綺夏のいたわり:ショートショート
かすむ目をパチクリさせながら歯を磨いていたら、突然、鏡の自分と実際の自分の動きとが、少しずれているのではないか、という気がしてきた。
一旦、歯磨きを中断して目を流してみる。
クリアーになった視界はだが、却って状況を詳らかに露呈してしまったようだ。
かすんでいた時の方が、鏡と自分はずっと合致していた。
顔を上げたとき、綺夏(あやか)は自分の後頭部が見えてしまったのである。幸い、地肌はしっかりと髪に覆われていて健康的だった。
『ふぅ』
などと安心している場合ではないし、脱毛に悩んでいる訳でもないが、一種の本能的な反応なのかそう安堵せずにはいられなかった。
歯磨きを再開すると、最初、その動きは、比喩でなしに、腹話術師がやるというあの、声が遅れてくる芸そのものだった。
しかし、どんな互い稀の術師でも、声を発することなく声を発するなんてことは不可能だろう。綺夏は磨く手の動作を止めてみた。驚いたことに、鏡に映る自分は、変わらず歯を磨いていた。
茫然と立ちすくむ綺夏。歯を丁寧に磨き上げる綺夏。
見ているとだんだん終わらせたい気持ちになるのに、向こうの自分は黙々と続けて一向に終わらせる気配を見せない。
ためしに口をすすいでみた。顔を上げると、彼女は1人になっていた。
にーっとして磨き具合を確認した。どことなく、いつもより白くて美しいような気がした。思わず鏡に触れ、鏡の自分に触れた綺夏。
するとまた彼女は2人になるのだった。
綺夏の目に涙が浮かんでくる。やがて一筋の雫となって、頬を緩やかに伝い、ぽたりと滴り落ちた。
一滴、また一滴と涙はこぼれ、綺夏の胸は締め付けられた。
『泣かないで』
と、鏡越しに、頬のあたりを拭ってあげた。
『ごめんね』
と彼女は謝った。
うっすら湿っているようにも感じられる頬を水で軽く洗い流した。いつもより丁寧に石鹸を泡立て、やさしく撫でるように、いつからか、濁流のような荒々しい日常、目まぐるしい忙殺のすえに忘れていた仕方で、彼女は顔を洗った。
( ´艸`)🎵🎶🎵<(_ _)>