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【文学フリマ岩手9】「付箋を外す」「赤切符と金時計」の試し読み

 6月16日(日)に「岩手県産業会館(サンビル) 7F」で開催される、「文学フリマ岩手9」(11:00〜16:00)にサークル参加いたします。
 詳しい情報は以下をご覧ください。

(2024/06/15 閲覧)

 お品書きはこちらになります。

お品書き

 3冊とも、文字サイズは大きくなっております。

『恋情散り咲く』より

 今回は『今日は、すき焼き』に収録されている「付箋を外す」と、『無色の本棚・赤切符と金時計』より「赤切符と金時計」の一部を、以下に公開いたします。ご参考にして頂けたら幸いです。


『付箋を外す』03-18頁(全40頁)※2箇所を除きルビ削除、強調削除

 洋太郎は、玄関を通るときに、扉の向こうから太鼓の音が聞こえることに気づいた。磨り硝子の向こうに靄として見える夕暮れの中を、息継ぎができぬくらいのリズムで太鼓が打ち鳴らされている。その主が何者なのかを掴もうとする。厚手の靴下を通り抜けて染みこんでくる冷気さえ忘れてしまう。どんどん家の前に近づいてくる。すると幽かに、念仏が聞こえてきた。
 炬燵で句集をめくっていた祖母の辰子にそのことを報せると、鉛筆を置いて急いで立ち上がり、台所にいる洋太郎の母親に向けて、托鉢のお坊さんが来たということを告げた。その時、母親の久美は、晩御飯の準備で忙しかったので、「洋太郎に千円を包んでおいてもらってください」と言い残して、フライパンに解凍した牛肉を入れて炒めだした。
「三百円くらい渡せばええんやなかったけえなあ」
「だって、お札(ふだ)をもらうんだから、お札(さつ)を包まないといけないでしょ」
「ええ……そうやったけえのお」
「いいから、洋太郎に言っといてください」
 洋太郎は入れ替わりに台所へ入ろうとしたが、辰子に呼び止められた。
「小銭を持っとらんか」
「小銭なら財布に入ってるけど」
「おかあさん! 包んでもらうんですってば!」
「けんど……ちょっと聞いてくるわ」
 辰子はしょげたように呟くと、玄関の方へと出ていってしまった。
「洋太郎、あっちのタンスに入っている袋に千円を入れて、玄関に置いといて」
「名前は勝人でいいよね?」
 冷蔵庫から味噌を取り出すと、「忙しい、忙しい」と繰り返しながら、晩御飯の準備に戻っていった。
 洋太郎は、物置となっている部屋へ入ろうと襖に手をかけたところで、玄関の扉が少しだけ開いていることに気付いた。外から辰子の喋り声が聞こえてきた。スリッパを履いて外の様子を窺うと、辰子は向かいの中田家のお婆さんにお布施のことについて訊いているらしかった。
「××寺の人やったら包むけんど、そうやなかったら、小銭でも……」
「そやろ。包まんでええんやな」
「たぶん、そうやと思うけど……」
 もうあの太鼓の音は聞こえてこない。まず橋向こうの方へ行ったのだろう。びゅうびゅうと風が吹いている。この厳しい寒さのなかを、あのお坊さんは歩いているのだ。突然の来訪に戸惑っているこの村の人々は、家からでてきて打ち合わせをはじめている。
「いくらくらい渡せばええんかいな」
「どうやったやろ」
「包んどいた方がええんちゃうやろか」
 洋太郎はこうした会話を耳にしているうちに、段々と憂鬱になっていった。なぜなら自分の祖母ばかりが、やたらと小銭でいいということを強調しているからだ。辰子は、久美とは反対のことを言いたいがために、包みたがらないのではない。あくまで無邪気に、自分の記憶を信じ切っているのだ。
 辰子と久美は真っ向から対立しているわけではない。敵意を持っているのは久美だけで、辰子の方はといえば、どこまでも鈍感である。のみならず、ひとの気持ちを汲むことが苦手でもあった。だから先ほどまでも、久美が晩御飯の支度をひとりでしているというのに、暢気に炬燵で句集をめくっていたのである。
 しかし洋太郎もまた、久美の手伝いをしていたわけではない。彼の兄で、先日帰省をした柳生も同じである。ふたりの父親の勝人だけは、単身赴任で別地にいる。辰子の夫はすでに鬼籍に入っている。
 では、洋太郎と柳生がなにをしていたのかといえば、ふたりとも自分のしたいことをしているだけである。大学二年生の洋太郎は趣味の文芸創作に打ち込み、そして大学院の博士課程に在籍している柳生は、横文字の専門書を、コーヒーの湯気を横目に足を組んで読んでいたのである。
 いつもと同じことをするのならば、下宿先で冬期休暇を――むろん、大学院生の柳生には、休暇というものはないのだけれど――過ごしてもよさそうなものだが、ふたりは別々の理由から帰省をしているのであった。
 洋太郎は、久しぶりに母と祖母に顔を見せたいという、半利己的な理由からの帰省であり、西洋の現代思想全般を視野に入れて研究をしている柳生は、環境を変えることにより、思わぬアイデアを得られるかもしれないという、彼いわく「実践的」な意味合いで実家に帰ってきていた。
 ふたりの帰省は、辰子の気持ちを少なからず温ませることはできたが、久美にしてみれば、家事の量が増えるだけであり、我が子とはいえ迷惑に思うところがないこともなかった。が、洋太郎はときおり一階に下り家事をほんの少し手伝うことによって、ごく僅かな貢献をしていることは確かだった。のみならずそれは、洋太郎の自尊心を満足させるに充分なことでもあった。
「千円を包むので合ってるよね?」
 台所に返ってきた洋太郎は、四人分の料理を作っている母親にそう訊ねた。
「なんで?」
 棘が含まれている母親の声は、洋太郎をいくらか萎縮させた。
「ばあちゃんが、中田さんとかに聞いてるみたいだけど、小銭でいいとか言ってたから……」
「えっ」
 久美は味噌を溶かす手を止めて、にわかに顔を曇らせると、「みっともない」と切り捨てた。
「年寄りなんだから、自分がみんなに教える番でしょうに。なんで覚えてないんだろうね」
 義母には言えない愚痴を、早口でまくしたてると、また調理の方へと戻っていった。
 洋太郎は袋に「瀬山勝人」と父の名を記し、千円札をそこへ入れて封をして、玄関の竜が彫られた木の衝立の上に置いた。辰子はまだ、ご近所さんとの会話を止めていなかった。いまはもう、お布施のこととは別の話題に移っているらしい。笑い声が上がることもある。そのとき台所の方から、四人分の料理が完成したという報せが届いた。

