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「非常時」に備えた衛生思想普及の目玉は「大キンタマ」でした

 非常時といっても、これは1933(昭和8)年に作られた映画「非常時日本」から来ているようです。この年、国際連盟の調査中に満州国を早々と承認した日本に対し、リットン調査団が「満州国は自主独立の国ではないが、中国の主権を認めつつ日本の権益など歴史的経緯に配慮した自治区に」との大変日本に遠慮した報告書を提出しているのですが、これに対し日本は反対を貫き、連盟総会で42対1という、圧倒的大差、というか、日本の味方は一国もない状態となって「なら、でていってやらあ(大意)」と啖呵を切って連盟を飛び出したのはいいものの、実際に世界の孤児となるのが不安になって「非常時」を叫びだしたのです。映画は、西洋かぶれを憂いて神国日本の再興をというアナクロな、荒木陸軍大臣の発想らしい内容だったようで。

 正式に脱退が完了するのが1936年、その前に海軍軍縮条約の期限が1935年に迫っていて軍拡競争が再燃するという危機感もあり、35、6年の危機ということも盛んに言われていました。これも、非常時意識に拍車をかけます。

 さて、こちら長野県の下水内郡連合衛生大展覧会のチラシは、開催年は書いてないものの、「非常時に備ふる国民の保健擁護!!」「今や我国内外の時局極めて重大なる秋(とき)」といった書きっぷりから、1933年か1934年に開催されたものと思われます。1934年だと初日の8月24日は金曜日なので、関係者が集まって開場し、翌日から盛況とするには、ちょうどよかったのではと推測。1934(昭和9)年の開催かと。

見やすいように白い紙を敷きました
仰々しいあいさつ文が時代を示します

 それにしても、単なる衛生展覧会であるのに「協力一致国民の健康増進に一路邁進し以て保健報国の実を挙げ君国に奉ずるこそ刻下の急務」という前書きは、いかにも急速に天皇親政の大日本帝国建設をといった雰囲気にのまれている感があります。

 ただ、内容としては非常時と関係なく、当時は小さい子どもの死亡率が高かったことから、特にお産、妊娠についての知識普及を模型の展示などで図るのが主眼だったようです。これは、優秀な兵隊を確保するためにも大事なことだったでしょう。性病に関する知識も、遊郭などのあった時代であり、結核についても国民病といわれたくらいのころであり、いずれも健康な男子育成に必要としていたのでしょう。

お産ー育児ー病気のことが詳しく分かるとあるのが内容を示します。

 それでも、堅苦しいばかりでは人がこない。そこで、怖いもの見たさで来てもらえるように、「フィラリア病による十八貫目の大陰嚢(キンタマ)」の実物標本をトップとして、各種の奇形や異常を実物と写真で紹介するということで、「各病院門外不出の出品沢山あり」と興味をそそっています。

参考資料、ということですが、どう参考にせよと

 なお、やはり若い人に来てもらいたいということで、学生団体には便宜を図るとしているのは、良いかと思います。

学生に便宜と

 会場は飯山町小学校、現在の長野県飯山市にあたります。

 当時は、生活環境としては現代のようにひんぱんに風呂に入れるわけでもなく、また、し尿を肥料に使っていたこと、病気を媒介する虫類も多かったこと、はだしの傷から破傷風など、普通の暮らしにも衛生上の課題が多いうえ、男女とも長時間ほこりの多い場所で働き、栄養も偏っているという、劣悪な状態が多かったことから、衛生思想普及には、この後も営々と努力が続けられていきます。こちら、太平洋戦争下でも開戦記念日の表彰で、衛生関連の賞状を出していることからも、そんな雰囲気を感じられます。

1943年の開戦記念日での表彰

 現在は衛生思想の向上、検診制度の定着、栄養バランスへの配慮、労働環境改善など、さまざまな努力の上に、健康長寿が実現してきています。世界でもトップクラスの平均寿命の国になったことは、喜ばしいことです。これも、戦争に振り向けていた力を国内向けに変えた成果かもしれません。
           ◇
 しかし近年、少子高齢化社会の急速な進展の中、高齢者が若者を食い物にしているというような、誤った言説が流れているのは実に悲しいことです。医療費節約の文脈で尊厳死を語る政治家まで出てきています。人の寿命を人が操作できるようになると、どんな悲劇が起きるか。歴史を紐解けば明らかです。やはり、過去を直視してこなかったツケが、過去と現在を断絶させ、誤った道を選ばそうとしているのか。中の人はそういう風潮に抗い、過去を掘り起こしては警鐘を鳴らしていきたい。
 「こおろぎは 鳴き続けたり 嵐の夜」

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信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
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