見出し画像

【たとえ話】サイコロの目に応じて増えるボーナス ~流産に関するあれそれ~

今期の特別ボーナス! 槙野さんの部署の人は10万円×サイコロの目で金額を決めるよ!
部署を代表して私がサイコロを振った。
みんなが祈る。「6よ出ろ!」
私も祈る。「6がいいけど……せめて4くらいは!」
サイコロが転がり始めて、ビビリの私は願う。「1以外ならなんでもいいよ!!」
コロコロコロ……無情にも出る1の目。周りの音が聞こえない。時間が止まったように感じる。サイコロはもう微動だにしない。何をやっても、1は1のまま。

サイコロの目、1つの確率は16~17%。1も6も同じ。どうして私が振ったときに限って6じゃなくて1が出たやら。ボーナスの度に思い出すのだろう。日の丸を見てさえ、息が止まるだろう。

15%のはずれ

妊娠が確認(自覚)された後に起こる流産の確率は全ての妊娠の15%程度はあるという。
これは医療機関が把握している数なので、実際はもう少し多い。
たった15%に当たるなんて、と思った。
でも、サイコロの1の目が出るのと、ほとんど同じくらいの確率だ。普通に、出るじゃん。出ちゃうじゃん。――出ちゃったじゃん。

「お腹の子どもに万が一のことがあったら」

そう思って、短い妊娠期間を過ごしてきたが、全然、「万が一」ではない。
「六が一」。それが、流産の確率だ。

「子どもに万が一のことがあったら」とは、よく聞く。子育て中の人々も口にするし、妊娠中の人たちもよく使う。でも、「六が一」、流産するのだ。
みんな、黙っているだけなのだ。

妊娠初期の流産は、このように「よくあること」で、母体の健康状態や日常生活等が理由ではない。
多くは受精卵の染色体異常によるもので、何をしようとしまいと避けることはできない。10週間前の時点で、この赤ちゃんの寿命は決まっていたのだ。
でも悲しいことには変わりない。そして、自分の努力と今回の経験が次の妊娠に活かしようがないという無力感だけ、舌がズル剥けるほど味合わされた。次の妊娠をするなら、もう一度サイコロを振らねばならない。

たとえ話の「みんな」は私の家族

運試しの場面、普通なら「こういうの得意!」という己の強運を信じて憚らないキラキラした人が代表してサイコロを振るだろう。
でも私がサイコロを振った。
親族全員あわせて、妊娠可能な年齢と立場の女が私しかいないからだ。
よろしく、頼んだぞと応援して期待してくれていたのは、夫をはじめとした双方の両親などの家族たち。老齢の祖母にとってはひ孫というSSRキャラを待つ状態。

私のせいじゃない。だってサイコロなんて、運だもの。わかっている。
でも罪悪感だったり、どうしてという無力感だったりは襲い来る。
期待していたみんな。応援してくれたみんな。ごめんなさいと言うしかない。
槙野さんは悪くないよ、気にしないで、元気出して、とみんなが言ってくれる。みんなもそう言うしかない。がっかりした顔を見せないようにしてくれる。
私は誰とも目を合わせられない。彼らの前で、泣けない。だから、夫以外の家族にはそんなに落ち込んでいないフリを通しているし、今はまだ会いに行けない。

いいなと思ったら応援しよう!

槙野 世理沙
サポートで頂いたものの半分は、寄付など「誰かのために」使わせていただきます!素敵な世界に一歩ずつ近づけましょ!