 洋太郎は、自分と柳生の、母への貢献の度合いを測る分水嶺があるとすれば、家事への参加とともに、感謝の意を表明することにあると思った。食卓に出される料理をすべて平らげて、後片付けを手伝うというのは、それ自体は微々たる助力ではあるけれども、好きなものだけを食べて、食べ終わったらさっさと二階に上がる柳生よりは、母を喜ばせていると考えていた。
 久美からすれば、確かに洋太郎の方が自分の手助けをしているように見えていたが、中途半端な家事への参加は、冷評に値しないこともなかった。この二人は、対称的でありながらも、実質的にはそれほどの差異がない。しかし、そう断じてもなお、自分の子供であるという事実によって、甘めに見積もることはたやすいようだった。
「もう上がっていいよ」
 久美は仏壇に供える花が萎れているのを気にしながら、テーブルを拭いている洋太郎をやんわりと馘首した。彼は、輪ゴムで結び直した花を挿した花瓶を受け取ろうとしたが、その手は虚空を掴まざるをえなかった。
 自室に戻った洋太郎は、母の前で感じていた息苦しさから逃れられたことで、いくぶんか気持ちが楽になっていた。原稿用紙換算で百二十枚程度を予定している純文学の長篇小説は、あと少しで折り返しに到達する。大学生活の後半は忙殺されると仄聞していたこともあり、プロの作家になる糸口を見出すまでの時間は、もうそれほど残っていないと焦っていた。来年には自分の名前が文芸誌上に載ることを夢見て、洋太郎は執筆に没頭していった。
 すると、またあの太鼓の響きが聞こえはじめた。部屋を出て窓から外の様子を窺うと、中田家の先に灯りがともっていた。一階から、急いで玄関に向かう足音がした。扉が開くと耳をつんざくような、厳めしい調子の誦経と太鼓の音が二階まで大きく鳴り響いてきた。洋太郎はもう、いまさら玄関へ出ていく気にはなれなかった。
 階段の一番上に腰を下ろし、お坊さんの独唱を聞いていると、後ろから肩を二度叩かれた。振り返るとそこには、左の方の目を眇めている柳生がいた。洋太郎は目礼をしたきり顔をそむけた。しかし柳生は、その態度が不満であっただけでなく、屈辱まで感じたらしかった。
「うるさくて研究に集中できないんだけど、これ、なにしてんの?」
 その怒声は、全力疾走の後の心臓より速いペースで鳴り続いている、太鼓の音の狭間から刺さってきた。しかし柳生は「理性」の信奉者ということもあり、いまのが感情的なもの、つまり激昂として捉えられていないかということを危惧していた。無論、柳生の呼びかけは、洋太郎には後者の方として轟いていた。不愉快な気持ちが惹起させられたのは事実だった。
 この不愉快の源流をたどるのは難しいが、その支流となっているものとしては、苦労して作った母親の晩御飯を残したのに平気な顔でいることに対する反感がある。それでもこの不愉快の全体像を、洋太郎は掴み切れていないらしかった。それは、ひょっとすると、柳生の「インテリゲンチャ」的な仕草への憎悪と言っても差し支えないのかもしれなかった。
 その仕草というのは、彼が食卓に並べられたものの中から好きなものだけを食べるということの正当性を、横文字の本から拾い出した理屈を並べて論じ立てて見せるところに現れていた。そしてそうした理屈を、彼の信念である個人主義が下支えしているのは確かだった。しかし、家族を全体主義的で同調圧力の塊であると断じる柳生もまた、瀬山家の一人に違いないし、そのことで多分の恩恵を受けているのも事実だった。研究を続けることも一人暮らしをすることも、家族の多大な助力がなければ成り立たないはずである。
 洋太郎は兄の問いかけに応えずに、まるで音楽会の席についているかのような心持ちで誦経を聞いていた。そして彼は、段々と感傷的な気分に支配されていった。この誦経の所々に、どこかノスタルジアを惹起させる響きを感じ取りはじめたのである。
 柳生は、一向に取り合わない洋太郎に舌打ちをすると、自分の部屋へと引き返した。
「これだから田舎は……」
 そんな柳生の捨て台詞は、打ち鳴らされる太鼓の音に瞬く間にかき消された。

