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あの頃の自分の「研究」のこと①

自分は唯、四五年前の自分とその周囲とを、出来る丈こだはらずに、ありのまま書いて見た。従つて自分、或は自分たちの生活やその心もちに興味のない読者には、面白くあるまいと云ふ懸念もある。が、この懸念はそれを押しつめて行けば、結局どの小説も同じ事だから、そこに意を安んじて、発表する事にした。

芥川龍之介「あの頃の自分の事」『芥川龍之介全集 第四巻』岩波書店、1996年、118頁。

 もう三年が経とうとしている。家庭の事情で大学院を退いてからいままで、実生活のことで多くの苦労を経験したが、ようやく「あの頃」のことを振り返ろうという気持ちになることができた。「あの頃」に経験したこと、考えていたこと、感じていたことを、鳥瞰することができるくらいには、落ちつきを取り戻しつつある。

 折角だから「あの頃」のことを、構成などを深く考えずに、ありのままに書いていこうと思う。特に際立った事件をピックアップするというより、思いつくままに記していきたい。最後まで書き終えて読み返したときに、自分だけが、その懐かしさや切なさに苦笑するかもしれない。

 この文章には、たくさんの書籍が登場する。それらの「文献」の詳しい書誌情報については、文末に「参考文献」としてまとめることにする。


『ジェノサイド再考』の衝撃

 本格的なルワンダ通史であり、ルワンダに深く関係する国々の膨大な数の文書を参照し、ジェノサイドが発生した原因を巡る論争に対して、独立前後の民族内・民族間の関係を検討する重要性を指摘した、鶴田綾の『ジェノサイド再考』が刊行されたのは、2018年のこと。ルワンダの歴史を研究していた、当時のわたしにとって、それは「衝撃」と呼べるものだった。

 この名著が刊行される以前、ルワンダの歴史について詳しく書かれた日本語で読める書籍というのは、武内進一の『現代アフリカの紛争と国家』くらいだった。これは、2009年に刊行された著作なので、ルワンダを主眼に置いた研究書が登場したのは、かなり久しいことになる。

 もちろん、専門誌にはルワンダを取りあげたいくつもの論文が発表されていたし、テーマを絞って詳細に論じている貴重な文献がたくさんあった。しかし日本語で読むことのできる、内戦後のルワンダまでを扱った通史といえる著作は、ひとつとして存在しなかった。だからこそ『再考』が刊行されたことは、ルワンダ史を研究していたわたしに「衝撃」を与えたのだ。

 英語で書かれたルワンダ史を学ぶ上での最重要文献は、ジェラード・プルニエ(Gérard Prunier)の『The Rwanda Crisis』(外国語文献ではあるが、日本語文献と表記を統一した方が読みやすいと思うので、あえて『 』でくくる)だが、最初の数頁の英文を読解するのに苦労したのを、いまでも覚えている。大学三年生くらいのときであっただろう。

 最初から洋書にあたるより、日本語で読める関連する文献をいくつも精読して、ある程度の知識を入れてから挑んだ方が、遥かに効率がいいし、書かれていることの意味も掴みやい。そういう点では、これからルワンダについて学ぼうとするひとにとって、外国語文献へのアクセスの橋渡しとして、『再考』は最適な「入門書」として役立つという一面もあるだろう。

 修士論文を本格的に執筆しはじめる直前に、ルワンダ史を包括的にまとめた貴重な文献に出会えたことは、個人的には「エポックメイキング」とも言える出来事だった。そしてもし、もう少し早く修士課程に進学していたとしたら、その「恩恵」を受けることはできなかったと思うと、浪人生活の苦労が報われるような気もする。

息苦しさを変えたい

 フランスの哲学者であるジャン=フランソワ・リオタール(Jean-François Lyotard)の『ポスト・モダンの条件』の議論が、東浩紀の『動物化するポストモダン』の中で言及されていた。大学院に入り一年目のわたしは、東の提出した「データベース消費」にまつわる議論について考えていた。考えている内に、気付いたらリオタールを読んでいた。

 ルワンダ共和国の歴史をテーマにして研究をはじめたのだが、わたしの念頭にあったのは、思想や哲学を用いることで、もう少し「ルワンダ史」を多様な視点から分析することができないかということだった。優れた先行研究をまとめる中で感じた、議論のステージが狭く閉じこもっているという実感が、その模索の出発点だった。

