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アニメと光と記号論

今回も強引なタイトル三段落ちシリーズです。語呂も良いし気に入ったので調子に乗って使っています。
前回はアニメーションのレンズ的表現のうち、ピントの表現に関してつらつらと書いてみましたが、今回は同様にレンズに関する表現としてアニメーションに用いられる光の表現について技術的なことと最近思うところを書いていこうと思います。

光も実写においてはレンズを通過することで構造的物理的な影響を受けて様々な表情変化を見せます。またレンズを通過する前にも環境の影響を多く受けます。光は人の目で直接見ることができますが、アニメーションの表現においてはレンズを通した表現として扱われている場合がほとんどで、それらの表現を取り入れています。

光の表現にもいくつかのパターンがあります。
一番多く用いられるのは発光感の表現です。光源が直接発光している状態の表現ですね。使用頻度も一番多いと思われます。太陽や炎などの自然現象から車のヘッドライト、モニターなどの照明や人工物まで多くの表現が存在します。また間接的な発光として金属や鏡面の反射や瞳のハイライトなどニュアンスとして用いられるものがあります。他にはレーザーやビームなどの光線や魔法、魔法陣など空想的な表現にも用いられます。これらは光源が画面内にあるもので、具体的なモノと関連した光と言えます。
その他に画面外にある強い光源からの影響で現れる現象の表現としてフレアや入射光、レンズゴーストなどがあります。(ゴーストは直写の場合でも使います)こちらは主に画面の雰囲気を形成するために使用されます。ハレーションというものもありますが、これはフィルムで起きる現象なので少し表現が違います。
発光の仕方にもいくつかパターンがあり、大きくは点光源と面光源に分けられますがそれぞれの発光する主体に合わせて作られます。

撮影による光の表現もピントの表現同様、フィルムの時代から用いられています。手法はいくつかありますが、基本的には実際の光を撮影することで表現します。
下の写真はフィルム時代のアニメーション撮影台ですが、撮影するセルや背景画を置く台(テーブル)の中心部分の板が外せる構造になっており、ガラス板と交換することができます。

アニメーション撮影台

このガラスの上に光を通すための穴や必要な形状を素抜けにしたマスク素材を置き、台の下から光を当てて撮影します。これがいわゆる透過光です。省略してT光とも呼ばれます。光を通す素材はセルを黒色の絵具で塗ったものや黒紙に針でピンホールを開けたもの、また細い線やディティールを再現する場合はリスフィルムなどが使用されました。撮影時は照明を消して暗室状態で光のみを撮影します。つまりセルの撮影は同時に行えませんので、絵の方は先に撮影にしておいてフィルムを巻き戻し、再度光のみを撮影する多重露光を行います。
また特殊な表現が必要な場合は絵と光を別々に素材として撮影し、現像所やオプチカルハウスと呼ばれる光学合成を専業に行うスタジオでオプチカルプリンターという特殊な光学合成装置を使用して絵と光を合成する場合もありました。
透過光と同じく多重露光するものにスーパーがあります。スーパーインポーズの略です。撮影済みの絵にタイトル文字などを後から露光する場合などはスーパーになります。自分の経験ではオプチカルで合成作業をすることが多かったのですが、直接カメラで多重露光することも可能です。

撮影台での光の撮影時にはレンズの前(後ろにフィルターを入れる改造したカメラも存在します)にフィルターをかけてそれぞれのカットの演出意図に合わせた表現を行います。
透過光の色の変更はカラーフィルターを用います。多くの色から演出指示に合わせて必要な色を選択します。
光に拡散効果を与える場合はソフトフィルターを用います。これによって光の周りにフレアが発生して発光感を演出できます。ソフトの他にフォギーやディフュージョンなどいくつかの種類があり、それぞれ拡散のニュアンスに違いがあります。また強度(かかり具合)も段階があり、必要な強さのフィルターを選択します。
十字光を作る場合はクロスフィルターを用います。これは点光源を撮影すると十字の光条(光の筋)が現れるものです。種類によって6条などの数の違いや光条の交差角度を変えられるものなどがあります。

実写のクロスフィルター

さらに透明なフィルターに傷をつけた自作のカスタムフィルターや、メンソレータムなどの軟膏を薄く塗って拡散効果をもたらしたり、波ガラスを使って光を屈折させるなど多様なフィルターワークを駆使していました。ガラスを使わず網や薄手のストッキングなどを使用する例もあります。

光の表現からは少しズレますが、透過光を使った撮影ではモーションコントロールシステムを搭載した撮影台を使用することで更に複雑な表現が行えました。モーションコントロールシステムとは、専用の制御用コンピューターに接続したモーターを撮影台に取り付け、それまで人力で行っていたカメラの各種の動きを自動化したものです。システムでは撮影台の可動軸にステッピングモーターを取り付けてあります。ステッピングモーターはコンピューターから送られるパルス信号によって正確に軸が回転します。何パルスで何度回転するかが決まるので、例えば背景の引きなどの動きもパルス数で動く距離を設定できますし加速減速も設定できます。カメラのTUーTBだけでなく、シャッターや絞りもコントロール可能です。また動きをプログラミングすることができるので、何度も同じ動きを繰り返したり、複数の軸を同時に動かす複雑なカメラワークが可能になります。このためいくつもの軸を同時に動かす複合した動作でも位置のズレなく多重露光や透過光撮影が可能です。