(続く)


『赤切符と金時計』10-17頁(全18頁)※ルビ削除

 長火鉢の灰をかきまぜていたお初は、勝手口の方から聞こえてくる、いまだ馴染まぬこの地の言葉での会話に耳を澄ませていた。平吉が帰ってくるまでは、なにかと心細い。お初は、実業家の三十郎が囲っていた女性との間に生まれた子だった。しかし三十郎の死後は、母は若干の手切れ金を持って元の家へと戻り、それから親類の伝手をたどって、子のお初はこの田中家へと嫁に出された。
 お初の姑は――さっきから吉助と親しく話しているお良は、平吉と或る実業家の三女との縁談を妨げたのは、お良の存在であると考えていた。しかし実際は、お初の家族は、それに対して、なんら関係も持っていなかった。が、それゆえに、いくらでも存在しない裏を探索することができるのも事実だった。
 お良は「文化竈さん」と彼女を揶揄することもあった。それは、彼女の家の仕事への不慣れなことを――しかし、この地の慣習にいまだ慣れきれていないだけなのだが――冷評する渾名だった。
 お良と愚にもつかぬ話をしていた吉助は、お初にちょいと頭を下げると、田中家を後にした。しかしその足は、奉公先の酒屋とは反対方向にあった。今日辺り、色街へ繰り出そうかなどと考えながら、酒の買い付けの約束を取りに行くために歩を進めていく。彼の口八丁は、酒屋の主人も認めるものだった。
「おや、若旦那」
 向こうからやってきたのは、制帽を指で回している主人の一人息子だった。一人前の文化人を気どった顔をして、鷹揚に歩いている。実際彼は――文学に親しんだ彼は、このときも、ゲーテの詩の一節を口の中に含んでいた。
(チョッ。気どりやがって)
 黙礼だけして通り過ぎた彼の後ろ姿を見送りながら、吉助は「あかんべえ」をしたい気分だった。いや、もしひとりの男が「若旦那」の横を通り過ぎなければ、実際にそうしていたかもしれない。
(どこのひとだろう)
 コートを着こんだ男は、枯れた見越しの松のあたりですばやく吉助を追い越した。どうやら道を急いでいるらしい。

 早足で停車場に向かう男の懐には一枚の電報が入っていた。
〈チチキトク スグカヘレ〉
 冬の往来は、埃っぽい煙が霧のように足下に立ちこめて、寒風は山毛欅の枝を寂しく揺らしていた。
 ふたりの新聞記者が、威勢を失した自然主義文学について論じたり、西洋で擡頭しているイズムの話や、新経済学について意見を交換したりして横並びに歩いていた。
 片方の目を細めて、なにもかもを見透かしたような顔をしている記者の肩に、停車場へ向かう男の肩がぶつかりそうになった。その男がすんでの所で身体を曲げなければ、衝突していたに違いない。

 プラットホームには、老紳士が若者の自死に関する問題を、帝大の文科の学生に――無論彼は、卒業論文を書くためにここまで来たのである。そしてこの老紳士は……いう必要もなかろう――演説をしていた。
「われわれは超越的な存在を知らないからね、信頼しているのは、そういうものより、このステッキやきみの金釦なのだから……」
 男は胸元から金時計を取り出すと、次の上り電車が来るまで、しばらく時間があることを知った。
「死は自らの生命を抛つことで成しうるとしても、その先にある暗やみから、導きの光を見出すことができるかというと……」
 男の右隣では、銀杏返しに結った女性が――もちろん、肩を聳やかしながらベンチに座り――時期遅れの××雑誌の新年号を読んでいる。目元は涼しく美しく、冬の陽をまともに浴びているせいか、一枚の西洋画のように男の眼には映っていた。
「しかし先生、そうした考えが、今後我々に馴染むかといえば……」
「まあ、最後まで聞きなさい。カントというひとは、道徳についてこんな考えを……」

 男は、ある女性に懸想していた。が、彼女はすでに夫を持っていた。のみならず、ふたりはただ、往来ですれ違っただけだった。しかし彼と同じように彼女もまた、なにかしらの運命をその一瞬間に感じたのだった。
 この男は、友人の家へ遊びにきていたおりに、生家から父の危篤を知らされた。ようするに、こうした恋の火種を冷却して、すぐにでも帰る必要に迫られた。長火鉢の灰をかき混ぜて鉄瓶を熱している彼女が、彼の友人の家に密かに送った便りを受けとる前に。

(続く)


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