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映画『きみの色』は子供たちがただしく青春をし、大人がそれを赦す作品だった

聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。

イザヤ書 6章9小節より

それぞれの葛藤

日暮トツ子の場合

 トツ子はとても明るい子なので、終始悩みなんてなさそうに映ります。でも彼女は沢山『出来ない』事がある子です。

 例えばすぐ乗り物酔いをしてしまったり、子供の頃やっていたバレエが上手く踊れなかったり。
 それこそ本作の根幹のひとつである『嘘や隠し事』が下手という所も。

 でも彼女は、それを全て逆手にとって楽しい方向へ持っていける強い子でした。

・乗り物酔いをするのなら修学旅行(いろは坂が映っていたので、日光。渋いぜ。)に行かなければいいじゃない!

・上手く踊れなくても自分が楽しいならいいじゃない!

・嘘をついても、告解をすればヘーキ!

 令和のマリー・アントワネットかと言わんばかりの、とても強い子です。

作永きみの場合

 きみちゃんは、本作において最も繊細な子として描かれていました。

 周囲から向けられる羨望の眼差し、祖母や先生方から向けられる期待や喜び。

 本来ポジティブに受け止められるであろう事柄に対して、きみちゃんはそれを裏返すように、重圧へと変換して次第に押し潰されていくようになります。

 彼女の唯一の理解者であるお兄ちゃん「しろ君」は、映像には出てきませんがコミカライズされた作品では少しだけ描写があります。

しろ:あ そうだ 俺のギター使っていいぞ きみ
きみ:えっ いいの?お兄ちゃん
しろ:楽器は使ってやらないと音が悪くなるからな
祖母:しろ君が頻繁に帰ってくれば良いのよ ねえ
しろ:たまには帰るよ じゃあ しっかりな いや ほどほどにな きみ
きみ:・・・ え
祖母:何言ってるの きみちゃんなら 大丈夫よ

   ©️Sanami Suzuki ©️2024「きみの色」製作委員会 株式会社KADOKAWA きみの色① 第2話より

 しっかりもので無ければならない。周囲の期待に応えねばならない。その十字架を背負うのは自分だと言わんばかりに。

 でも彼女はふと、学校を去りました。それを祖母に告げることもなく。告げようものなら、育ててくれている祖母の期待を裏切ってしまう事になるから。

※実際のところ退学をしたら保護者に連絡が行くと思うし、学園長とお祖母ちゃんは同級生という旧知の間柄。それを『知らない』は、少し無理筋だなと感じました。
両親と理由あって離れて暮らしているという設定だったので、もしかしたら放任主義すぎる両親の方へは連絡が行っているのやもしれません。

影平ルイの場合

 ルイ君は本作の舞台装置が『音楽』となった時点で、絶対的に欠かせないメンバー。

 長崎のとある島(五島列島とか?)で、唯一の町医者さんを母に持つルイ君。

 ちょっとしっかり見れなかったんですけど、入学式か卒業式の記念写真の描写を見るに、お父様かお兄さんが他界されている?設定。

 いずれにせよ、お母さんは息子が自身の跡を継いでくれる事を当然と思っているし、ルイ君自身もそうする事が『既定路線・自然な事である』と思って勉学に励んでいます。

 でも勉強する為に塾へ通う際に島を離れるので、その際に音楽に触れる機会を、母に内緒で作っていきました。

子供時代の嘘や隠し事は、法を犯した罪よりも時に重くのしかかる罪となる

トツ子は、体調不良を偽って修学旅行を欠席し、ルームメイトや先生方、県外(福岡?)にいる両親を騙してしまう。

きみは、自主退学した事をずっと育ての親である祖母に隠し続けている事。

ルイはどうしても抑えきれない音楽への情熱を、『新しい勉強法』と偽って時間を作り、それを母に隠している。

 全員が全員、嘘や隠し事を秘めて、その葛藤を抱えながら日々を生きていいく。
 
これは私が鑑賞前に書いた投稿でいうところの、正しい青春のカタチです。
 子供というには大人びていて、大人というにはまだ幼い10代後半の持っている視野や世界は恐ろしいほどに狭いんです。