モーションコントロールの線画台 この部分だけでも7軸の制御が可能

モーションコントロール撮影の代表的な効果と言えばストリークスリットスキャンです。どちらもシャッターを開けたまま長時間露光をしながら素材やカメラを動かすことで平面の素材をゆがませたり奥行きを持たせたりといった3次元的な表現ができます。
ストリークは光の尾を引きながら動く表現で、オープニングタイトルなどでよく使用されました。下記の画像のように文字が光の尾を引きながら移動するような映像になります。原理的には写真撮影で長時間露光しながらペンライトを使って文字を描くのと同じです。シャッターが開いている間にカメラや素材を動かし光で軌跡を描きますが、同時に露出を変化させることでグラデーションを作ることもできます。

ストリークの例 光の尾を引く表現は長時間露光とカメラワークを組み合わせて撮影する

スリットスキャンで有名なのは『2001年宇宙の旅』のスターゲートのシーンです。原理的にはストリークと同じく長時間露光しながら素材やカメラを動かすのですが、その際に素材とカメラの間に光を通すスリットを置き、それで同時に素材をスキャンさせることで平面にパースを付けたり形状を変形させることが可能になります。この原理を使うことでいろいろと面白い映像が作れるのですが、詳しい説明は項数の関係で割愛します。機会があればロストテクノロジーの一つとして書けたらと思います。(現在は別の原理ですがデジタル処理で同様のものが作れます)

現在のデジタル撮影において光の表現はピント表現同様各種プラグインを用いています。プラグイン無しでもマスクや合成モードを使用しての表現も可能ですし実際用いられている部分も多いのですが、リアリティのある表現を求める場合はやはりプラグインの使用が必要になります。これは用いるプラグインが実写合成を前提に開発されていることに起因します。実写に重ねたときに違和感が無いように設計されているので当然ルック自体がリアルになりますし、また光学的なシミュレートのできるものもあるのでその点でも”らしさ”がアップします。例えば回折による光の回り込みなどは単純なデジタルのマスクワークだけでは表現が単調になりがちで、表現するためには手数をかける必要があり、雰囲気を出すのが難しいものの一つです。

デジタル合成による面発光表現の例
一番右は加算レイヤーのみ その他はタイプの違う発光表現のプラグインを使用したもの

よく使われるのはレンズフレアを生成するタイプのものや光のグレアを表現するものになると思います。画面でもよく見ることがあると思います。これらを用いることでレンズで光源を撮影したりレンズフィルターを用いたような効果を得ることができます。

レンズフレア効果を適用した画面とパラメーター
フレア形状のカスタマイズ画面

また実際に光をデジタルカメラで撮影した素材を使用する場合もあります。素材集として売られているものもありますが、先程撮影台で説明したようなフィルターやその他のマテリアルを用いて実際の光を何パターンも撮影してそれをライブラリー化し、合成用の素材として使用します。

デジタルでリアルな表現は増えましたがここにも落とし穴があります。レンズボケ同様に現実には起きない条件の表現をしてしまう場合です。例えばレンズフレアで発生する光条は、形と数がレンズの絞りの形状に依存します。そのため同一画面上に光条の数や形や角度、回転の動きが違うものが並ぶことは現実にはあり得ません。ただこれが表現の難しいところで、そのランダムさにより華やかさやきらびやかさが増すのは確かで、画面的面白さ優先ならアリとも言えます。ここは演出の考え方ですが作業者としては指示が無い場合には注意が必要です。

ここまで光を画面に加える方法について書いてきましたが、アニメーションにおいて光の表現は必ずしもリアルな光が必要なわけではありません。下記の『風の谷のナウシカ』の冒頭、ナウシカが腐海で胞子を採集するシーンでは色の塗り分けだけで見事に発光感を演出しています。フレアやグレアのような要素もありません。

『風の谷のナウシカ』のワンシーン 公式画像より

これを見ると光の表現は光そのものよりも光が存在する環境をどう表現するかが重要な事がわかります。現在のアニメーションでも光源に対してのキャラクターや環境に対する影響を考慮した表現を行ってはいますが、逆に考えれば環境色を正確に設計できれば光源をリアルに光らせずともシーンとしての光の表現は可能だということになります。実際にそれを実践している作品があります。

監督の片淵さんのポストによれば、このパイロットフィルムでの光の表現にはぼかしの要素こそあれ、いわゆる透過光的な表現は使用されていないとの事です。絵の原則に則った色によるコントロールで発光感を見事に表現しています。

