日本憲兵外史② 在留邦人引揚の命令
在留邦人引揚げと、総司令部および満州国政府の通化後退が決定した。(八月十日)午前十一時頃であった。
総司令部の通化後退はともかく、一般人の引揚げはもう開始されていた。そのためにも鉄道輸送の確保が最も重要なはずであった。
翌十一日、宮本少尉が関東軍戦時防衛司令部に命令受領のために出頭すると、次の命令を受領した。
一、在京(新京)各部隊軍人、軍属の家族は、本日二十時、新京駅発臨時列車
にて疎開すべし。
二、新京駅までの輸送は各部隊において実施すべし。これに要する自動車
は別表の通りに配当す。
三、疎開家族の携行品は食料七日分、服装は最も軽装とす。
時あたかも昼食時であった。(憲兵隊)司令部へ戻った宮本少尉は、高等官食堂でこの命令を大木司令官に報告し、憲兵司令部の全将校に伝えて若干の補足説明をした。ところが松永高級副官が次の命令を発表した。
「憲兵隊家族は、本命令にかかわらず明日(十二日)出発する」
宮本少尉はこの命令に不満だった。このような時に憲兵隊だけが独自の行動などとれるはずがないからだ。家族の新京出発は翌十二日の朝となる。
この日、関東憲兵隊司令部では、朝から地下のボイラー室・・・
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