 ある意味では万引きや傷害、果ては殺人などの重い罪よりも遥かに重いストレスを感じながら、日々を生きています。

 本作はそうした日常の描写が7~8割を占めている作品です。

 それを退屈だと思う人もいるかもしれませんが、視点をかえて彼女らは毎日抗い続けているんだと、丁寧に描写してくれていると感じ取ることが出来たならば、本作の解像度はあがると私は思います。

その罪を赦す大人たち

 最も描写が多いのは、シスター日吉子。彼女はとつ子たちが危機に直面した時、最も近しい存在として寄り添ってくれる大人でした。

 また終盤、それぞれの隠し事を打ち明けるきみとルイ。きみの祖母やルイの母が、直接的にそれを赦すシーンや台詞は描かれていません。

 でもその告解を受けるはるか前から、彼女らの行いを赦しているであろう描写は、しっかりと描かれています。

 きみのお婆ちゃんはパートで働いているお蕎麦屋さん?で、自身の孫と同じ年齢の子たちが『修学旅行』の話題で沸いているところを既に見かけていました。でもきみ自身に「どうして修学旅行のお話をしないの?」と問いかけることはしません。

 またルイの母も、ルイのアジールである廃教会に絶対に近寄らないでいてくれたし、突然息子が「合宿をするんだ!」といって毛布を沢山持っていっても、「風邪を引かないようにね。」とだけ伝える優しさを持ち合わせていました。

 きみとルイの告解の前に、唯一描写のあるのがトツ子です。

 トツ子だけは修学旅行をサボってしまった事がバレてしまい一度帰郷した際、お母さんから叱られるかと思いトボトボと歩いています。
 しかし久しぶりに再会した母は、

「学校から連絡が来た時は目一杯叱ってやろうと思っていたんだけど、トツ子がバスに乗ったら酔っちゃうんじゃないかなって心配してたんだわ。そうまでして守りたいお友達が出来たんだね。」

 と明確に赦されるシーンが描写されています。

 トツ子のみしっかりと赦すシーンを描写し、きみとルイに関しては何となくで伝わる状況に留める。

 それも全て日常をしっかりと描写していくからこそ、我々鑑賞する側に伝わるようになっている演出と脚本の妙だと感じます。

 見せるところは見せる、見せないところは削る。引き算こそ難しいんです。本作は日常の何気ない描写をふんだんに入れ込んでいるのに、彼女らが抱えている葛藤に対しては呆気ないほどアッサリと消化されていきます。

 捉え方によってはそれが消化不良。だけど日常での描写が丁寧だからこそ、伝わるものがある、感じ取れるものがある作品だなと感じました。

水金地火木土天アーメン!

 散々語ってきたけどなあ!要約すると本作はここに集約されんだよ!水金地火木土天アーメン!

 いきなりカット数がアホほど増えて、劇場で泣きながら笑ったわ!

 予告PVや宣伝手法として沢山使われてきた『水金地火木土天アーメン』。良い意味で期待を裏切らなかったし、良い意味でどんでん返しがなかった。

 それは監督もインタビューの中で

裏切らない裏切りみたいなものもいいだろうかという気持ちですね。
ちょっとした反骨精神でもあります

きみの色 劇場パンフレット

と応えています。

答えを求めすぎてはいけない

 本作ではともすれば『呆気ない』とも受け取れるような描写が多くあります。

・トツ子の人の色が見えるって設定は結局どう活かされたの?
・きみはその後どうしたの?
・ルイは受験に合格できたの?
・きみの恋模様は?
・シスター日吉子が駆け出していったのは何!?
・彼女たちの葛藤ってその程度だったの?

 そうした問いは、与えられた情報の中から自身で想像の翼をひろげて考えればいいんです。

 作者側から全ての答えをもらえると思ってはいけない。

 今回はキリスト教(というかミッション・スクール)も、もうひとつの大きな舞台装置。

 余白を大事に感じ取っていきましょう。

 あったかソーメン!


 彼女らのバンド名にも使われたもう一つのアジールとも呼ぶべきしろねこ堂、あんなお店が本当にあったなら、ぜひ訪れてみたいですねえ。

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