 そこで注目していたのが、東の「データベース消費」という考え方だったのだが、『動物化するポストモダン』をきっかけにリオタールを読んでいくうちに、開かれた議論のステージを作ることは可能だと実感するようになった。『ポスト・モダンの条件』は、わたしの研究の方向性を決定付けることになったのだ。

 しかしわたしが所属していた研究科には、思想や哲学に対する嫌悪感を表明する先生が少なからずいた。その方々と話しているうちに、その背景には「ソーカル事件」の影響があるのではないかと思った。それでも、そうした嫌悪感が邪魔になって対話を拒絶されたのは、すこぶる残念であった。

 哲学を専攻する研究科ではないので、そうしたリアクションが起こるのも仕方がないのかもしれない。だけどこういう風潮は、「ルワンダ史」の議論のステージを広くしたいと考えていたわたしに、息苦しさを与えていた。そして、こういう息苦しさを変えたいと思った。どれくらい鼻白まれようとも、思想や哲学を研究の方法論に組みこむという姿勢は変えなかった。

 そして出来上がった修士論文は、ルワンダの歴史を扱っているものの、その中の数章を、ポストモダンの説明やリオタールの読解に割いている。我ながらユニークな論文に仕上がったと思うし、いま振り返っても、新しいことを言えている(研究に新規性がある)と自負することができる。

唯一の理解者である「H先生」

 思想や哲学を用いた研究に、忌避感や嫌悪感が表明される環境にいたとはいえ、わたしに「理解者」がいないわけではなかった。わたしの研究をある程度評価して下さった先生に、H先生(特定される心配はないだろうが、万が一でもご迷惑をかけるわけにはいかないので、無作為にアルファベットを選んだ)がいる。

 H先生は、思想や哲学を専門としていないながらも、それらのことついて博覧強記であり、わたしの研究をびしびし指導して下さっていた。わたしが大学院を退くことに決まったあと、一度ご飯に連れて行って頂いたのを鮮明に覚えている。先生の「たとえ大学院に在籍していなくても、地道に勉強を続けた方がいい」という言葉は、いまもわたしの胸に響いている。

 先生が指導している大学院生と一緒に、ホセ・カサノヴァの『近代世界の公共宗教』を輪読する機会を頂いたり、お忙しい中、一対一の形でガヤトリ・スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』を丁寧に読む講義を開いて下さったりと、H先生からは多大な恩を受けている。

 H先生は、誰よりも学生ファーストの先生だった。相手のことを分かろうとする努力を怠ってはならないというのは、H先生の教えだ。先生は、わたしの稚拙な意見さえ、じっくりと聞いてくれたし、反論をするときも否定の言葉から入ることはなかった。先生からは、学問だけではなく、「ひととして大事にするべきこと」も学んだ。

 どれだけ難しく近寄りがたいものであっても、本の内容を理解しようと努力をするべきだ。本と対話をするのが大切だ。それは、異文化交流のひとつでもある。読解力の不足に悩んでいたわたしに対して、H先生がそう激励して下さったこともあった。その激励がなければ、いまごろ、好きな本だけを読んで、限定された知識や情報だけを得るようになっていただろう。

 研究生活を了えて実家に帰り、介護と闘病をしているいまもなお、わたしの部屋の本棚には、先生の著作が背表紙を見せている。この記事を投稿したら、久しぶりに手に取って見ようと思う。

(了)


【参考文献】
・Prunier, Gérard. The Rwanda Crisis: History of a Genocide, Hurst, 1997.
・芥川龍之介「あの頃の自分の事」『芥川龍之介全集 第四巻』岩波書店、1996年、118-142頁。
・東浩紀『動物化するポストモダン-オタクから見た日本社会-』講談社現代新書、2001年。
・カサノヴァ、ホセ(津城寛文訳)『近代世界の公共宗教』ちくま学芸文庫、2021年。
・スピヴァク、ガヤトリ・C(上村忠男訳)『サバルタンは語ることができるか』みすず書房、1998年。
・武内進一『現代アフリカの紛争と国家-ポストコロニアル家産制国家とルワンダ・ジェノサイド-』明石書店、2009年。
・鶴田綾『ジェノサイド再考-歴史のなかのルワンダ-』名古屋大学出版会、2018年。
・リオタール、ジャン=フランソワ(小林康夫訳)『ポスト・モダンの条件-知・社会・言語ゲーム-』水声社、1986年。

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