これも一つの考え方ですが、見栄えする技術に頼らず基本を押さえることの重要さがわかる事例だと思います。その基本を押さえることがこれまた大変に困難ではあるのですが。

アニメーションでの透過光表現自体は古くからありますが、多く用いられるようになるのは思ったよりも時代が下がってからになります。改めて見ると1st ガンダムでのビームサーベルやビームライフルなどの表現はセルで描かれたビームにエアブラシでフレア部分をピンクの絵の具で吹き付けた特効と呼ばれる手法で表現されています。フィルム撮影の透過光は二重露光のために時間も手間もかかりますし、そもそも透過光撮影に対応した撮影台でないと行えません。(特効もブラシのマスクを切ってから、1枚づつ吹いていくので手間と時間はかかりますが)またモーションコントロールでなければカメラワークにも制限があります。
そもそも絵においての発光は色と陰影とを用いる表現であり、光った感じを画材をもって描画するものです。アニメーションはたまたまフィルムやデジタルという媒体を用いるがゆえに実際の光(とシミュレーション)を取り込む事が可能になっていますが、光を描くという本質を忘れてしまうとリアルに作ったところで光っているように見えないという本末転倒な事態が起こりえます。まずは絵としての成立条件を押さえることが重要です。

しかし絵としての成立条件とはどう考えればいいのでしょうか。

アニメーションは記号と言われることがよくあります。記号論的に考えるとアニメに限らず全て記号として捉える考え方があるので「アニメは記号」というのも当たり前と言えば当たり前なのですが、よく言われる「アニメは記号」というのはそれとは違ってもう少し感覚的、直感的なニュアンスと思われます。
興味があって浅学ながら調べた記号論によれば、記号はイコン、シンボル、インデックスがあり、それぞれ対応するものや意味があるそうです。自分の素人解釈ですが以下のような感じです。

  • イコン 対象を図式化した記号

  • シンボル 習慣や文化規範などの特定のコードによって定義される記号

  • インデックス 対象との知覚的関連に基づく記号

こう見るとアニメは多くの記号の持つ特性により成立しているといえますが、その中には先の3種の記号が複合的に組み込まれていそうです。例えばキャラクターはイコンつまりはアイコンでしょうし、冷や汗や青筋など多くのギャグ的表現は日本のマンガ文脈をふまえたシンボルと言えそうです。また多くの効果(エフェクト)は現実の再現を念頭にしておりリアル志向である点を考えるとインデックス的と言えそうです。一般的にインデックス記号は実物との対応関係が必要で現実の実体が無いアニメには無さそうですが、昨今のアニメで発生するの聖地化現象と結び付けてアニメが実際の場所を媒体にインデックス性を持ち始めているという論もあるようです。
また作品のスタイルがリアルから離れていく場合は表現自体もイコン性やシンボル性が高まり、インデックス性自体も薄まっていくでしょうし先の3つの分類もアニメーションにおいてはこれと言って固定できるものではなさそうです。

以前『小市民シリーズ』のフレーミングについて書いたnoteで少し触れましたが、アニメの中での表現が記号として機能すれば現実のシチュエーションと相似した関係を築けます。

記号としての表現のリアル度が上がればそのインデックス性から現実との関係は強固になり説得力が増すと考えられますが、問題はベースがあくまでも絵であることです。過度なリアリティは絵としてのバランスを欠くことにつながります。作品にはスタイルやテーマに合わせたリアリティレベルが存在します。これを越境すると作品の表現としてはバランスを欠いたものになりかねません。しかし光の表現においては何故か対応できる範囲が広めのため、それが多用される理由でもあると思われます。先に上げたように現象を色の変化として抽象化して捉えることで色のコントロールだけでも十分表現可能という例もあるわけで、リアルでなくとも対象の現象が抽象的記号の表現でもシンボル記号として成立していればその機能を果たす事ができるはずです。アニメーションが意外とリアリティの差を吸収してしまう表現ということなのかもしれません。

創作目線で考えると、その抽象的な記号性をどこまで突き詰められるかというのも中々に興味深く思えます。表現をどこまで抽象化しても伝わるかという挑戦はかなり魅力的に思えますし、自分自身も今はリアルさよりもそちらの表現方法に魅力を感じています。自分も制作に関わったモノノ怪でも従来より記号性を重視する方向で表現する方法が選択されています。

最近の作品は光の表現だけでなく、その他の効果もリアリティがアップする方向性に向いて進んでいます。その上で絵の持つ魅力とうまくマッシュアップできるような表現ができることも一つの理想であると思いますが、それとは逆にプリミティブに見えつつも高度に抽象化、記号化した世界観を提示する表現というのもまたアニメーション全体を考えたときに作品の多様性に必要なものであると思います。特に現在の商業アニメーションにおいてはクオリティの定義がリアリティに寄りすぎているきらいがあるのではと感じることも多いので、それ以外の要素も含め楽しめる作品作りが必要な気がしています。

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