日本憲兵外史⑦           抗戦継続か? 大命遵奉か?

関東軍総司令部要員は航空機で新京へ向かった。
 この夜、関東軍総司令官官邸で、山田総司令官、秦総参謀長以下の幕僚が集結して、抗戦継続か大命遵奉かの重大会議が行なわれた。この状況を前掲長谷川報道部長の手記では、次のように記している。
 〈声涙下る大激論で、なかなかおさまりがつかなかったとき、秦総参謀長は一同を眺め廻し、
 「山田乙三を関東軍司令官として終わらしめるのか、それとも違勅の一匪賊に終わらしめるのか」
 と大喝して、大命遵奉に衆議をまとめた。だが、この一言はどうもひっかかるものがある。〉
 関東憲兵隊司令部も同様であった。抗戦論の急先鋒は警務部の尾崎義夫少佐であった。東辺道山中に立籠る悲愴な抗戦論も、結局歴史の流れには抗せない。大命遵奉と決定した。
 翌十六日、関東軍隷下の各軍に降伏命令が通達され、新京では秦総参謀長が関係者を帯同して、航空機でウォロシーロフに飛んでワシレフスキー元帥と停戦協定を結び、ただちに全軍に伝達した。だが、この時に不可解な命令が出た。
 総司令部から
 「憲兵司令部はその業務に鑑み、在満させることは全軍ないし国家に不利益を招来する虞(おそれ)がある。
 しかし、あえて・・・
➡ ⑧へ続く

いいなと思ったら応援しよう!