全ての人々が幸福である事を願うというフィクション

以下、駄文である。

年末になると、どいつもこいつもがやたらと病みだすイメージがある。
実際に人は寒さと共に人肌が恋しくなったり、孤独を強く感じるという精神状態になりやすいらしい。
それは一向に構わないしその人達のシチュエーションってもんがあるだろうからしょうがない。
マライア・キャリーでも流れてくればカップルはよりハッピーにもなるし、ワムでも流れてくればより寒さが身に染みたりもする。

その一方で、夏になると暑さと共に開放的な気分になってやたら薄着で外に繰り出し酒にまみれて酔いと勢いに身を任せて一夜の逢瀬を楽しんだりもする。
湘南乃風が流れればチンパンジー並にタオルを振り回し、クラブミュージックが流れれば人間のタガが外れたように弾けまくる。

それも別に楽しい時間だし別にいいと思う。

それよりも気になる事がひとつ。

いつまで季節や天候に人間は左右されるんだ?

それを日本人の四季の感覚と呼ぶとするならば世界中の日本人以外で騒いでるやつはみんなクレイジーなのか?いや、実際クレイジーなんだろう。

ロシアとウクライナで終わりの見えない戦争が起きていても、
病院へのお金配りの名目で5類に落とされず、いつまでたってもwithコロナの舵がきれないコロナ問題が残り続けていても、
国の財政が大赤字の中で円安も重なって増税になって自分自身の生活が切迫しようとも、
沖縄の座り込みの実態が世に暴かれ老害とポジショントークでの金稼ぎ共のブチ切れが起きようとも、
哲学者で大学教授の宮台真司さんが校内で襲撃される事件がおきようとも、
中国系の半グレが池袋サンシャインの高層階のレストランで乱闘しようとも、

大人数で球を蹴り出したら皆そっちに夢中になって日本人アッパレという自己肯定感にすり替えてどんちゃん騒ぎで全てを忘れてしまうのは…、

何か別問題であり、しかしどこかで近しい何かを感じてしまう。

賞味期限の切れた食材を分からないように混ぜ込んでしれっと食べさせてしまうような感覚。

それが発覚した時には皆で大騒ぎして作った人間を言葉で殺そうとするけれど、計画や支持した人間の所までは届かない。

どちらも喉元を過ぎたらおしまい。

つまるところ日本人ってのは全ての事象にさほど興味がなく、その場その瞬間の盛り上がりを共有出来れば満足してしまうのだろう。

何かがおかしい。
でもその何かは大多数の意見としてまとまっていればそれで決まってしまう。
素晴らしき民主主義の作り出した賜物である。

そんな事を考えながらパチンコ屋に向かう自分もまた、一時の快楽に身を任せてしまう日本人そのものなのだろう。

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