日本憲兵外史⑧           関東軍の指揮下を外れる

    しかし、あえて在満を欲するならば、今後勝手たるべし」
ということであった。
 これでは憲兵隊は邪魔者扱いである。
 八月十七日、軍の家族を輸送して、朝鮮の平壌まで南下していた生田省三少佐から、人見実軍曹が伝令として戻ってきた。
 生田少佐の報告で、総務部河村愛三大佐が、尾崎少佐以下数名の下士官を連れて急遽平壌へ出発した。残った関東憲兵隊司令部の大黒柱は、平木武大佐となった。
 同日午後一時、関東憲兵隊司令部要員は新京へ向かうため大混雑の通化を逆行で出発した。情報収集で飛び回っていた中村逸憲兵少尉と副島曹長が間一髪、列車に間に合った。だが、満鉄の叛乱で列車は四平・新京間で停止してしまった。
 この夜、酷い藪蚊に襲われながら列車の中で大木司令官を囲み、ローソクをつぎ足しながら一夜を語り明かした。話題は愚痴と承知のうえで敗戦の原因探求となった。だが敗れるべくして敗れた戦いに結論は出ない。しかし、司令官以下の憲兵にとって、しみじみと語ることができた最後の夜となった。
 次の日から関東憲兵隊司令部は元四平憲兵隊本部庁舎に入った。
 翌十九日、宮本信夫少尉を中心に、四平憲兵分隊の協力で情報収集を開始した。また関東軍の名において各所の・・・
➡ ⑨へ続く

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