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なぜ尼を辞めたのか
出家して尼僧だったという事実をカミングアウトすると、当然なぜ今は尼僧じゃないのかということも聞かれます。
私の場合は適応障害を発症してしまい、お寺という場所がアウトになってしまったので、飛び出してきたという感じです。
僧侶が適応障害なんて洒落にもならねえと思っていたのですが、最後は希死観念から逃れられず、環境が原因だったので、辞めるしか選択肢がありませんでした。
千載一遇のチャンスで出家し、若さにまかせて遮二無二頑張っていた私ですが、まず最初に壊れたのが胃でした。
25の頃、何か月も長引く咳で内科に行ったところ、胃カメラをすすめられ、逆流性食道炎だと診断されました。
もう治らない、胃がんの予備軍であるから一生服薬してほしいと言われて、アスリートが現役引退宣言をされた程度のショックを受けます。
それが40歳くらいならあきらめもついたのでしょうが、25の女には少々荷が重かった。ネットで情報を調べることもままならない状況で、一生の持病を抱えたことはかなりの衝撃でした。
医師の指導で食事量を半分にしてスピードをおとし、服薬もして症状はほぼ収まったのですが、半年で10キロほど痩せ、体力が急激に落ちました。
アレルギーやら膀胱炎やら膵炎やら、次から次へと些末な病気にかかり続け、病院への通院が日課のようになっていくにつれて、何のために出家したのかがぼやけはじめ、生きることそのものが希薄になっていきました。
とうとう最後には心療内科へ通院することになって、医師には転地療養をすすめられました。
頼るべき師匠は、その頃忙しく不在で、疲れているのか、気まぐれに不機嫌でした。
兄弟子とはそもそも普通に会話することが禁止されていたうえに、なぜかセクハラしてくる輩まで現れ始めました。
それこそ、朝な夕なに神仏にお勤めしていて、なぜこんなに苦しむのか、
そのことについての説明をしてくれる人も本も奇跡も啓示もありませんでした。
苦しみを分かち合う同僚もいませんでした。
もともと信仰心が希薄だったこともあるでしょう。
数年修行をするなかで、様々な人に会い、考え方が少しずつ変わったこともあると思います。
ギリギリまで我慢を重ねた結果、ご禁制の品を見つかったという些細なことをきっかけに、もう辞めさせてくれと一方的に申し立てて、実家に帰りました。
最後の師匠は慈愛に満ちて、母親のように優しかった。
でも、もう手遅れで、とにかくそこを離れることしかできなかった。
あのまま、あの場所にいても、抗うつ薬を大量に服薬し続けて、断薬もできず、私は坊さんとして失格だと自らを呪いながら、長く暗いトンネルにまだいたかもしれません。
今でも、もったいないことをした、師匠には死んでも贖えない不義理をしたと悔やむ夜もあるのですが、尼僧を続けている自分をどうしても想像できないので、やっぱり縁がなかったのでしょう。
仏様に手を引かれて彼岸への船に乗っても、渡り切れるとは限りません。
途中で船から落ちる者、泳いで引き返す者も多いのです。
でも、引き返してから見える景色は、それまで見てきた娑婆とは少し違います。
それだけでも、ありがたいと、今は思います。
出家の縁を結べる人は幸せです。チャンスがあったらどうぞその船に乗ってください。辞めた私がいえるのは、そこまでです。