日本憲兵外史⑥ 8月15日 玉音放送を通化で聴く
早早に朝鮮へ南下させた。
この夜、関東憲兵隊司令部将校は、通化市内の竜泉ホテルに、准士官以下は在留邦人宅にそれぞれ宿泊した。
このころ満州特設憲兵隊の雨宮初治郎中尉が到着して、脱出して来た新京市内の惨状を報告した。新京は集団暴徒の略奪が開始され、日本人が各所で襲われ、凄惨な状況下と変わっていた。
しかも、この日、関東軍司令部からの連絡で、明日正午に重大放送が行われるとの通知があった。
明くれば昭和二十年八月十五日正午、大木司令官以下の憲兵は、正装して通化分隊庁舎のラジオの前に粛然と整列した。憲兵隊上層部はすでに放送の内容をあらかじめ承知していた。
玉音放送が終ると、全員化石のように立ちつくして落涙滂沱であった。やるせない数秒の時間が流れた。河村愛三大佐の悲痛な解散の声に、全員が、はっとわれに返って退席した。
また、関東軍総司令部は通化の南大営満軍兵舎に入り、十四日の夕刻に東京との打合せのため、山田関東軍総司令官が航空機で新京へ飛び、東京との連絡で日本の敗戦が確実であることを知った。十五日の玉音放送の衝撃は、この関東軍総司令部要員連中が最も大きかったことだろう。
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