々荒くなる呼吸だけだというのに。ユノは一切声を立てないし、呼吸を荒らげたりもしない。ユノの指だけが、ハラムの内側に優しく触れる。
 
 出した分だけきっちり消耗して、食事に出かけた。サングラスとマスクでどこまで正体を隠せているかわからないが、誰にも声をかけられずに目的の店までたどり着く。何も言わなくてもいつもの席に案内され、いつものスープが用意される。消耗した体には栄養が必要だった。牛の血を使った腸詰と薬膳と、その他諸々炊いたスープは充分にハラムを癒すだろう。腸詰の薄い皮に歯を立てると、栄養をたっぷり含んだ詰め物がはじけてハラムの口内を満たした。
 10年だか20年だかため込んだ色々なものを吐き出して、ハラムは空っぽになった。ここからまた10年大丈夫かもしれない。あるいは、ほんの数週間後には同じ感覚を求めてしまうのかもしれない。わからないが、恐ろしくはなかった。
 不老不死でなくなっても、自分はそれなりに生きていくだろう。脂で汚れた口を拭いた後、こちらを伺っている日本のファンらしき女性に、指先でハートを作った。

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槙野 世理沙
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