「読書」って言葉、なんかもったいない
読書にハマりました。
めっちゃ楽しい。
本を選ぶ時って、何らかのオススメ情報を見聞きかじって、
「しのごの言わず、とりあえず読んでみっか!」とケチらずに、
著者の名前の読み方すらわからないまま買うんすよ笑
そんで本を読み始める時、
著者ってどんな人なんやろって勝手に想像して、
目で聴くラジオみたいな感覚で読み始める。
あとがきや謝辞まで読み終わってから、
著者の名前の正しい読み方や、
公開されているビジュアルなんかを確かめる。
すると、
「えっ!こんな人やったん!?」
「普通のおっさんやん!」
「めっちゃ綺麗な人やん!」
「先週道端ですれ違ってね!?」
「なんかあの人に似てんなぁ。ほらあのぉこないだドラマ出てた〜あれやん!笑」
みたいなギャップも含んだ楽しみ方ができます笑
んで本題。
「読書」って言葉、すごくシンプルで良いと思うんですが、、、
「もはや著者と対峙して、話を傾聴してるやん!」と。
「書き物を読む」というよりは、
「著者の人生の一部を読む」という感じなんすよね。
傾聴って、物理的な距離やなくて、
心理的・精神的な距離の話やと思うんすよね。
著者のビジュアルも名前の読み方も知らずに読んでるくせに、
矛盾してんじゃねーかと言われればそうなんですが、、、笑
顔も名前もわからなくても、
ラジオのパーソナリティとか、
YouTubeで顔出しせずにやってる人とか、
チャンネル登録してないけどついつい動画開いちゃうあのチャンネルとか、
特定してないなりに特定の誰かの話に耳を傾けてるよなと。
読書って言葉が悪いわけではないんですよね。
ただ使い古されてきた間に、
地味とか暗いとか真面目とかしんどいとか時間かかるとか、
ややネガティブなイメージも離れなくなっちゃってると思うんすよね。
本当に読みたい本を読んでる時間って、
飲み会で尊敬する上司や先輩、頼りにしてる友人の話を聞くのと変わらないなぁ、
って感じるんすよね。
むしろ、著者が内容を練りに練って、
関係者も構成や誤字脱字等をめっちゃチェックして、
凝縮してブラッシュアップしまくって出来上がった話を、
約1500円くらいで何度でも聞けてしまう。
しかも自分のペースで。
相手も自分も縛らずに時間すら飛び越えちゃってますからね。
話聞きたい人を飲みに誘うより安くつくし勝手が効くよねと笑
こんなあらゆる意味でコスパ良くて楽しいこと、
なんで今まで蔑ろにしてきちゃったのかなって笑
やっぱ「読書」って表現じゃ足りないんだよなぁ。
インタビューと言っても良いくらいなんだよなぁ。
なんなら下手に直接取材するよりまとまってるよなぁ。
「遠隔オフライン時間差面談」とでも呼ぼうか?
長いな笑
本を書くって、やっぱ著者の人生の一部を凝縮したものだし、
しばらくは読書じゃなくて、
「読生(どくしょう)」
とでも心の中で呼んでみようか笑
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