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軽度うつになるまで就活した話

3年の7月から徐々に就活をし始めた。

早期から始めたはずなのに、やりたいことが見つからなくて。

やっと見つけたと思って選考に進んでも、あっけなく落ちて。

自分って何だろうな…と朝目覚める度に気持ちが沈んでいて。

周囲は第一志望に合格して、帰省したり旅行したり…

どうしても比較せずにはいられなかった。

結局、就活を始めてから11か月経った。



その日私は心療内科の病室にいた。

2時間ぶっ通しでお医者さんと話した後、告げられた病名は

「軽度うつ」


「あなたの今の状態からは、こう言わざるを得ないですね。」

お医者さんからそう告げられ、ポカンと口を開けてしまった。

「この欄見て、あなたが今こういう状態だってこと、知っている人はいるの?」

そこには
「自分が消えてなくなりたいと思うときがあるか」→「Yes」


自分と鬱という言葉が結びつかなかった。

周囲から見ても明るいし、活発な性格だとよく言われる。

でも、それゆえに抱え込んでしまったり、

他の人がなんてことない決断をしていても、
1つのことを深く深く悩んでしまったりするのも事実。

薬をもらって飲んだけど効果はよくわからなくて、

なんだかいつもより寝つきが悪かった。



次の日の夜、母親に電話した。

「やっほ~最近どう~?」

「軽度うつって言われた。薬も飲んでる…」

「え!?」


母には就活が上手くいってないことは伝えていたが、

ここまでメンタルがやられているとは思っていなかった。


「そんなんだったらもう、就活やめちゃいなさい!」


「だって…まだ自分のやりたいこと見つけてないし…」

「高望みしない!あんた欲張りなのよ。」

欲張り?自分が?
思ってもみなかった。
ただ自分にしっくりくる会社に巡り合えれば…と思っていただけなのに。


「あんたはね~本当に考えすぎ。もっと楽に考えなさいな。
まあそういうところは私の遺伝だなって思うけど…」

そこで初めて、母が独立してから3年間病気を患っていたこと、
投薬治療していたことを知った。

「一人でやってけるかなってプレッシャーで、壊れちゃったの。
だからね、」

「大事なのは自分の弱さも認めること。」

「自覚したうえで、その気持ちを手放すんだよ。」

今まで私は、気持ちが繊細な自分を押し殺してきた。

しっかりしなきゃ!こんなことでへこたれてられない。

リーダーだったらこうあるべきだ。もっとみんなに頼られるようにならなくちゃ。

弱い自分に蓋をして、出さないように、見せないようにしてきた。

そんな自分の一部を認めてあげる。そして救ってあげる。

そんな考え方があったんだ…

ていうかそれでいいんだ。

そんなんでいいんだ。


そんなに頑張りすぎなくてもいいんだ。

「あんたは固定観念に囚われすぎ。もっと楽に考えたらいいじゃん。」


就活=苦しい、必死、でも将来のためにみんな通ってる暗い道

って勝手に思ってた。

でもさっさと内定もらってそこに決めたり、

将来のことを3年先程度しか見通してなかったり、

そんなんでもいいんだ。

「ていうか病院行く前に相談してくれたら良かったのに~」

「なんか迷惑かけちゃいけないな~とか、
せっかく大学まで入学させてもらったのに悩んでる姿見せたら申し訳ないな…とか色々…」

「ほら!また固定観念。親に迷惑かけちゃいけないって誰が決めた!?」

母から鋭いボディーブロー。娘にヒット。


「だいたいそんなメンタルで就活してても、どこも採ってくれないわよ。
理想を追い求めるこだわりは認めるけど、見切りをつけるって大事なの。」

その後もガンガン繰り出される母の持論トークに、笑ったり泣いたり、
2時間半があっという間に過ぎた。

「あたし、子育てだけは間違ってなかったって言えるんだから~!」


こう言われる度、私の気持ちは救われる。母の子で良かったと思う。

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